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大原の夜 ( 4 / 5 )






「……せん…ぱい…?」

ゆっくりと、彼がこちらを向いた。

驚きを顔に張り付けたまま。

やっと…久しぶりに顔を見られた。

ポロッと涙が頬をつたう。

「! ど、どうしたんですか」

私が泣いているのに、心底驚いた様子だった。

「…嫌わ……ないで……」

溢れ出した涙は簡単には止まらず、みっともないと思いながらしゃくりあげてしまう。

「せ…!? いったい何のことですか? 嫌うって」

「…お、大原から…帰ってから、全然目を合わせてくれない……」

うっ…と、彼が詰まったのがわかった。

やっぱり嫌われてたんだ。

軽蔑されてたんだ。

思考はどんどんマイナスの方向に向かう。




「それは……と、とにかく、どこか、……庭に出ましょうか」

しばらく辺りを見回してから、彼が言った。

促されるまま、庭に降りる。

京邸は広いが、プライバシーが保てるほど遮音性のある部屋はほとんどない。

居室には行かずに、母屋からなるべく離れた場所へと歩いていった。

もちろん、涙で視界が曇っている私は、譲くんに支えられて進むのが精一杯。

母屋から死角になる場所にある庭石に、ようやく二人で腰を下ろす。

肩を震わせたまま私がしゃべろうとすると、譲くんが片手を上げてそっと制した。




「最初に聞いてください。……先輩、俺が先輩を嫌いになることなんて絶対にありません」

「…え」

いきなり言われて涙が引っ込む。

譲くんは真剣な目をして私を見ている。

「だから、まずその誤解は解いてください。これから先も未来永劫、絶対に嫌いになんてなりません。なれるわけがない」

「…どうして?」

「……!…」

一瞬言葉に詰まって、それでも視線を外さないまま答える。

「…俺は17年近くずっと……そばにいてあなたを見てきたんですよ。笑ったり泣いたりするのも全部…。だから、その時間の長さを信じてください」

そう言うまなざしがあまりに優しくて、勝手に頬が赤くなった。




それを見届けると、ふっと視線をそらす。

「それから、俺がこのところ挙動不審だったのは……。先輩と同じ理由です」

「え?」

「嫌われていると思ったから。顔も見たくないだろうって」

「どうして?」

袖をつかんで尋ねると、目を閉じてうなだれてしまった。

「……あんなことをしたから…」

「…!」

しばらく間をおいてから、私はようやく口を開いた。

「……譲くんは何もしてないよ。あれは私が…」

「いえ、キスしたのは俺です」

譲くんがむきになって言い返す。

「だって、先に目を閉じたのは私だよ。あんな状況でそんなことされたら、譲くんも仕方なく」

「違います。先輩こそ、俺があの姿勢のまま動かないから仕方なく」

「そ、そんなことないよ」

「俺だって、仕方なくなんかじゃ」



「………」

「………」



「…じゃ…じゃあ、…嫌じゃなかった?」

「嫌なわけ…! 先輩こそ、その、傷ついたんじゃないかって…」

「傷つく…?」

また、譲くんが視線を逸らした。

「…ファースト…キスだったんじゃないかって…」

私の頬が勝手に赤くなる。

「そ…! それは譲くんだって同じでしょ!……えっと……多分…」

「俺は……」

「ごめんなさい」

思わず頭を下げた。

途端に譲くんが焦りだす。

「な、なんで先輩が謝るんですか。女の子のほうがずっとそういうことを大切にするでしょう? 俺のほうこそ、本当に申し訳ないです。俺なんかのせいで……」




 

 
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