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大原の夜 ( 3 / 5 )






「!!」

今度は私が驚愕する番だった。

びっくりするほど近くに見える瞳。

頬にかかる息。

あとほんの数センチでふれあう唇。

じいっと見つめられて、一気に体温が上がる。

(わ、私たちこんなにくっついてたの!?)

私が真っ赤になったので、譲くんはますますまっすぐ見つめてくる。

なぜか身動きできなくて、目をそらすこともできなくて、彼のきれいな瞳に囚われたまま、時が止まってしまったような気がした。




何がそうさせたのか、今でもよくわからない。

でも、私はゆっくりとまつげを伏せ、目を閉じた。

彼が一瞬息をのむのが聞こえた。

背中に回された手に、わずかに力がこもる。

最後の残された距離が縮まり、温かくて柔らかい感触が唇に触れる。

腕にすがるより、肩を抱かれるよりずっと大きな安らぎと安心が、そこから流れ込んでくる気がした。




「望美さ〜ん!!」

「譲〜!!」

不意に、馬の蹄の音と呼び声が遠くから聞こえてきた。

夢から覚めるように、二人同時に目を開けて、身体を離した。

「あ…」

「す、すみません、先輩、俺…!」

「う、ううん、譲くんのせいじゃなくて」

「先輩が心細いときに、こんな…」

「違うの…!」

もうすぐそばまで蹄の音が迫っていた。

慌ただしく馬から下り、駆け寄ってくる松明の光。

「ここにいたのか!!」

「ああ、よかった。二人とも無事ですね」

九郎さんと弁慶さんが木立の間から勢いよく顔を覗かせた。




あとは、九郎さんが間の悪いことに下着を手に取ってしまい、私にビンタを食らったりとか、弁慶さんが外套を貸してくれたりとか、帰る道々頬に手型の付いた九郎さんに説教をされたりとか、慌ただしく大原の地を後にし、譲くんと話す暇さえなかった。

ただ、朔に「怖かったでしょう? 辛いことはなかった?」と聞かれたとき、「ううん! 譲くんがいてくれたから大丈夫! すごく頼りになったんだよ」と、必要以上に大きい声で答えた。少し離れたところにいる譲くんに聞こえるよう祈りながら。


* * *


その翌日からも、譲くんはいつもどおり起こしにきてくれたけれど、声はずっと遠くなって、私が起き上がる前に廚に戻るようになってしまった。

日常の会話や、戦闘前後の会話にも変化はない。

みんなも何も気づかない。

けれど、彼との距離は確実に遠くなった。

私は、早く彼とちゃんと話したくて、でも、いったい何を話せばいいのか自分でもわからなくて、一人悶々とした日々を送っていた。

そんなある日。




八葉たちのいる棟に用事があった私は、目的を果たして簀子縁を一人歩いていた。

月が高く上っていて、もう夜も大分更けた時刻。

建物の角を曲がったところで、いきなり譲くんに出くわす。

「あ…!」

「あ、す、すみません!」

私よりも早く反応して、素早く走り去ろうとする彼の袖を必死の思いでつかまえた。

「待って! 譲くん!」

「いや、あの、俺…」

こちらを見ないようにして、何とかこの場を逃げ出そうとしている。

たまらずに私は叫んだ。

「私のこと、嫌いにならないでっ…!」

自分でも驚くぐらいの涙声。

ピタリと彼の動きが止まる。



 

 
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