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おあいこ ( 2 / 5 )

 



出発を明日に控えた夜。

旅行がらみでようやく口をきいてくれるようになった望美の支度を、譲は手伝っていた。

「……本当に。今の時期じゃなければ俺がついていけるのに」

景時や九郎から頼まれる書類仕事を抱えて、譲はこのところ多忙だった。

「今がいいの。それに、譲くんがついてきたんじゃ意味がないから」

鏡や櫛をしまいながら望美が言う。

「……え?」

「あのね、譲くん」

望美はきちんと座り直して、譲の目を見つめた。

「私、譲くんのこと大好きだし、早くちゃんと仲直りしたいと思ってる」

「望美さん……」




本当に久しぶりに聞く、望美の愛情のこもった言葉に譲は胸を熱くした。




「……でもね」

すっと望美の表情が翳る。

「ごめんなさい……。私、どうしても譲くんがあの人とキスしたこと許せない……」

「……それは…!」

身を乗り出して抗弁しようとする譲を、望美は手で制した。

「わかってるの! 譲くんが悪いんじゃないことはわかってるの。自分にも言い聞かせて、むしろ譲くんは被害者なんだからって。頭ではちゃんと理解したんだよ。だからこの家に戻ってきたし。……でも……」

ぽろっと望美の瞳から涙がこぼれた。

「嫌なの。どうしても嫌なの。こんな気持ちのままで譲くんのそばにいるのは辛いの」

「先輩……!」




その先に望美が言おうとしている言葉を予想して、譲は氷柱を胸に突き立てられたような気がした。

「先輩、まさか……!」

望美は顔を上げない。

「まさか、もう帰ってこないつもりじゃ……!」

それは譲にとって、死にも等しい宣告。

蒼白になった譲の顔を、望美はやっと見た。

「……え?」

「俺は……俺はどうすればいいんですか? あなたを失わないためにどうすれば……!!」

譲のただならぬ様子に、今度は望美のほうが慌て出す。

「ち、違うよ! もちろん帰ってくるよ! 帰ってくるから旅行なんでしょ。譲くん、落ち着いて」




一気に緊張がとけ、譲はへなへなと前屈みに倒れ込んだ。

「……よかった……。俺、死ぬかと思いました」

「譲くん……」

困ったような笑顔で、望美はそれを見つめる。

「私が言いたかったのはね、私も同じやましさを抱えればいいんだってこと」

「……はあ……?」

「譲くんを責めたりできないようにね、私、この旅行中に同じことしてみる」

「お、同じこと……?」

にっこりと望美が笑う。

「誰かとキスしてみるんだ。もちろん、一回だけね」

その瞬間、足下がガラガラと音を立てて崩れ落ち、深い闇の底に真っ逆さまに呑み込まれていった……。譲の気持ち的には。




その後、どんなに譲が言葉を尽くして説得しても、望美は首を縦に振らなかった。

「私は譲くんをもう責めたくないの。また、もとの関係に戻りたいの」

「キスなんかしなくたって戻れますよ」

「戻れないよ! もう1カ月半もギクシャクしてて、私、限界だよ。耐えられない! ……もそのほうがいいって言ってたし」

「……誰が……ですって?」

そうして、譲はこの策謀の仕掛人を知ることになる。



* * *



見送りには、将臣以外の八葉が全員揃った。

廚で、用意された弁当や水を望美と朔が確認している間、門の前には険悪なムードが漂っていた。

中心にいるのは、拳を握りしめた譲と、黒装束の軍師。

「……俺に殺されたいんですか」

「これはまた、物騒ですね。とんでもない。僕は、君と望美さんを一日でも早く仲直りさせたいと思って、純粋な好意で旅行をお勧めしたんですよ」

慈母のような笑みを浮かべるこの男を、今日ほど憎いと思ったことはなかった。

「だからって……! 先輩に」

「おあいこ……という奴ですよ。望美さんの気持ちに踏ん切りをつけるには一番手っ取り早い方法だと思いますが」

この横っ面をはり倒してやれたら……。




「ま、まあまあ譲くん、旅立ちの時にね、あんまり不穏なやりとりは〜」

「弁慶、お前、この策の一番の狙いは、譲のありがたみを望美に再認識させることだと言っていたな。どうしてそれを説明してやらないんだ」

景時と九郎が、2人の間に入ってそれぞれ言った。

「もちろん、これからご説明するつもりでしたよ」

にっこり微笑む軍師に、

(絶対うそだ!)

と、全員が心の中で突っ込んだ。




「つまりこういうことです。この旅では平家との合戦の際に歩んだ道をたどります。福原、屋島、厳島、壇ノ浦……。どの場所でも、君は望美さんのそばにいたでしょう? それを一つひとつ思い出すうち、彼女は君に会いたいと強く願うようになるはずです。……小さな意趣返しなんて忘れてね」

「……弁慶さん…」

「……もしくは、案外譲なんていなくても気にならないじゃん。新しい人生を踏み出そうかしら〜ってね」

無神経な突っ込みを入れるヒノエを、譲は青くなったり赤くなったりしながら追いかけ回した。




「おい弁慶。俺は一応お前を信用しているんだからな。望美を無事連れて帰れよ」

その様子を見ながら九郎が言う。

「『一応』はひどいな、九郎。もちろん、『おあいこ』を実行するかどうかも含めて、望美さんの意志を尊重しますよ。ただ……」

言葉を途切らせた弁慶の顔を、九郎は覗き込んだ。

「ただ……?」

ふふっと弁慶が笑う。

「あちらで待っているのは、譲くんの最大の恋敵ですからね。彼と再会した後、望美さんがどんな道を選ぶかは保証の限りではありません」

「……将臣か…」






 
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