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魔法のベルが鳴るとき ~忍人・譲編~ ( 4 / 5 )

 



「おはようございます、千尋さん」

「お、おはよう」

 忍人が柔らかく微笑んで挨拶をするので、とっさに何があったかわからず、寝ぼけた頭を叩き起こして昨日の出来事を思い出した。

「譲さんって、早起きなんだね」

「ええ、まぁ。よく眠れたのか、昨日より身体が楽なんです」

「そっか」

 よかった、と小さく呟く。

 忍人は時々ひどく疲れて見える。

 特に、戦いで剣を使った後は。

 外傷があるわけでもないし、病でもないそうだから、単純に疲れだと思うのだけれど、それだけとは思えないほど顔色が悪いことがあったから。

 休めたと聞いて、嬉しくなった。

「夕霧さんに頂いたお茶が効いたのかな」

「え!? アレ、飲んで平気だったの!?」

 うそぉ、と千尋が驚くので、忍人の姿の譲が苦笑した。

「薬と思えばどうということはないですよ。少しだけ飲みにくかったけれど」

「したら、今朝も飲んどく?」

「あ、夕霧」

「ありがとうございます」

 独特の匂いがするお茶を持って現れた夕霧に、千尋が些かひきつって見せるが、忍人の姿の譲は笑顔で受け取った。

 少しだけためらった後、勢いをつけて飲み込む。

「よく、平気だね」

「千尋ちゃんも飲む? 美容にええよ」

「え、えっと、私、朝ごはん食べるから!」

 あとでね、と慌てて立ち去る。

 その姿を笑みを浮かべて見送る二人。

「ありがとうございます、夕霧さん」

「そないに素直やと、なんや、おもろないわぁ」

「そういわれましても」

 夕霧の言葉に、忍人の姿の譲が苦笑する。

「まぁ、ええわ。忍人さんやと、素直に飲んでくれへんから。今のうちに回復させとき」

「はい……それにしても、どうしてここまで内臓が弱っているのでしょう。ストレス…重責に耐えられないというわけではないでしょうに」

 食欲がないのは、胃腸が弱っているから。

 気付いた夕霧が薬を兼ねたお茶を淹れてくれたのだ。

「それはわからへんけど。少し調子が悪くても、大したことないって跳ねのけそうやから。
自覚してもなんもせぇへんのやから、千尋ちゃんも心配してはったわ」

「ああ、だから」

 休んで欲しいと思ったのかと、忍人の姿の譲が納得する。

「忍人さんは、自分の命なんてかまわへんから」

 夕霧が苦笑気味に遠くを見た。

 不思議に思って横顔を見詰める。 

「命を惜しまんのよ。死にたがってるとか、粗末にしてるってわけやないけど。
国のため、王のためなら、わが身を顧みない。命を投げ出してしまえる。
そういうお人やから、部下や仲間は尊敬し、信頼するんやろうけど。千尋ちゃんには、それが辛いやろうね」

 ズキリと、胸が痛んだ。

 望美も、そう思ってくれるだろうか。

 いや…あたりまえだ。

 万が一にも自分の為に譲が命を投げ出すなどと知ったら、苦しむに決まっている。

 優しい、普通の女の子なのだから。幼馴染を死なせたいなどと、思うわけがない。

「痛いなら、やめとき」

「夕霧さん」

 驚いて名を呼ぶと、夕霧が眉を下げた顔でこちらを見た。困ったようにも、悲しげにも見える、複雑そうな笑顔。

 けれど、優しい笑顔。

「痛いなら、そう感じさせる人がいるんなら、自分も大事にせんとあかんえ」

「…………はい…」

 忍人の姿の譲は小さく頷いた。それしか、言えなかった。



 自分が死ぬ夢。

 やがて現実になる夢。

 あきらめるなと、目の前の人は言うけれど。

 受け入れなければ、大切なものを失う。

 彼女の痛みよりも自分の痛みを消すことを選ぶ自分は、ただの臆病者だ。

 わかっていても、望美のいない世界は、受け入れられないから。

 夢が変わるとき、それはきっと、望美が居なくなるとき、だ。

 それがどんな形で訪れるかは、分からないけれど。







 寒い。

 手足が冷たい。

 凍えそうだ。



 薄暗い灰色の景色の中、目を閉じて思う。

 体を動かすのも億劫で、じっとしていると、何かが頬に、頭に触れた。

 ああ、暖かい。

 安堵と、幸福と。

 それを打ち消すほどの、胸の痛み。

 耳に響いた音は、何だったのだろう。

 心に浮かんだ思いは、誰の物か。

 ただ、酷く悲しかった。




 眩い日差しで目を覚ました。

 起き上がり、ゆっくりと手足を動かす。

「……夢…?」

 あの感覚はなんだったのだろう。

 まるで。



 軽く頭を振って起き上がる。

 部屋を出ると、廊下を背の高い青年が歩いてくるのが見えた。 

「忍人殿、おはよー」

「景時殿か」

 おはようと挨拶を返した忍人の顔色が良くないのを見て、景時が首を傾げた。

「もしかして、良く眠れなかった?」

「いや……眠れたのだが、明け方におかしな夢を見たらしく、目覚めがあまり良くない」

「夢……」

「昨日はいろいろ考えさせられた。そのせいかとも思ったが…」

 それだけではないと、その声が示す。

「譲くんも、良くない夢を見ていたよ」

「そう、なのか?」

「ああ…彼は特殊な一族の血を引いていてね。夢に見たことが現実になる、そんなことがあったから、オレが相談を受けていたんだ。夢占いをしたりして」

「夢占い?」

「夢の吉凶を判断することだよ。陰陽師だからね。少しだけど、できるんだ」

「夢で、か?」

「夢というのは、無意識の記憶が現れることが多い。まして、霊感の強い人間なら、夢でお告げを聞いたり、予知夢を見ることも珍しくない」

「譲は、霊感が強いのか?」

「術師としての行を修めていないから、何とも言い難いけど。彼の血筋が、神に仕え占いを得意とする一族だから。見ても、おかしくない」

 そうか、と忍人が呟く。

「では、あれは彼が見ていた……あるいは、彼の未来を示す夢なのかもしれんな」

「どんな?」

「どんな、と言われても」

 景時の気迫に、譲の姿の忍人が困惑したように言う。

「ぼんやりとした景色だったから、言葉にするのは難しい」

「でも、良くないのは分かったんだよね?」

「ああ、それは…体が冷えていくのが分かったからな」

 思い出しながら、忍人が言う。

「冷えてって…」

「同時に、満足と、後悔。安堵と、悲しみ。様々な感情が入り乱れた」

 温かな手が、そのどちらの感情をも与えてくれる。



『譲くん、そっくり』



 不意に、彼女の言葉が蘇った。

 それゆえ、瞬時に理解した。

「守り通したのだろう。けれどその代償も大きかった。だから、矛盾した感情が生まれる」

 目を伏せて、少し悲しげに、けれど淡々と言う姿は譲そのもので、景時は戸惑いを隠せない。

「泣かせたくなかったのに、と」

 響き渡ったのは、謝罪に似た思い。

 けれど、間違っていたとも思わない。

 自分の行動に対する、ある種の自信。

 それは。

「変えることはできないのかな」

 声に顔を向けると、景時が苦しそうな顔で立っていた。

「その夢を違えることは」

「俺にはわからん。だが、お前たちになら、できるのではないか?」

「忍人殿?」

 景時が不思議そうに名を呼ぶと、譲の姿の忍人が口元に笑みを浮かべて呟いた。

「なぜ、俺と彼が入れ替わったのか、不可解だったが……俺たちは似ているのかもしれんな」



 何にかえても、成し遂げたいことがある。

 全てを掛けても、守りたいものがある。
 


 失くしたくはない。

 悲しませたいわけでも、ない…







 朝食を摂り、穏やかなひと時を過ごしている時、それは来た。

「なんだい、忍人。ずいぶん元気そうじゃないか」

 名を……正しくは、この身体の名前を呼ばれて、譲は目を瞬かせた。

 顔を上げると、初老の女性が、口角を上げて立っている。

 ずいぶんと迫力のある人だと、譲は思った。

 女性に対して失礼だとは思うが、強面で、年にそぐわぬ気迫を感じる。

 ……ああ、そうか。この佇まいだ。

 すっと真っ直ぐに伸びた身体。

 しっかりと響く声。

 まるで、獲物に飛びかかるまでじっと動かず身を潜めている豹のようだ。

「朝の鍛錬を布都彦に任せているから、どんな重病かと思えば。女性に囲まれて歓談とは、大きくなったものだねぇ」

 言われている意味が分からず、首を傾げる。

 鍛錬……ああ、そうか。彼は将軍だった。もしかしたら、兵士たちの鍛錬があったのかもしれない。

 どう説明しようか困っていると、突然その女性が腕を掴んだ。

「来な。その根性、叩き直してやるよ」

「岩長姫!?」

 隣にいた千尋が、驚いたように叫ぶ。

「英雄色好むってのは、やるべきことをやったヤツだからこそ称えられる。鍛錬を怠けて女といるようじゃ、問題だ」

 岩長姫と呼ばれた女性が、忍人の姿の譲の向かいにいる夕霧を見て、言う。

「いえ、俺は」

「いいから、来な!」

 忍人の名誉のために説明しようとしたけれど、その隙を与えられずに、連行された。

「ど、どうしよう」

 青くなる千尋に、那岐があっさりと言う。

「面白そうだから、見に行ったら?」

「そんな場合じゃないでしょ!」

 千尋が那岐に食って掛かると、また人が入ってきた。

 柊と風早が千尋の状態に気付いて近付いてきた。

「我が君、どうなさいました」

「譲くんは? 部屋に戻ったのかい?」

「柊~ 風早、どうしよう~」

 半泣きで二人に経緯を説明する。

「やれやれ、師君にも困ったものですね」

「退屈していたみたいだからねぇ」

「は?」

 苦笑する柊と風早に、千尋がきょとんとした。

「昨日のうちに、全て説明してありますよ。元に戻るまでは、師君と布都彦とで軍を預かることになっています」

「昨夜の肉料理は大層お気に召したようで。興味津々でしたよ」

 何と答えていいのやら、微妙な沈黙が降りた。

「見に行こうか」

「……ん」







 宿を出て、次の目的地へと進む。

 歩みは遅くはないけれど、早くもない。

 途中何度も怨霊に遭遇するからだ。

「これでは安心して旅などできんな」

「オレたちはまだいいさ。怨霊に対抗できるからね」

 言いながら、斬りかかる。

「神子」

「望美」

「うん。朔、いくよ!」

 名を呼ばれ、望美と朔が封印をする。

 キラキラと光を弾いて怨霊が消えるのを見て、忍人がまぶしそうに目を細めた。

「少し休もうか」

「水を補充してこよう。神子、竹筒を」

「ありがとうございます、リズ先生」

 竹筒を渡して、周囲を見渡す。

 譲の姿の忍人が近くの木に凭れているので、そちらに移動した。

「忍人さん、大丈夫ですか?」

「君か」

 望美を見て、譲の姿の忍人が小さく溜め息を吐いた。

「どうかしました?」

「いや……」

 言葉を止める譲の姿の忍人に、望美が不思議そうにする。

 具合が悪いのかと心配になりはじめたころ、小さく呟いた。

「君を見ていると、どうにも、言ってしまいそうになる」

「何を?」

 言うように促すと、譲の姿の忍人がぽつぽつと言い始めた。

「君は、背後を気にしすぎる傾向があるようだ。昨日もだが、今日も、何度も振り返ろうとしただろう。
見えない背後が不安なのは分かるが、あれは危険だ。直した方がいい」

 振り向く瞬間は不安そうに、そして自分の姿を見るとほっとしたような顔になる。

 だから、望美は戦いの最中の背後が不安なのだと、忍人は思った。

 昨日のことがあるからか、どこか言い難そうに言う忍人に、望美が小さく笑った。

「はい、わかりました。でも、今までそんな癖、指摘されたことないけどなぁ」

 何でだろうと、望美が首を傾げる。

「気付かなかっただけではないのか?」

「ううん。リズ先生や九郎さんは、戦いには厳しいもの。そんな危ない癖があるなら、ちゃんと指摘してくれるはずだし、何より譲くんが……」

 そこまで言って、口篭る。

 少しの沈黙の後、望美が苦笑気味に、けれど鮮やかに笑った。

「依存、してるんだなぁ」

「依存?」

「今まであったものがないことが、不安でたまらないみたい。後ろからの援護がないのが、こんなに辛いなんて」

 言いながら、望美が見たのは忍人の隣に立てかけられた弓。



 戦いの最中、いつも感じていた気配。

 それはあるのに、訪れないものに、無意識に違和感を感じて、確かめたくなるのだろう。

 譲が弓の援護をしないときは、できない状態に陥った時、つまり怪我をしたときだから。

 彼の気配がして、矢が飛ぶ。それだけで自分は安心できたのだと、思い知る。



 望美の切ない呟きを聞いて、忍人もまた胸が締め付けられた。

 自分の姫は、千尋は、こんな風に自分を頼ってくれているだろうか。

 一人で立てなくてどうすると、指導してきたはずなのに。

 そんなことを考えて、忍人は自分の感情に困惑した。

 そうして、望美を見詰めて、想う。

「依存では、ないだろう」

「え?」

 ただ、大切に思っている、それだけのこと。

 彼女は甘えているわけでも頼っているわけでもない。

 そこにいるか、無事でいるか、不安になるのは、ただ、愛しいだけ。

 そうして浮かんできた笑顔に、再び動揺する忍人だった。







 キィン カン



 小気味よい音をたてて、刀がぶつかり合っている。

 二刀流は無理と言った忍人の姿の譲には、一本の刀が渡されている。

 岩長姫と打ち合う姿は、忍人そのものだ。

 初めはからかうだけのつもりだったのだが、打ち合うごとに鋭くなる動きに、岩長姫も本気になり始めた。

 譲は譲で、目の前の決して大柄ではない女性の繰り出す剣技に驚きながらも、撃ち込まれるごとに身体が勝手に動くような感覚になり、今は完全に意識を身体に任せている。

 打ち合いが終わると、じんわりと汗をかいていた。

 それでも息が上がっていない。ずいぶんとタフなんだなと、譲が驚く。

「なんだ、アンタ、剣も扱えるじゃない」

「譲さん、すごい」

 那岐が感心したように言い、千尋がはしゃいで話しかける。

「いや、これは忍人さんの実力だよ」

 二人の言葉に、忍人の姿の譲が首を振って答えた。

「前の時もそうだった。その人は弓が苦手で剣の達人だったんだけど、その体でいつも通り弓を使おうとしても上手くできなかったし、代わりに刀で普段できないようなことができたから。身体の持ち主が出来ることなら、出来るみたいだ」

 無意識に打ち返せるほどの達人だからこその技だろう。

 忍人の姿の譲が、刀を見ながら説明する。

「へぇ……じゃぁ、忍人って実は料理上手なのか?」

「え?」

「そうなるよね」

「うん。あんな料理が作れるんだもん」

 サザキの言葉に譲は目を瞬かせたが、那岐と千尋がそれぞれに頷く。

「そう、かな。手先が器用な人みたいだから、やろうと思えばできるんじゃないかな?」

「それは楽しそうですね。戻ったら頼んでみましょうか」

 柊の言葉に皆が顔を見合わせた。

 楽しそうに頼む柊と、怒髪天を衝く忍人が容易に想像できる。

 止めたところで聞かないだろうから、放置することにした。







 夕方、どうにか次の集落につくことができ、宿を取ることができた。

 村の唯一の宿屋は、怨霊騒動で旅人が減っていたため、大人数の一行を歓迎した。

 夕餉の用意をしてくれている中、素振りをしていた九郎に、譲の姿の忍人が話し掛けた。

「時間があるなら、相手をしてくれないだろうか」

「相手?」

「勘が鈍ると困る。貴殿が相手なら、無茶はあるまい」

 自身も剣を使う身。その気持ちは分かるし、何より忍人の太刀筋に興味があった。

「わかった。刀は、譲の小太刀で大丈夫か?」

「ああ」 

 一本の刀での打ち合いが続いた。

 初めはぎこちない動きだった忍人だが、すぐに感覚を取り戻したのか、動きが滑らかになる。

 夕餉ができたと呼ばれるまで、二人は刀を打ち合わせていた。

 刀を収め、軽く汗を拭く。

「やはり思うように動かんな」

「これで、か?」

 九郎が目を丸くする。

 少しでも隙を見せれば、すぐさま切り込まれ、ひやりとした。

 これほどの腕の持ち主は、軍の中でもそうはいまい。

「俺が二刀流というのもあるが。やはり、自分の体のようにはいかん。だが」

 剣を振るった後、苦しくないのは久しぶりだと、心の中で付け加える。

 そうして、自分の身を案じて騒がしかった人物を思い出し、小さく笑った。

 仲間の誰とも異なるその笑顔が、九郎には不思議に感じた。

 しいて言うなら、リズヴァーンに近い。

 顔の下半分を布で覆っているのでわかりにくいが、時々こんな目をしているから。

 不思議なものだと思いながら、夕餉を摂りに移動する。



 先ほどまで打ち合っていたことを話すと、景時が驚いたように言った。

「え? じゃぁ、中にいる人の能力も出るんだ?」

「その割には、前回九郎に入った譲くんは、弓を中てさせられずに困惑していましたよ」

 弁慶がすかさず笑顔で突っ込みを入れる。

 九郎が無言で睨むが知らぬ顔。

「身体は肉体(うつわ)の記憶と魂(なかみ)の記憶で動かせる。けれど、動くのは身体。だから、その体ができる動きはできるし、できないことはできない」

 にこにこと白龍がそう言う。

「え? じゃぁ、九郎さんの相手ができたのも、譲くんの力?」

「そう。忍人は刀の動かし方を熟知している。その感覚の記憶を使い、譲の体の力を可能な限り引き出して、九郎の相手をした。
けれど、忍人の体とは動ける力が異なるから、忍人の体とまったく同じようには動けない」

「と、いうことは、譲もできるということか」

「身体は動くよ。あとは譲の感覚次第」

 白龍が笑顔でそう言うのを、それぞれが興味深く聞いていた。










 
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