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魔法のベルが鳴るとき ~忍人・譲編~ ( 5 / 5 )

 



 それから数日、入れ替わった二人に少しだけ慣れてきた。

 忍人の姿の譲が作る料理やお菓子は好評で、ここでも厨房に篭ることが多かった。

「我儘を言ってすみません」

「構いませんよ、料理は好きですから。それに、やることがある方が落ち着くんです」

 女性たちがお菓子を食べたいと言うので、風早が頼みに来て、ただ今カリガネと共に作成中である。

 焼きあがったケーキが取り出され、良い匂いが部屋に充満する。

「おいしそうな匂いですね」

「味も大丈夫だと思いますよ」

 トレーにお菓子を並べながら、忍人の姿の譲が言った。

「でも、岩長姫様は、こっちの方がいいかな?」

 師匠を様付することに苦笑しつつ、風早が問う。

「こっちとは?」

「これです」

 見せられたものに、風早が目を瞬かせた。





「これ何? チーズケーキ!?」

 食後のデザートを出すと、千尋がはしゃいでそう言った。

「甘い」

 那岐も不思議そうに口に入れる。

「酒粕のケーキですよ。材料を混ぜて焼くとチーズケーキっぽくなるんです」

「酒粕? どうやって」

「お酒を濾しました。現代の酒と違うので、風味が違いますけれど、それっぽくできたでしょう? で、結果があちらです」

 譲が指を差した方を見ると、岩長姫が酒瓶を抱えて飲んでいる。

 周りに男たちが集まり…風早が絡まれていた。

「ケーキの結果???」

「お酒を2度ほど濾したのですが、その時に当然清酒ができます。現代のものほど透明ではありませんが。
昔は酒の上澄みが好まれたと聞いたことがあるので、試しに勧めてみたら、常より澄んだお酒が大層お気に召したようで。飲み明かすと言ってましたよ」

 お酒好きと聞いていたので、風早に少しだけ持って行ってもらい、味見してもらったら、速攻酒瓶を取りに来たのだ。

「だから、あちらは居酒屋メニューにしました」

 忍人の姿の譲が笑った。

 塩味や揚げ物など、お酒に合うつまみをそれぞれもって、楽しそうに飲んでいる。

「おいしそう……」

「千尋にお酒は早いよ」

「そんなことないよ!」

 那岐に言われて、千尋がムキになる。

「こちらのお酒は、現代の物ほど強くないみたいですけど。ああいう飲み方はおすすめできませんね」

 浴びるように飲まされた風早が、絡まれていたはずなのに絡み始めたのを見て、譲が苦笑した。

「那~岐~」

「げっ」

 赤い顔の風早が那岐の名を呼び寄ってくるのを見て、那岐が立ち上がる。

「那岐?」

「酔っ払いの相手なんてしてられないよ。絡まれないうちに逃げたら?」

 言いながら、自分は早々に逃げた。

 ああ、と言いながら、那岐が出ていくのを見た風早が、クリンと身体の向きを変えて、こちらを見る。

 ビミョーに怪しい輝きを宿した眼差しに、千尋はケーキの最後のひとかけらを口に入れ、譲はお茶を飲みほした。

 名前を呼ばれる前に、さっさと部屋の外に逃げ出した。



「あー、結構お酒臭かったんだ」

 外にでると深呼吸して、千尋が笑う。

「そうですね。部屋の中にいると気付きませんでしたが」

 譲も頭を冷やすように、深く息を吸った。

 二人でゆっくりと庭を歩く。

「不思議な気分」

 ぽつりと、千尋が言った。

「忍人さんと、歩いているみたい」

 その言葉に、譲が複雑な気持ちで笑みを浮かべた。

「彼とは、出かけたりしないんですか?」

「たいてい皆と一緒だから」

 そんな関係じゃないし、と千尋が呟く。

「それでもいいと思った。忍人さんが居てくれるなら。彼が笑ってくれるなら。彼の役に立てるなら。彼が無事なら。
そう思ううちに、分からなくなっちゃった」

『君は、軍を率いる立場をどう考えている。目的を間違えるな。務めを果たせ』

 いつもの説教が、その言葉が苦しくて。

「務めが嫌なわけじゃない。ただ…」

 気付くと見ている。探している。案じている。

 その意味に気付いてしまったから。

 それだけでは苦しいと、心の片隅が悲鳴を上げる。

「命を大事にしてほしいと願うことは、そんなに悪いことなの?」

 国よりも、身体を大切にして欲しい。

 そして姫ではなく、自身を見て欲しい。

 忍人には言えない言葉があふれ出す。

 千尋の切ない顔に、譲はどう言っていいのかわからなくなった。

 明るい笑みの中に、突如現れる切ない憂い顔。

 それがこんなにも胸に響くのは、きっと。

「千尋さん」

 さんざん迷った後、忍人の姿の譲がゆっくりと話し掛けた。

 忍人の声が、彼とは違う言葉遣いをすることに、戸惑いと寂しさを感じながら、顔を向ける。

「好意の無い相手に命を懸けられるほど、俺たちは強くないですよ」

 柔らかな笑み。

 苦笑が混ざったような、少し切ない表情。

 その顔は忍人そのもので、錯覚しそうになる。

「何が理由であろうとも。大切な相手でなければ、他人を守るために命など掛けられない」

 涙が滲んだ瞳で、千尋がじっと忍人の姿の譲を見詰める。

 半信半疑のその顔を見て、忍人の姿の譲が苦しげに息を零した。

「失くしたくないだけなんです」

 彼自身は、どちらが大切かなどと考えたことはないのだろう。

 ただ分かるのは、どちらも失くしたくない。

「それは、自分が死ぬより辛いことだから」

「それは」

 同じだと、自分も同じ気持ちだと、声に出す代わりに、滲んだ涙が零れ落ちた。

「大丈夫、死にたいわけじゃないから。違う方法があるなら、必ずその道を選びますよ」

 共にいられるものならば、その道があるならば。

 どんな形でも、失くしたくないのだから。







 気付くと宿の一室で転寝をしていた忍人は、ゆっくりと瞼を開けた。

 日が落ちかけている空が、朱色から墨色へと変わっていく。

 当たり前の景色が不思議に感じるのは、朧な夢のせいか、それとも彼の感性か。

 夢の名残が心を支配し、体を鈍らせる。

 急激な世界の覚醒に慣らすように、ゆっくりと体を起こし、立ち上がった。

「忍人さん、起きました?」

「ああ…」

 ひょこ、と、庭で素振りをしていたらしい望美が現れた。

 軽く頭を振る仕草を、望美がじっと見つめる。

「どうかしたか?」

「あ、うん」

 少しだけためらった後、望美が言った。

「忍人さん、譲くんと同じ夢を見ているんだよね」

「……おそらく」

 確証はないが、と、譲の姿の忍人が呟く。

「この身体はよほど疲れているのか、気を抜くと眠くなる。そうして微睡の中、朧な夢を見る」

 あれでは休まるまい、と、忍人が言うと、望美が真剣な顔で問い掛けた。

「死ぬ夢?」

「……そればかりではないようだが、まるで選んだようにその夢が記憶に残る」

「そんな!」

 選ぶなんて、と、望美が苦しげに呻いた。

「何で」

「望んでいるわけではない、が。止むを得ず、と言った感じだ」

 夢を選ぶというのは奇妙な話だ。

 だが、本当にそうではないかと感じる。

 まるで、それ以外のものは見たくないとでもいうように。

「変えることはできないの?」

 悲痛な望美の顔を見て、ああ、そうか、と心の中で納得する。

「おそらく、変えることができるのは、君、だろう」

 その言葉に、望美が勢いよく顔を上げた。

「どうやって!?」

「わからん」

 譲の姿の忍人の言葉に、望美がポカンとした後、思わず拳を握る。

 それに気付いていないのか、譲の姿の忍人はゆっくり言った。

「だが、夢を変える鍵は、君なのだろう」

「私?」

 目を瞬かせる望美に、譲の姿の忍人が呟くように言う。 

「確実に、助かる道があれば。それが納得できるものならば、意識も変えられよう。意識が変われば、夢は変わる」

「確実に…」

「彼ではなく、君が、だ」

 付け加えられた言葉に、望美が目を見開いた。

 そんな様子に、譲の姿の忍人が小さく笑みを浮かべる。

「死にたいわけでも、泣かせたいわけでもない。ただ、失いたくない、守りたいだけだ」

 夢に聞こえる叫びが、嘆きが、向けられるのは、ただ一人。

「己が死ななくても、確実に守れるとわかれば、きっと変わる。夢が変わることを恐れる彼の意識を、変えてくれ」

 静かな、けれど強い意志を秘めた笑みは、譲そのもので、望美は泣きたくなった。

「そして願わくば」

 傍らに居て欲しい。

 最後の言葉を飲み込んだ譲の姿の忍人を、望美が不思議そうに見る。

 こんなところまで同じなのかと、自嘲めいた笑みを浮かべた。

 彼と入れ替わらなければ、気付くことのなかっただろう想い。

 これが良いか悪いかは、分からないが、拒む気にはならなかった。 







 リーン ゴーン リーン







「忍人さん、大丈夫ですか?」

 突如ふら付いた忍人を支えるように、望美が抱き付く。

 しばらく固まった後、ゆっくりと目を開けた彼は、目を見開いた後、すぐに離れた。

「どうしたんですか?」

 覗き込むようにして近づくと、ほんのりと頬を染めている。

 この仕草は。

「ゆ、譲くん!?」

「………………はい、先輩」

 ポツリと呟いた声は、言葉は、間違いなく幼馴染のもの。

 反射的に、望美は譲にしがみつくように抱き付いた。

「先輩!?」

「ゆず、る、くん」

 堪えていた涙が零れ落ちる。

 慌てた譲は、少しだけ手を彷徨わせた後、優しく抱き締めた。

 宥めるように何度も背中を撫でる。

「何だか、すごく久しぶりな気分」

「そうですね。数日のはずなんですが」

「うん、そうだね」

 涙声で、それでも嬉しそうに望美が言うので、譲が悪戯っぽく囁いた。

「淋しかったですか?」

「うん」

 あっさりと頷かれて、譲が赤くなる。

「オムレツ食べたいし、シチューも恋しいし。白龍もプリンを食べたがってた」

 そっちですか、と譲が溜め息を零す。

「譲くんの姿があっても、声が聞こえても。譲くんの言葉がないと、落ち着かない」

「先輩……」

 ぎゅ、と抱き付いた後、満足したらしい望美が離れる。

 名残惜しい気持ちで見つめたら、望美が極上の笑顔で言った。

「譲くん、誕生日おめでとう」

「え?」

「本当は、あの日の夜、言うつもりだったの。旅の途中だから、お祝いらしいことはできないけど、言いたかった」

「…ありがとうございます」

 感極まったように、譲が微笑む。

「プレゼント、何にしようか迷ってたけど」

「気持ちだけで、十分ですよ」

「ううん、決めた」

 迷いが晴れた顔で、望美が譲を見上げる。

「夢。新しい夢を、あげる」

「え?」

「忍人さんが教えてくれたから」

「は? 先輩、いったい彼と何の話をしていたんですか!?」

 驚く譲に、望美は笑みを見せるだけ。

「さ、行こうよ。みんな心配してるよ」

「食事のですか?」

「もちろん。譲くんのごはんでないと、力でないもん」

 照れ隠しに言った言葉を、力強く同意される。

 肩を落とす譲だが、望美の笑顔に気を取り直す。

 何があろうと、この笑顔を守りたいと願いながら。 







「譲さん!? 具合悪いの!?」

 突然目を抑えて固まった譲に、千尋が慌てる。

 抱きとめるように腕を支えると、ゆっくりと頭を振った彼は、自分を見て固まった。

「譲さん?」

「…………………………異性に軽々しく抱き付くものではない」

 淡々とした口調で言われ、千尋が目を瞬かせた。

「お、忍人さん!?」

「ああ」

 さりげなく体を離すそっけない仕草に、ああ忍人だと、千尋が目を潤ませた。

 その顔を見て、忍人が眉根を寄せる。

「どうしたの?」

「……泣いたのか?」

 涙の跡を指で撫で、少し赤い瞳を見て、忍人が低い声で呟く。

「ここにいたのは、彼、なのだろう。何があった?」

「ち、違うから!」

 忍人が勘違いしているようなので、千尋が慌てる。

「その、譲さんは相談に乗ってくれただけ」

「相談? 何の?」

「えと、その」

 言えるわけがない。

 どう誤魔化すか困っていたら、忍人が小さく溜め息を吐いた。

「何もないのなら、いい」

「あ、うん」

 突然言葉を切られて、千尋が困惑する。

 問い詰められるのは困るけれど、こんな風に突き放されるのも辛い。

 忍人は忍人で、自分には言えないことを話していたのかと、沈んでいる。

 相談に向いている性格ではないと自覚しているが、泣くような話を他の男と、とそこまで考えて、自分も望美の涙を見ていたことを思いだした。

 本人だからこそ、言えないこともあるのだと。

 ならば……、いや。

 自分に置き換えかけて、そんなわけがあるまいと首を振る。

「忍人さん?」

「ああ……。君とこうして二人で過ごすのは、珍しいと思っただけだ」

「忍人さん、忙しいから」

「君こそ、いつも誰かと共にいるだろう。那岐や風早はどうしたんだ?」

 だいたい何もない時は、どちらかと一緒にいることが多い。

 珍しいと思って聞くと、千尋が困った顔をした。

「那岐は一人でどこかに行ってしまって、風早は…岩長姫たちと、広間にいるんだけど」

「そうか。ならば行こう」

「え?」

「戻ったと、早く伝えたほうが良いだろう」

「今は止めた方が…」

「どういうことだ?」

「行けば分かるけど」

「どっちなんだ」

 結局うまく説明できない千尋を促し、広間に入った忍人が、その惨状に怒鳴り声を出した。

 ああこれでこそ忍人だと安心してしまう自分は、変わっていると思う。

 怒鳴られても酔っ払いたちは笑うだけで、ますます怒る忍人に、千尋は心からの笑みを浮かべた。







 ひと時の贈り物。

 授けるのは祝福。

 それを幸福に変えるのは貴方たち。
 


 おめでとう



 幸せに





 遠くで精霊の、鈴のような声を聞いた気がした。












「あの、九郎さん、これは何でしょう?」

 目の前に差し出されたものに、譲が困惑する。

「刀だ」

「それは分かりますけど、何故俺に?」

 小太刀なら持っているのにと不思議そうにすると、九郎が目をキラキラと輝かせて言った。

「譲には並みならぬ剣の才があると知った。共に極めようではないか!」

「え、ええ!?」

 無理です!と叫ぶ譲に、成せばなると引かない九郎。

「望美、止めないの?」

「んー、私もちょっと見てみたいなぁって思って」

 そんな二人を生温かな目で見守る龍神の神子様御一行だった。






「忍人、これを作ってください」

「は? 何だこれは」

 柊に差し出された竹簡を見て、忍人が首を傾げる。

「レシピ――料理の作り方です。譲くんが書き残してくれたんですよ」

 風早が笑顔で説明する。

「私が読みますから、ぜひ」

「何で俺が!」

「師君の命令です。忍人も作れるはずだから、と」

「ふざけるな!」

 忍人が怒るが、糠に釘、二人はやんわりと、けれど全く引かず、押してくる。

「止めないの、千尋」

「私も食べたいもん」

 那岐の呆れた声に、千尋が笑顔で答える。 

 このあと夕霧のお茶攻撃があることをしらず、兄弟弟子を怒鳴り続ける忍人だった。 





「忍人さん…」

「譲…」



 まったく面倒なことをしてくれたものだ、と、二人は異なる時空で同時に頭を抱えた。

 けれど。

 彼の内にいて、彼らと接して、とても大切なものに気付いたから。

 伝える言葉は一つだけ。



 ありがとう。



 彼にも、そして祝福を与えてくれた精霊にも。








 

 
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