魔法のベルが鳴るとき ~忍人・譲編~ ( 3 / 5 )
その日は宿を取ることができ、望美たちは一息ついた。
夕食前の一時、譲の姿の忍人が庭に立つ。
不思議な光景だった。
この時間、譲が一人で外にいることは、滅多にないから。
「あの、忍人さん」
「ああ、君か」
望美がおずおずと声を掛けると、譲の姿の忍人が振り返った。
「すみません」
ゆっくりと頭を下げる望美に、忍人が首を傾げる。
「たぶん、入れ替わったの、私のせいじゃないかって思って」
「え?」
「譲くんに休んで欲しいって思ったから。せめて体だけでもって」
「それが?」
「前にもあったんです。最初は譲くんが精霊に気に入られたから、らしいんですけど。
そのときに精霊の力で仲間と中身が入れ替わって、その間、動かないで居た譲くんの体が休まったっていうから。
譲くん、いつも働きすぎてて……だから、入れ替われば…って…」
今日は譲の誕生日。なのに、何も贈ることができなくて。せめて回復させることができればと、声には出さずに祈っていた。
そのせいではないかと、望美は考えた。
前にも一度、白龍が自分の為に精霊に願ったことがあったから、余計にそう感じていた。
「だが、君が呪いをかけたわけではないのだろう」
「あ、はい」
不思議そうな譲の、忍人の声に、望美がこくりと頷く。
「それなら、気にする必要もない。考えただけでなったのだとしたら、こちらの二の姫にも原因がある」
「姫、ですか?」
「剣を使うなとか、体を休めろとか、よく噛み付かれるからな」
自身の無茶を棚に上げて、困ったものだと譲の姿の忍人が呟く。
譲もそう思っているのかなと、望美はいつもの譲の困ったような笑顔を思い出した。
けれど、譲の疲れは普通の疲労とは違う。下手をすれば命に関わりかねない。だから、休んで欲しいと思うけれど、それを忍人にどう説明していいのかわからない。
「でも……大切な相手が疲れているなら、休んで欲しいと思います」
「それはお互い様だろう」
譲の姿の忍人が苦笑する。
今までの人と違い、忍人は譲に似ている気がすると、親しみを感じ始めた望美に、忍人が思い出したように告げた。
「ああ、そうだ。弁慶殿に言われていたが」
言いながら、望美に縁側に座るように勧める。
素直に座る望美の前に仁王立ちし、忍人が言った。
「戦闘には参加するなと言われたので、君の戦い方について進言しようと思う」
「は、はぁ。ありがとうございます」
望美がきょとんとして答えると、忍人が鋭い口調で告げた。
「今日の戦いについてだが。効率が悪い、集中力が欠けている」
「え、えっと?」
「ことあるごとに背後を気にして、何度か攻撃を避け損ね、仲間にかばわれて事なきを得ていたが」
「す、すみません」
進言というよりは、お説教のような言葉の数々に、望美は思わず正座してしまった。
止まることなく降り注ぐ叱咤の言葉は的確で、頭を下げてしまう。
「最後の盗賊に対しても、そうだ。君があの位置から無理をして切り込む必要はない。
腕の立つものが近くにいたし、俺が敵を倒せるのも確認したはずだ。一歩間違えれば、君自身が怪我を負うことになる」
危ないことはしないで下さいと、譲にも再三言われた。
けれど、忍人の口調は、言葉は、それとはどこかズレている感じがする。
その違いがはっきりと分かったのは、続く言葉を聞いたときだった。
「だいたい君には龍神の神子としての自覚がなさすぎる。皆を率いている立場を軽く見すぎている。そもそも将として資質がない」
譲の姿の忍人の説教を黙って聞いていた望美だが、突然顔を上げて叫んだ。
「勝手なことを言わないで! 私は皆を率いているわけじゃないし、将でもない! 望んで神子になんか」
そこまで言って、口を引き結ぶ。
「とにかく、貴方はおとなしく休んでて!」
泣き叫んで走り去るのを、忍人は呆然と見送った。
いつものように、軽々しく行動する相手を諌めただけのつもりだった。
言われた彼女は申し訳なさそうにしながらも、懲りずに繰り返すのが常だった。
あんな風に悲痛な叫びを上げるとは、思えなかった。
似ているから、混同していたのだろうか。
反応も同じだと決め付けていたのか。
譲の姿の忍人が考え込み始め時、名を呼ばれた。
「忍人殿」
「…弁慶、殿」
見られていたのかと、バツが悪い様子でこちらを見る譲の姿の忍人に、弁慶が苦笑した。
「彼女は努力しています。あまりいじめないであげてください」
「いじめる、などと」
「先ほど言われた言葉は、望美さんに対するものというよりは、貴殿の姫に対する言葉のように聞こえましたが」
「それは……」
常日頃、思うどころか口にしてきた言葉であるため、忍人は反論できない。
譲の姿で口篭る様子は彼そのもので、望美が混乱するのも無理はないと弁慶は思った。
「望んで神子になったわけではない。そういいかけて言葉を止めたのは、彼女の優しさでしょう。
望美さんは白龍をとても可愛がっていますから。白龍が傷つく言葉を、口にできなかったのでしょう」
「……彼女は神子であることを、嫌っている、のか?」
「いいえ。少なくとも彼女は、戦うのが嫌だとも、神子が嫌だとも、ただの一度も口にしたことはありません。貴殿に会うまで」
自分が悪いように聞こえて、忍人が口ごもる。
「彼女は貴殿の姫とは立場が違います。王族でもなければ、巫女でもない。
戦のない国、時代で生まれ、何も知らずに過ごしてきた、普通の少女です。
突然押し付けられた力や役目を恐れ拒むのは、当然のことだと思いますよ」
それでも、言ったのが譲の姿でなければ、彼の声でなければ、あんな言葉は思いつきもしなかっただろう。
ただ一人、望美が神子であること、戦うことを、今なお望まない譲でなければ。
望美が望美であれば良いと、そうあれるようにと、心を砕いてきた譲の声だからこそ、傷ついたのだから。
「だが、戦うことを選んだのは、彼女自身だろう」
「選ばせたのは僕達……いえ、僕、ですね。神子の務めを果たさなければ、元の世界に戻れない。ある意味、彼女たちには選択肢が無かったのですよ」
哀しげに目を伏せた弁慶に、譲の姿の忍人が戸惑う。
その姿にまた彼の姿が重なり、弁慶が苦笑気味に言った。
「何より、譲くんの姿で言われたのが、辛かったのでしょうね」
「え?」
「彼はいつも、望美さんが安らげるように心を砕いていましたから。その身を案じ、無茶をしないよう諌めても、他人の命を背負えなどと、口が裂けても言わないでしょう。
言わなくても、彼女は過分に命の重さを、痛みを背負っています。それを、誰よりも感じ取っているから。
軽くするよう努めても、重く感じさせるようなことは、できないでしょう」
僕達が感じることのできない重さを、彼らは感じているんですよと、弁慶が哀しげに呟いた。
忍人は胸を突かれたように痛みを覚えた。
千尋に言ってきたことは、間違っていたとは思わない。
また、そうして覚悟と自覚を促さなければならない立場でもある。
国を負い、神を借る、その血を引く彼女には。
けれど、他国の民に、龍神の声が聞こえるのなら同じように負えとは、忍人とて口にしない。
立場が違う。役目が違う。何より、目指すものが違う。違う相手にそれを押し付ける気は、忍人には無い。
「数日です。その間、できるだけ体を休めて過ごしてください。それが、互いの為ですよ」
譲の姿の忍人は、唇を引き結んだままゆっくりと頷いた。
「信じられない!!」
説明を聞いた千尋が、那岐のバカ!と怒る。
ぷんぷんと息を巻く彼女に苦笑しながら、譲がお茶を勧めた。
「いい香り」
「ミントですよ。和製なので、向こうのものほど強い香りではありませんが。蜂蜜を落としてどうぞ」
こくんと一口、口にすると、すっきりとした香りが気持ちを落ち着かせる。
「でも、えっと、譲くん?だっけ? 大変だね」
「ええ、まぁ。皆様にはご迷惑をお掛けしますが、数日のことだと思うので、どうかそれまで宜しくお願いします」
頭を下げる忍人の姿の譲に、微妙な顔をする。
「やっぱり、おかしいですか?」
自分の言動が奇異に映るのだろうかと、問いかける。
「あ、うん。それもあるけど……」
おかしいというのは否定せず、千尋がカップを両手で持つと、顔を伏せた。
「こうなったの、私のせいかなって」
「え?」
「鈴の音が聞こえたの。願いを叶えてあげるって。だから」
「入れ替わることを、望んだのですか? 忍人さんから、離れたかったとか?」
「違う!」
忍人の姿で、声で言われて、反射的に千尋が怒鳴る。
きょとんとして目を瞬かせる忍人の姿の譲に、ごめんなさいと呟いた。
「もしかして、千尋さんも、この人に休んで欲しいと思っていたとか」
「そう……だけど、何で分かるの?」
「先輩……俺の神子も、そう言って、入れ替わればいいって言ったことがあったので」
中身が違うなら、無茶をしないからと。
忍人の姿の譲がそう言って苦笑した。
仕方ない人だといいながらも、その眼差しが柔らかく、温かく、声がとても優しくて、甘くて、千尋の顔が切なげに歪む。
彼は、こんな風に自分を見詰めてくれたことがあっただろうか。
こんなにも愛しげに、自分のことを話したりするだろうか。
「どうして彼と入れ替わったのか分からなかったけれど。俺たちは自分の神子に、過剰に心配をかけていたんですね」
「譲さんも、無茶をするんだ」
湧き上がる胸の痛みを誤魔化すように千尋が言うと、譲が肩を竦めた。
「俺は、無茶をした覚えはないんですが、先輩にはそう見えるみたいです。
俺にしてみれば、先輩の方がよっぽど無茶をしているんですが」
「それでお説教したりする?」
「ええ、まぁ。できるだけ、危ないことはしないでくださいと言うんですけど、何しろ時代が違うので『危ない』の感覚がついてこないようで」
「そっか」
言いながら、千尋が微笑む。
「似てるのかも。譲さんと忍人さん」
「そう、ですか?」
自分が普通に会話するだけで、青ざめたり爆笑したりしていたけれど、と、怪訝な顔をすると、その顔がそっくりだと千尋が笑った。
「忍人さんも、説教がすごいの。もっと自覚を持て、敵がいたらどうするんだって。自分だって、無茶ばっかりするのに」
「でも、それは貴方のことを案じているからで」
譲が言うけれど、千尋が首を振る。
「私は出来が悪いから。本当なら姫だ将軍だなんていって、上に立てるような人間じゃないんだ。
だから、忍人さんも気が気じゃないんだと思う。どれだけ頑張っても、必ずお説教が来るから」
言っていて、哀しくなった。
忍人の言葉を全部を飲み込んで、活かしきれない自分が悪いのだろうけれど。
自分は忍人の期待に応えることができない。
それなのに、忍人を案じて、どうこうしようなんて、おこがましい。
忍人にしてみれば、わずらわしいのではないだろうか。
涙が滲んでいる千尋を見つめて、忍人の姿の譲がゆっくりと言葉を告げた。
「千尋さんは、忍人さんの説教が、鬱陶しいと思いますか?」
「え?」
「口うるさくて、余計なことだと感じますか?」
「ううん」
千尋がぱっと顔を上げる。
「きついことを言われたりもするけど、忍人さんの言葉は的確だし、私に必要で大切なことだから、ちゃんと説明してくれるんだもの。ありがたいと思ってる」
はっきりと言う千尋が、その眼差しが、望美のようだと、譲は思った。
強くて、まっすぐで、目を逸らすことなく前に進み続ける、澄んだ眼差し。
けれど、迷わないわけではないのだろう。
「だったら、忍人さんも同じだと思いますよ」
忍人の姿の譲が柔らかな笑顔でそういうので、千尋が目をぱちぱちと瞬かせた。
閉じた拍子に、目の端の涙がぽろりと零れ落ちる。
「努力して、聞こうとしているのが分かるから、伝えようとするんだと思うし、自分を案じてくれているのが分かるから、千尋さんの言葉もちゃんと受け止めていると思います。
その上で、従えることはそうするし、できないことはしない。
どうでもいい相手に説教したり、されたりできる人間は、まれだから」
言いながら、忍人の姿の譲が、そっと涙をぬぐう。
「大切だから、守りたいと思うし、そのために動くことを、無茶だと思わない」
愛しい人の姿で、その声で、きっぱりとそう言い切る。
優しい指に、目の前の人物を、間違えそうになる。
「そう、かも、しれないけど。忍人さんが大切なのは」
そこで言葉を止めたのは、切ないから。
自分の心も、目の前の人の表情も。
「千尋さんのことも、大切に思っていますよ」
国を負う立場でなければ、忍人は自分になど見向きもしない。
そう思いながらも、今は目の前の人物の言葉を信じたいと思った。
夕餉の後、忍人は眠る気にならず、ぼんやりとしていた。
夕方の、望美の声が耳の奥で木霊する。
千尋もそう感じていたのだろうか。
当たり前のことを言ってきた。
また、知らなければならないことを伝えてきた。
どれだけ厳しく言っても笑っているから。
そのことに甘えていたのかもしれない。
あんな風に、苦しんだことがあるのかもしれない。
星を見ながら溜め息を吐くと、横から音がした。
「眠れないの?」
「君か」
ゆっくりと歩いてくる望美に、譲の姿の忍人が顔を向ける。
「夜に出歩くのは感心しないな」
「宿の中だよ」
「それでもだ。女性が男の前に夜更けに現れるものではない」
そう告げると、望美の顔が泣きそうに歪んだ。
それでも笑みを浮かべて、望美が言う。
「譲くん、そっくり」
彼の体なのだから、当然だろうと忍人が言うと、望美はそうじゃなくてと苦笑した。
「言うことが、似てるの。今までの人は譲くんと全然タイプが…性格が違って、言うことも表情も全く別物で。だから違うって分かったけど」
それでも彼の声で言われるのは辛かったと、小さく呟く。
譲の姿の忍人は居心地悪そうに、身じろいだ。
望美は少し離れた場所で、譲の姿の忍人がそうしていたように、夜空を見上げた。
「譲くんも、良くそう言ったんだ。こっちじゃ違う意味にとられるから、夜に部屋にきちゃダメだって。
家族みたいなものなのにって言うと、それでもダメって言われた」
通っていたのかと驚いたが、違う意味にとられると言っていたのなら、違うのだろうと、言葉を飲み込む。
「こっちは元の世界とは違うんだから、気を付けてください、危ないことをしないでくださいって、何度も……」
「辛かったか?」
「え?」
「あ、いや……」
あまりに切ない表情をしたので、思わず呟いた。
彼女の声が、あるいは神気が、千尋と重なる。
慌てて顔を逸らすのを見て、望美が小さく笑った。
「黙って出かけたり、一人で行動すると、危ないって口うるさく言われたけど。
心配されてるのが分かるから。譲くんに叱られて、辛かったことなんてないよ」
言いながら、再び夜空を、星を見上げる。
「いつだって、私の為に怒ってくれる。いつも、私の為に我慢して、私を守って怪我をする。
死にたくないって言いながら、私の代わりに死ぬ以外の道を選ばない人だから」
小さな星の光を焼き付けるように見ながら、望美が言った。
「だから、譲くんに叱られるのは、嬉しいの」
共に生きようと言われているようで。
光があふれる。
瞳いっぱいに光が広がる。
この光が全部、彼の命に変わればいい。
ああ、けれど。
光があふれたのは水があふれたから。
瞳を覆う水が、光を拡散しただけのこと。
本当は何も変わらない、変われない。
頬を伝い落ちる涙が星明りを受けて輝く。
綺麗だと、思った。
止めたいと思い、そして見ていたいとも思い。
千尋とは違うのだと、思い知らされる。
彼女は自分の前では滅多に泣かないし、こんな風に静かに泣くことはないだろう。
あるいは、自分の見ていないところで、彼女もこうして泣いていたのだろうか。
望美の瞳から零れた雫をぬぐうことも出来ずに、忍人はいい得ようのない気持ちで目を閉じた。
瞼の奥ではいつまでも、小さな光が瞬いていた。
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