初恋 ( 6 / 7 )
「譲くん!」
井戸端で顔を洗っていると、明るい声が響いた。
慌てて確かめる必要もない、「先輩」の声。
手ぬぐいで軽く水滴を拭うと、俺は顔を上げた。
声の主は手を後ろで組んで、ニコニコ見つめている。
「ずいぶん早いですね。もう、頭は痛くないんですか?」
床を上げてまだそれほどたっていないのに、絶好調な笑顔が答える。
「うん! あんまり寝てると、今度は寝過ぎで頭痛くなっちゃうし。サボってた分、剣の稽古もしなきゃいけないし」
「サボってたんじゃなくて、休養してたんですよ」
一緒に庭を歩きながら、先輩が記憶をなくしていた間のことをまったく覚えていないのに安堵した。
この場所にはつらい思い出があるはずだ。
とても明るく微笑んだりなどできないだろう。
そう、あの夜。
意識を取り戻した先輩は、「先輩」に戻っていた。
「怨霊は?! ちゃんと倒せたの?!」
目覚めた第一声がそれで、八葉は全員、ほっとするとともに苦笑した。
それでいい。
先輩は先輩らしく、明るくまっすぐ進んでいってほしい。
記憶がないのなら、ファーストキスもまだ……ということになるのだし。
俺は空を見上げて、「望美さん」を思い出した。
幻のような恋。
もう、俺の胸の中にしか残っていない…。
「譲くん?」
立ち止まった俺に気づいて、先輩が声をかける。
「あ、すみません」
「そういえば将臣くん、本当にいきなりだったね」
先輩は、俺が兄さんのことを考えていると思ったらしい。
長岡天満宮への道で会った、尼僧と少年を送り届けなければいけないと言って、突然去っていった兄さん。
先輩と兄さんの別れがあんまりサバサバしていたので、愁嘆場を予想していた俺は気が抜けた。
「まったく、兄さんは八葉の自覚が薄いんだから」
「ふふ…。将臣くんは昔からああだからね。木気の分は九郎さんに頑張ってもらおう」
「……」
「何?」
「…いえ…、そうですね。今はどの五行も2人ずついるから……」
「駄目だよ!!」
突然、先輩が大きな声を出した。
「…先輩?」
「譲くんは、どっかに行っちゃ駄目だよ! いなくなったりしちゃ、嫌だよ」
大きな目で、まっすぐ見つめて訴えてくる。
「……そう…ですね。先輩の目覚まし時計、兼料理係ですから」
「そういうんじゃなくて…!」
先輩が真剣に怒り出したので、俺は少し笑って言った。
「わかってます。何があっても俺があなたを守りますから、心配しないでください」
次の瞬間、先輩が突然泣き出した。
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