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踏み出した一歩 ( 2 / 3 )

 



この世界に来てから、鷹通さんは詩紋くんの家……正確には詩紋くんのおじい様の家にお世話になっている。

フランス人でありながら根っから日本びいきのおじい様は、平安時代からやってきたような(実際そうなのだが)鷹通さんにベタ惚れらしい。

門が見えるあたりまで近づくと、詩紋くんが手を振りながら走ってきた。

「お帰りなさい、鷹通さ〜ん! あ、あかねちゃんも! いらっしゃ〜い!!」

「お〜、帰ってきたか」

天真くんもひょっこり顔を出す。




「うわ〜」

「へ〜」

詩紋くんと天真くんに新しい髪型をまじまじと見られて、鷹通さんは少し頬を染めた。

「すごく素敵でしょ?」

私が言うと、

「……っていうより、こりゃあかね、心配だろ」

「うん。ますますモテそう」

二人は一番痛いところを突いてくる。

「どうする、鷹通が友雅みたいになったら」

天真くんがヒソヒソと囁いた。

「そ! そんなわけ…」

「あかねさん?」

門内から鷹通さんに呼ばれ、私は無言で駆け出した。



* * *



「大学図書館?」

「おお、正確に言えば国文科用の分室らしいけどな」

鷹通さんの部屋で、天真くんの持ってきた資料を覗き込む。

彼は鷹通さんに頼まれてアルバイトの口を探してきてくれたのだ。

大学に入るまでそんな心配はいらないと、詩紋くんのおじい様も言ってくださっているが、せめて参考書代や受験料ぐらいは自分で稼ぎたいというのが、鷹通さんの考えだった。

「私などでよろしいのですか」

鷹通さんの問いに、天真くんは

「いいも何も、今すぐ国文科の研究室に入ってもらいたいって感じだったぜ」

と、ウインクした。




「え? どういうこと?」

尋ねた私の目の前に、「これだよ」と天真くんが長い巻き紙を広げる。

書かれているのは、鷹通さんの流麗な文字。

「『子供のころから書道を習っていて、古典文学にもものすごく詳しい奴だ』って見せたら、その教授、ヨダレを垂らさんばかりだったぜ」

「平安貴族が書いたみたい……だものね」

詩紋くんがクスッと笑った。

確かに、鷹通さんの年代でこんな文字の読み書きができる人間はほとんどいないだろう。

「半年くらい前にどこかの寺で大量に古文書が発見されて、その解読に手こずってるらしいんだ。アルバイト募集の職種は文書の整理だったけど、明らかに解読のほうに回すつもりだろうな。一応、時給アップの交渉もしてきた」

「さすが天真くん。あっちでも一人でサバイバルしてたものね」

心から感嘆して、私は言った。




「私がお役に立てるようであれば何よりです」

「鷹通さん、でも、志望学部は違うんですよね?」

詩紋くんが尋ねると、鷹通さんはこっくりと頷く。

「私はやはり、法律を学んでみたいのです。律令の世から、人がどのような歴史を経てこのような世界に至ったのか……。そして、その知識をこの…京都のために使いたいと考えています」

「天下無敵の地方公務員だな」

天真くんが溜息とともに言った。

「僕、やっぱり地元の大学に進もうかな。鷹通さんがいるなら、素敵な場所になりそうだもの」

「詩紋、そりゃ高校に入ってから言うことだろ」

「もう! わかってるよ、天真先輩」

楽しげに談笑する三人を眺めながら、私の心はやっぱりいまひとつ晴れなかった。




「お茶でもいれてくるね」

勢いよく立ち上がると、パサッと軽い音がして何かが落ちる。

「あかねちゃん、それ、何?」

詩紋くんに言われて見ると、さっき美容院でもらった包みだった。

「あ……!」

「私の髪ですよ。あかねさんが美容院から持ち帰られたのです」

拾い上げながら、鷹通さんが説明する。

「あ〜、そっか、かなり長かったもんなあ。綱でも編むか?」

「なんで綱なの? 天真くん」

「そういえば、おばあさまに聞いたんだけど」

詩紋くんが、思い出したというように口を開いた。

「病気の治療で髪の毛が抜けた人のために、カツラ用の髪の毛を寄付する運動があるんだって」

「へえ」

「それはいいですね」

天真くんと鷹通さんが、即座に相づちを打つ。



胸の奥がズキンと痛んだ。



「詩紋殿は、寄付する先をご存じですか?」

「おばあさまに聞けばわかると思いますけど」

「鷹通の髪なら、染めたりパーマかけたりしてないから喜ばれるぜ、きっと」

「じゃあ、僕がおばあさまに渡しましょうか」

「ま、待って!」

思わず口を挟む。




「あかね?」

「あかねちゃん?」

「そんな……そんなにすぐに決めないで。それは……鷹通さんと京をつなぐもので、そんなに簡単に手放していいものじゃ…」

心の中が大きく波立っていた。

取り返しのつかないことになりそうで、不安が胸に渦巻く。

握りしめた手に、不意に温かい手が重ねられた。

目を上げると、鷹通さんの穏やかな表情。

「私は、よい使い途だと思いますよ、あかねさん。どなたかの役に立つのなら、これ以上うれしいことはありません」

「……鷹通さん」




私は多分、泣き出しそうな顔をしていたのだと思う。

天真くんと詩紋くんは気まずそうに顔を見合わせ、

「……まあ、確かにそんなに急ぐことじゃないよな」

「うん。ごめんね、あかねちゃん。勝手に話を進めちゃって」

と、口々に言うと立ち上がった。

「じゃ、鷹通、とりあえずバイトの件は伝えたからな。なんかわからないことがあったら連絡くれよ」

「鷹通さん、あかねちゃん、またね」

「ありがとうございました、天真殿、詩紋殿」

足音が遠ざかり、部屋には私と鷹通さんの二人だけが残された。