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朝夷奈再訪 ( 3 / 4 )

 



「泉水橋で下りていい?」

「え? あ、はい」

バイパスから鎌倉駅行きのバスに乗り込むと、望美が言った。

泉水橋は、さっき切り通しを歩くために下りたバス停から少し鎌倉駅寄りにある。

橋の下を流れる川沿いに明王院という寺の方角に進むうち、譲は不思議な感覚に襲われた。

「………あ…」

横を歩く望美が顔を覗き込む。

「…わかる?」

こくんとうなずいて答えた。

「…ここ、景時さんの……!」




道路や住宅で大きく変わってはいるが、山が間近に迫る風景は、間違いなくかつて見たものだった。

異世界の鎌倉で、八葉たちが逗留した邸。

「……ここ…だったんですね……」

何か残っていないかと見回しながら、譲の脳裏をふっと白龍の声がよぎる。

(時だけでなく、場所だけでなく、譲の世界とは違う「京」)

「……そうか、時空が異なるんだから、残っているわけないな…」

「…………」

気づけば、横を歩く望美が黙り込んでいた。




「…先輩?」

「………譲くん…」

うつむいたまま、望美が口を開く。

「……私が……時空を超えたっていう話は、もうしたよね」

「はい…」

屋島で譲を失った後、白龍の逆鱗を使って時空を飛んだ。

鎌倉の景時邸で、朝餉の支度をする譲のもとに。

そうして、そこから先のすべての運命を変えた。

黒龍の逆鱗を射抜き、源平の戦に幕をひき……

だが、譲を一度失った恐怖は簡単には癒えず、突然泣き出したり、不安がったりして譲を訝しがらせた。

そして、無事鎌倉に戻った後、望美はついに真相を告げたのだった。




「あの……あのね…」

「はい」

つないだ手を望美がギュッと握る。

「本当は、屋島に行くまで、譲くんとほとんど口がきけなかったの」

「…? どういうことですか」

望美は目をつぶり、立ち止まった。

譲は辛抱強く、次の言葉を待つ。

「……この邸で……私、ひどいことをしてしまった…」

「…先輩?」




望美の脳裏に、あの忘れられない夜の記憶が甦ってくる。

譲の夢見がよくなるよう、お守りをもらって帰った山道。

気づけば真夜中で、憔悴した顔の譲が庭に佇んでいた。

「私……譲くんにお守りを渡そうと思って、若宮大路のほうまで出掛けたの。いろいろ手間取って、結局帰ってきたのは夜中近くで、あ、ヒノエくんが一緒だったから危ないことはなかったんだけど、行き先を言わずに出たから譲くんをものすごい心配させちゃって……」

「……はい」

譲はその状況を想像してみる。

きっと死ぬほど心配しただろう。

しかも、ヒノエと一緒に帰ってきたのでは……。

「…その……」

望美が言いにくそうにうつむく。




「俺が先輩に八つ当たりしたんですか?」

「や、八つ当たりとかじゃないよ! 悪いのは私だし…!」

譲の目を見つめたまま、何とも言えない表情をする。

「それに私……そのときまで、譲くんの気持ち……気づいてなかった」

「…先輩…」

どうやら取り乱して告白までしてしまったらしい…と、譲は悟った。

その時の自分の気持ちが、妙にリアルに理解できて、少し居心地が悪い。

「…それじゃ、先輩は被害者じゃないですか。気にすることなんて…」

「違うの!」

望美が必死にすがってくる。




「私、知らなかった。譲くんが、私をかばって死ぬ夢を見続けていたなんて…! わかっていて……それでもそばにいてくれたなんて…!」

ポロポロと涙がこぼれ落ちる。

「譲くん、言ったの。『終わりなんていつ来るかわからない。でも死にたくない』って。『先輩をこの世界に一人で残したくない』って。夢のことを……夢のことを言っていたんだって、私、すべてが手遅れになってからようやくわかって……!!」

泣き崩れる望美を、譲は両腕で支えた。

「ごめんなさい…! 本当にごめんなさい…!!」

「先輩……」

望美は、自分に謝っているのではない。

異なる時空で、望美をかばって息絶えたもう一人の譲に謝っているのだと…。

泣きじゃくる肩をなだめながら、譲は思った。




人通りの少ない、寺の奥の道に嗚咽が響く。

絞り出すような、悲痛な泣き声。

「……あなたにそれだけは知られたくない」

ぴくんと腕の中の望美が動く。

「ずっと、そう思っていました。何があっても隠し通そうと」

「譲くん…!!」

望美の唇に指をあて、言葉を遮る。

「…でも、俺は勝手だったんですね…。あなたがこんなに傷つくなんて、思いもしなかった」

ポロポロと涙をこぼしながら、望美が頭を左右に振る。

「……あの日…、あなたが廚に現れたとき、本当に驚いたんです。前日までとまったく面変わりして、やつれて、顔色も悪くて……。どれだけ怖い夢を見たんだろうって、あのときは思ったけど…」

ギュッと望美を抱きしめる。

「俺のほうこそ、本当にすみませんでした」




譲の腕の中で、望美はまた頭を振った。

「私、私、本当に……譲くんがいないと駄目だったの。眠ることも、食べることもできなくなって、生きてるのか死んでるのかもわからなくなって……。なのに、逆鱗が砕けてしまって。どうすればいいのかわからなかった。会いたくて、会いたくて、どうしようもなくて…!!」

「先輩…!」

あの朝、腕の中に飛び込んできた望美は激しく震えていた。

その感触を譲は思い出す。

怨霊に出合っても、さまざまな辛い場面に行き合っても、あそこまで望美が取り乱したことはなかった。

(俺はなんて勝手なことを…)

望美の髪や背中に触れて慰めながら、譲は唇を噛み締める。






 
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