朝夷奈再訪 ( 2 / 4 )
ほどなく、三郎の滝と呼ばれる石碑の立つ場所に行き着いた。
手前には有名な太刀洗水がわき出している。
異世界に行く前は、その由来さえ知らなかった望美だが、景時と行動を共にし、彼が抱える葛藤を目の前で見た今では、感慨深いものがある。
「……景時さん……元気かな…」
「先輩は、俺たちの世界とは違う歴史の流れを作ったんです。きっと、あの人らしく生きていますよ。もちろん、九郎さんも、弁慶さんも」
頼朝の命で上総ノ介広常を暗殺し、この泉で血刀を洗ったこと。そのほかにも、数々の謀殺にかかわったこと。
いつものように少し困った顔で、景時は淡々と告白した。
「ごめんね、望美ちゃん。俺ってどうしようもない奴なんだよ」
「先輩、ここでお昼にしちゃいましょうか」
「え?」
物思いに沈みかけていた望美を浮上させたのは譲の声だった。
「この先、ずっと上り坂みたいだし、落ち着いて食べる場所がなさそうだから」
言われるほうを透かしてみると、確かに湧水に濡れた上り坂が続いている。
「そうだね。滝のそばならマイナスイオンがあるからいいかも」
「はは…。あれって、どう身体にいいのか、俺にはよくわからないんですけどね」
いつの間に詰めたのか、デイパックからビニールシートを出して小岩の上に敷くと、「さあどうぞ」という身振りで望美を座らせる。
そして、テーブル代わりのデイパックの上に、おにぎりとおかず数品のささやかなランチを広げた。
* * *
たっぷり食休みを取ってから、歩きがいのあるコースに再び挑む。
(手をつないでおいてよかった)
と譲が思うほど、望美は滑ったりつまずいたり、何かと目が離せなかった。
「キャッ!!」
「危ない!!」
今日何度目になるかわからないキャッチを成功させると、譲は思わず
「……先輩、向こうではこんなに危なっかしくなかったですよね」
と言った。
「…!」
望美がサッと赤くなって黙り込む。
「いえ、体調でも悪いのなら大変だと思って」
心の底から心配して、譲は言葉を継いだ。
「少し休みますか? 歩くのがつらいなら、背負ってでも…」
「…………私は、こんなだよ」
「え?」
小さい声を聞き取ろうと、耳を寄せる。
「………もともと……危なっかしくて、ドジで……」
「先輩…」
そう言われて、異世界に行く前の記憶が蘇る。
将臣はよく、望美のことを「ドジで、放っておけない危なっかしい」存在だと言っていた。
だが譲の前では、年上だという意気込みからか、必要以上にしっかりした面を見せていたように思う。
子どものころ、譲のせいでケガをしたときに、痛みをこらえて慰めてくれたように。
「…!!……」
突然、譲はつないだ手を引き寄せて、望美をギュッと抱きしめた。
「ゆ、譲くん?!」
「……ありがとうございます」
「え? な、何?」
理由がわからず、真っ赤になっていく望美を見つめて、譲は微笑む。
「あちらの世界では、先輩はいつも気を張って、すごく無理してたんですよね。俺、そんなこともわかってなくて」
「そ、そりゃ、緊張感が全然違ったから……。でも、なんで『ありがとう』なの?」
真っ赤なまま首を傾げる望美。
その目をまっすぐ見て、譲が答える。
「気づいてなかったかもしれないけど、先輩は俺の前でも無理してたんですよ。年上らしく振る舞おうって。でも、今、ありのままの自分を出してくれるっていうことは……」
もう一度抱き寄せ、耳元で囁く。
「俺は後輩を卒業できたってことですよね」
「!!」
ドクンドクンと高鳴る鼓動が、絶対に譲にも聞こえているに違いない。
全身が熱くなるのを感じながら、望美は思った。
(た、確かに私、しっかりしなきゃとか全然思わなくなってる…!!)
望美にとって、譲はずっと「自分が守ってあげなければいけない年下の男の子」だった。
実際、小学生の頃は望美のほうが背が高く、将臣にいじめられたり、ケガをしたりしたときに面倒を見るのは彼女の役割だった。
だが、異世界での経験を通じて、譲はいつの間にか「頼れる男性」に変わっていった。
「ゆ、譲くん、何を今さら……。譲くんは私の彼氏でしょ?」
「………はい」
「間が長い!」
「…いえ……、本当になれたんだなあって……味わってたんです」
「………」
水をかけるとジュッと蒸発しそうなほど赤くなっている望美を解放すると、
「じゃあ、先に進みましょうか」
と譲は歩き出した。
手を引いて、少し前を進む。
(昔は私が勝手に走り出して、後ろから来る譲くんを呼んでいたのに……いつの間にか半歩先を歩いて、私を引っ張ってくれるようになったんだな…)
広い背中を見ながら、望美は思った。
ただし、その距離はいつも半歩先で、決して望美を置いていってしまうことはない。
すぐにかばえる距離で、すぐに並べる距離。
「…先輩?」
無言で歩く望美を、譲が心配そうに振り返る。
「…譲くん…」
「はい…?」
にっこりと笑うと、望美は言った。
「かっこいい!」
「…!?」
「ふふふ…」
「な、何なんですか? いったい」
「そう思ったから言っただけだよ」
「…そ、それは……、ありがとうございます…」
望美は、赤くなる譲にもう一度笑いかけると、
「あ、車の音がする。もうバイパスが近いのかな」
と、道の先に目を向けた。
木々にさえぎられた空間が不意に途絶え、真夏の日差しが再び降り注ぐ。
ゴーゴーと行き交う車の音が頭上から聞こえ、そこに大きな道路があることを教えていた。
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