特別編「屋島の合戦」
安徳天皇社(行宮)(香川県高松市)
檀ノ浦の入り江に臨み、背後に険しい屋島の峰をいただくこの地が、六万寺から移ってきた安徳天皇の行宮となりました。
現在は、安徳天皇社という神社になっています(着いた時間が遅くて、真っ暗でした。すみません)。
実際には、源九郎義経の陽動作戦で浮き足立った平宗盛が、一門を船に乗せて海に逃れたため、この天然の要害も役には立ちませんでした。
下左が炎上する内裏、下右が奇襲に成功して休息を取る源氏勢の屏風絵です。
『遙か3』では、海岸で船に乗ろうとする尼御前や安徳天皇を導きながら、「これで倒れるぐらいなら……所詮、源氏の神子もその程度の女ってことさ…」と知盛が放った一本が、対岸にいる譲くんの着物のそでと、中のお守りを射抜きます。
「譲くんの見た夢って、今のことだったんだ」と喜ぶ望美ちゃんを見る譲くんの心情はいかばかりだったことか。
彼は、自分の夢がこんなもので終わるとは思っていなかったはず。
でも、鎌倉以来ギスギスしていた望美ちゃんとの関係がようやく元に戻って、安心したかもしれません。
これでもう、後悔なく……と。
行宮のあった屋島の檀ノ浦を、相引川にかかる橋の上から見た光景(上左)。
右は、対岸の牟礼の浜を、同じく橋の上から撮った光景。
知盛の放った矢は相引川を越えて対岸に届いたということですね。
平家が屋島、源氏が牟礼に陣を張り、激しく矢を射かけあった合戦の様子は、以下の石板に詳しいです(手前が牟礼)。
ちなみに、わずか八歳で入水したこの幼帝の天皇陵は、下関市の壇ノ浦に面した赤間神宮にありますが、実は、日本橋にある水天宮の祭神ともなっています。
水天宮は、二位の尼の女官だった按察使局(あぜちのつぼね)が、二位の尼から共に入水することを止められ、自分たちの霊を慰めるよう命を受けて九州、筑後川のほとりに建てた祠が起源。
この祠は土地の領主、有馬氏によって代々篤く保護され、後に参勤交代で江戸に赴く際、向こうでも参拝できるようにと分霊をして江戸屋敷内に祀ったそうです。
これが、現在の水天宮につながっています。