遙かゆかりのスポット巡り

特別編「平家追悼」

赤間神宮(山口県下関市

 

拍手お礼の時は七盛塚としてご紹介しましたが、今回は七盛塚がある赤間神宮をご紹介します。

壇ノ浦に面して建つ竜宮城を模した印象的な水天門は、二位ノ尼が入水前、「波の下にも都ありとは」と詠んだことにちなみ、昭和33年に造営されました。

もともとは安徳天皇を葬った阿弥陀寺が、明治の神仏分離の際に神社となったそうで、神社としての部分のつくりが比較的新しいのにはそういう理由があるようです。

   


安徳天皇陵(左上)と、水天門越しに見た外拝殿(右上)。
この御陵は日本で最も西にあるものだそうです。
また、神宮の鳥居が海際に建っているので、参道がそのまま海に続いているように見えます。

水天門をくぐり、外拝殿にお参りした後、向かって左に入っていくと「平家一門の墓」、通称七盛塚(下)があります。

   
 


壇ノ浦の合戦で落命した平家一門を合祀した墓で、「盛」が付く七人が含まれているので、「七盛塚」と呼ばれています。
祀られているの人たちの名前の一覧(左下)。
『遙か3』に登場する平知盛二位ノ尼時子の名も見えます。
右下は高浜虚子の歌碑で「七盛の 墓包み降る 椎の露」と書かれています。

   


この塚のすぐ横にある芳一堂は、『耳なし芳一』にちなむもの(下左)。
ラフカディオ・ハーンが取り上げて有名になった怪談です。

盲目の琵琶法師、芳一は夜ごと請われて貴人たちの前で壇ノ浦の段を弾き語りますが、不審に思った和尚が後をつけると、彼がいたのはこの平家一門の墓の前。
このままでは芳一がとり殺されると考えた和尚は、芳一の全身に般若心経を書き、迎えにきた武士の霊に決して答えないように言います。
ところが耳にだけは経を書き忘れたため、武士の霊はその耳を奪って立ち去っていく……という、何とも陰惨な話。

人々が、平家の無念をこんな形の物語に昇華させたのかもしれません。

なお、外拝殿と七盛塚の間にある宝物殿は、小さいですが貴重な資料の宝庫です。
源平関係の書籍に頻繁に引用される書画などが展示されているので、ぜひ入ってみてください!!
社務所には有名な「平家ガニ」が飾られています(下右)。
甲羅の模様が人の怒った顔に見えるため、平家の怨念を宿していると言われているそうです。

 


ちなみに「知盛の墓と供養塔」は、対岸の門司にも存在します。
また、「時子の供養塔」も、熊野の補陀洛山寺に、惟盛の供養塔とともに立てられていました(惟盛は、熊野で入水したと伝えられています)。