遙かゆかりのスポット巡り

特別編「屋島の合戦」

六万寺(香川県高松市

 

平家が一ノ谷から逃れて最初に安徳天皇の御座所、行宮としたのがこの寺。
この行宮の守りとして総門を築き、本土からの襲撃に備えました。
下が総門址に建てられている記念碑(左)と、木の櫓(右)です。
 
平家はもともと屋島を本拠とし、一ノ谷にはここから出陣しています。
六万寺
にもたびたび滞在したため、平重衡平経正の歌を書いた短冊が残されています。
嬉しくも遠山寺に尋ね来て 後のうき世をもらしつる哉  本三位中納言平重衡

世の中は昔語になりぬれど 紅葉の色は見しよなりけり
  兼但馬守平経政
本堂自体は、残念ながら戦国時代に、長曾我部元親の部下の放火で焼失しました(元親は見せしめのため配下を処刑したとか。アニキ〜!)。
この六万寺屋島の対岸、本土側にあったため、後により安全な場所へと行宮は移されることになります。

  

六万寺の境内にある鎮守・愛宕権現(上左)。
こちらは鎌倉幕府を倒し、建武の新政を行った後醍醐天皇が建立したと伝えられています。
毎年秋分の日に、市無形民族文化財となっている「田井の子供神相撲」が奉納されるそうです。

右は、高松市内のあちこちで見られる案内の石碑。
市内の牟礼町は庵治石の産地として有名なので、それを使用して碑を製作したようです。