遙かゆかりのスポット巡り

特別編「平家追悼」

敦盛塚兵庫県神戸市須磨区)



『遙か3』では、敦盛さんは平家一門で最初に怨霊になったとされています。
彼を甦らせた経正さん倶利伽羅峠の戦いで亡くなっている(CDドラマ『薄月夜』)ので、それよりも前に命を落としたということでしょうか。

史実では、平敦盛が亡くなったのは1184年2月7日、一の谷の合戦において。
この敦盛塚は、首を打たれた敦盛の胴体のほうを祀っていて、そばにある須磨寺敦盛首塚に首のほうは祀られていると言われています。
須磨寺はほとんど「平敦盛の寺」と言ってもいいような場所。これはまたあらためてご紹介します。

  

敦盛塚のアップと(左上)と塚の近くに立つ「戦の濱」の碑。
一の谷から西一帯の海岸は「戦の濱」と呼ばれ、毎年2月7日の夜明けには、松風と波音の中に軍馬のいななく声が聞こえたと伝えられているそうです。

また、すぐそばに、一の谷の行宮跡があります。

  

一の谷は背後に急峻な峡谷を抱き、海岸沿いの細い平地からしか攻め入ることのできない天然の要害だったため、水軍を持たない源氏には落としようがないと言われていました。
義経の鵯越はその常識を打ち破ったまさに画期的な戦略。
ただし、平家側の守りが甘かったのは、後白河法皇が送った和睦の使者を信じたためとも言われています。

 

ちなみに敦盛塚の横には、「敦盛そば」というお蕎麦屋さんがあります(左上がお店入り口、右上がお店の横に飾られた源平の旗)。
江戸時代からあったらしいこのお店、阪神淡路大震災で全壊し、10年ほど閉店していましたが、大河ドラマ『義経』をきっかけに再開したとのこと。
大河ドラマには敦盛まったく出てこなかったですけどね!!(涙)

   

「厚盛り」と敦盛をかけて名付けられた「敦盛そば」と七色の古代米を炊いた「敦盛ごはん」(上)。
店内では一の谷の合戦の古地図や絵葉書も売っているので、ファンは立ち寄るべし!