遙かゆかりのスポット巡り

プレ『遙か3』特集~早すぎた源氏 木曾義仲の生涯~

平陣野(石川県加賀市)



木曾義仲の本名は源義仲
父である源義賢源義朝頼朝・義経の父)の弟です。
兄弟の争いの中で父は討死、幼い義仲は母とともに木曾谷に逃れ、 中原兼遠のもとで育ちました。

以仁王
が発した平家打倒の令旨を受け、出兵した義仲は 千曲川横田河原で平家が差し向けた軍勢を破り、京へと兵を進めます。
この進軍を阻止すべく、京を発ったのが 平惟盛を総大将とする総勢十万人余の平家軍でした。

部隊の先頭が安宅に到着した時点で、後陣がこの地に陣を敷いたため 「平陣野(へじんのう)という地名が残っています。
日本海を一望できる見通しのいい場所で、広々とした平野が開けていたため陣地に選ばれたのでしょう。
丘の下には「馬つなぎ」の名が残る清水も湧いていました。

現在は訪れる人も少ないのか、案内板があまりなくて見つけるのに少し苦労しました。
ただ、上り坂で滑らないよう、敷物を土の道に敷き詰めてあったので、地元ではちゃんと名所旧跡として認知されているようです。

 

平家の大軍は倶利伽羅峠の戦いで大敗を喫し、続く篠原の合戦で戦闘能力を完全に失ったため敗走します。
木曾義仲がそれを追って京まで攻め上った道が、旧木曾街道跡として現在も残っています(上左)。
途中で崩れていて通り抜けることはできませんが、当時は遠く越前までつながっていたそうです。

この合戦にはほかに平忠度が参加していましたが、 『遙か3』では将臣くん、知盛、経正さんも参加したことになっています。
メモリアルブックによると、経正さん倶利伽羅峠の戦いで亡くなり、 惟盛さんは平家の都落ちに従って西国に進んだ後に入水したとなっています。 ゲームスタート時にはすでに怨霊でしたから、 九州に落ちのびる前後に亡くなったという設定なのかな。
(史実では、経正さん一ノ谷の合戦の際に死亡、 惟盛さんはその前後に姿を消し、後に熊野で入水したとされています)

 
そして、皮肉なことにわずか4年後、平家が落ち延びたルートを逆にたどって、義経一行が奥州を目指します。
平陣野から程近いところに尼御前岬という景勝地(上左)がありますが、ここは、この先の安宅の関を越えるのに足手まといとなることを恐れた一行の中の尼が、身を投げたためそう呼ばれているそうです。
岬を望む場所には、尼の像が立てられています(上右)。

義経の逃避行には謎と伝説が多く、妻子を伴っていたという説も、日本海側は通らなかったという説もあり、真相はわかりません。
ただ、さまざまな物語を語り継ぐほどに、義経主従の悲劇が人々の心を動かしたことは事実でしょう。