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手習い草紙 ( 2 / 2 )

 



「この歌は万葉集の中の一首です。時の帝が国見をされ、目に映る国土と民の豊かさを寿いだものなのです」




鷹通さんは書き方だけでなく、そこに書かれている内容も解説してくれた。

僕たちが理解できないと、言葉を選び、表現を変えて我慢強く教えてくれる。

用件やお願いごとを伝える手紙に混じって、ときどき恋の歌も教材になった。

友雅さんに言わせると、この世界の歌はほとんど恋歌らしいから、取り上げる頻度としては少なすぎるくらいだったけど。




「あ、この歌知ってます!

瀬をはやみ、岩にせかるる滝川の われても末に 逢わむとぞ思ふ

これも恋の歌ですよね!」

鷹通さんが書いてくれたお手本を見て、あかねちゃんがうれしそうに声を上げる。

最初の授業から2カ月。

僕もあかねちゃんもかなり文字が読めるようになっていた。

高校では1年の冬休みに百人一首の暗記が宿題に出るそうで、あかねちゃんは「私はだいたい全部覚えたよ。天真くんはテストに出そうなとこだけ山かけて覚えてたけど」と言っていた。

この歌も、百人一首の中の一つらしい。




「はい。流れの早い川が岩のところで2つに分かれるように、たとえ離ればなれになったとしても、あなたとまたお会いしたい。そういう想いを歌っています」

鷹通さんがいつものように丁寧に解説する。

「わあ、ロマンチック! 素敵だなあ」

うっとりと歌を眺めるあかねちゃんの横で、鷹通さんがそっと目を伏せた。

少し寂しそうな表情。

「あの……お手本にするっていうことは、鷹通さんの好きな歌なんですか?」

僕が気になって尋ねてみると、

「好き……かどうかはわかりませんが、有名な歌ですし、たまたま目につきましたので」

すぐにいつもの表情に戻って微笑んだ。




その歌の意味に気づいたのは、夜になってからだった。

(たとえ離ればなれになったとしても、あなたとまたお会いしたい)

そうか、あかねちゃんは京を救ったら元の世界に戻るんだ。

鷹通さんはもしかして……



* * *



それから1カ月。

明王の札に続き、四神の札も順調に集まっている。

そろそろ誰もが「帰る日」を意識し始めたころ、僕が局を訪ねると、あかねちゃんは文机に肘をついてぼんやりとしていた。

そばには何枚か紙が散らばっていて、どれにも同じ歌が書かれている。



筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる   



「これも、百人一首の歌?」

僕が尋ねると、はっと我に返ったあかねちゃんが姿勢を正した。

「う、うん! 友雅さんがお手本を書いてくれたの。そういえばこういう歌もあったなあって思って」

「……恋って入ってるから、やっぱり恋歌なんだよね?」

「うん。自分でも気づかないうちに、ある人をとっても好きになっちゃった……って歌なんだって」

僕は薄縁(うすべり)の上から、流麗な文字が綴られた紙を拾い上げた。

いくらあかねちゃんが頑張って練習していると言っても、友雅さんの手蹟の美しさは別格で、どれがお手本かはすぐにわかる。

「なんか、友雅さんにしてはずいぶん控えめな歌だね」

「そ、そうか……な」

あかねちゃんは少し頬を染めて、そのままうつむいてしまった。




そういえば、このところ鷹通さんが教えに通ってくることが少なくなった。

来たるべき決戦を前に、内裏でもいろいろと仕事が多いのだろうし、僕たちもまあまあ読み書きができるようになったので、当然と言えば当然なのだけど……。




「そうだ! ねえ、あかねちゃん、一緒に鷹通さんに文を書かない?」

「え?」

僕の突然の提案に、あかねちゃんが顔を上げる。

「こんなに書けるようになりましたよ、って、鷹通さんにお礼を言ったほうがいいと思って。これから忙しくなりそうだし、バタバタしてると言い損ねちゃうかもしれないでしょう?」

「忙しく……そう、だね」

「僕、自分の部屋で書いてくるね。あかねちゃんの文と一緒に、小天狗ちゃんに届けてもらおう!」

「うん。……うん、ありがとう、詩紋くん」

あかねちゃんの顔が、少し明るくなる。

僕はそれを見届けると、すぐに局を出て自分の部屋に向かった。

そのまま後ろは振り向かなかった。

あかねちゃんの表情を見るのが少し……少し辛かったから。



* * *



その後、文箱に入れられ、石楠花が添えられた淡萌黄の文が、鷹通さんに何を伝えたのか、僕は知らない。

返書の代わりに息を弾ませた鷹通さんが邸にやってきて、あかねちゃんと二人きりで長い時間話していた。

そして神泉苑での戦いの後、鷹通さんはすべてを捨てて僕らの世界にやってきた。

あかねちゃんとともに生きていくために。

多分、あかねちゃんは、友雅さんが教えてくれたあの歌を文に書いたのだろう。



筑波嶺の 峰より落つる みなの川 恋ぞつもりて 淵となりぬる


(筑波山の峰から流れ落ちるみなの川が、一滴の雫がつもって深い淵となるように、私の恋いこがれる思いも深くつもって淵となってしまったことだ)



最初は鷹通さんの片思いだった恋。

でも、いつしかあかねちゃんの心にも、同じ想いが芽生えていた。






パタン、とその本を閉じると、僕はしっかり冷ましておいたスポンジケーキの飾り付けを始める。

鷹通さんが僕たちの世界で初めて迎える誕生日を祝うため、あかねちゃんと天真先輩と一緒に朝から準備に追われていた。

パーティのクライマックスに登場するバースデーケーキの役割はとても重要だ。
気持ちを集中させて生クリームを絞り出そうとすると

「お! 百人一首の本! 今から高校1年の宿題の準備か? 気が早いな、詩紋」

と、天真先輩の声がした。

リビングを見ると、僕が置いた本をパラパラめくっている。

僕はいったん、生クリームの袋を調理台に置いた。

「そんなんじゃないけど、鷹通さんに教えてもらった歌がたくさん載っていたから買っちゃった」

「鷹通が? あいつ、恋愛に疎いような顔して、やっぱり平安貴族だったんだな」

う~んと難しい顔をして腕を組んでいる。

失恋のショックが、まだ少し尾を引いているのかもしれない。

「恋の歌はほとんど教えてくれなかったよ。多分、解説するのが恥ずかしかったんじゃないかな」

「なんだ。百人一首にそれ以外の歌なんてあったのか?」

「天真先輩、本当に真面目に勉強しなかったんだね」

僕が呆れて言うと、「何を~!」と両手の拳で頭をグリグリされた。




そう、鷹通さんは教えてくれなかったけど、百人一首の中には僕の心に深く響く歌もあった。

思わずページをめくる手が止まり、小さい声で口に出してしまった一首。

もし、この歌をあの世界にいるうちに知っていたら、文に書いて贈っただろうか。

まぶしい笑顔で僕の世界を変えてくれた、強くて泣き虫でいつも一生懸命なあの人に。



かくとだに えやはいぶきの さしも草 さしも知らじな もゆる思ひを

(これほど恋い慕っているとさえ言えないので、伊吹山のさしも草のように燃え上がる私の思いを、あなたはよもや知るよしもないでしょうね)



「あ、詩紋くん、これからデコレーション? 私、見ていてもいいかな」

買い物から戻ったあかねちゃんが、目を輝かせながら言う。

「うん! 僕、頑張るね」

生クリームの袋をもう一度手に取り、すうっと息を吸い込んだ。

あなたの笑顔と、幸せのために。

願いを込めた白い花を、誕生日を祝うケーキの上に次々と咲かせていく。

鷹通さん、お誕生日おめでとう。

僕の大好きなあかねちゃんを、必ず幸せにしてね。





 

 
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