誕生日 ( 2 / 2 )
これまでの譲は、望美が妙に卑下したり、見当違いなことを言ったりすると、びっくりするほど強引に抱き寄せたり、キスをしたりして、情熱的な面を見せてきた。
だから望美は心のどこかで、その日が来たらきっと譲はやっぱりちょっと強引になるんだろうと予想していた。
だが、唇に下りてきたキスは驚くほど優しく、まるで初めて交わすように、触れては離れ、離れては触れ、決して強く、性急になることはなかった。
次第に、自分の身体の緊張がほぐれていくのがわかる。
髪に差し入れられた手がうなじを支え、少しキスが深くなった--と、思った時には、身体が浮いていた。
譲は唇を離さないまま望美を抱き上げ、ゆっくりと部屋を横切る。
相変わらずキスは甘く、蕩けるように柔らかい。
(リハーサルより高度だね)
うっとりしながら、望美は思った。
壊れやすい宝物を扱うように、そっと慎重にベッドに下ろすと、しばらく長いキス。
名残惜しそうに身体を起こすと、「ちょっと待っていてください」とベッドを離れた。
「……?…」
不思議そうに見守る望美の前で、譲は部屋のカーテンを閉める。
「……あっ」
思わず身を起こす。
時刻はまだ午後3時。
日暮れまではたっぷりある。
レースのカーテンで外からの視線は防げるものの、このままでは恥ずかしいだろうという、譲の気遣いだった。
「あ……ありがとう…」
かえって、これから起きることをリアルに想像してしまい、望美は真っ赤になった。
部屋の中は薄暗い。
微笑みながら横に腰掛けると、望美の顔を胸に抱き寄せ、
「先輩、あまり緊張しないで」
と譲が囁いた。
けれど、引き寄せられた胸の鼓動も、望美に負けず劣らず激しかった。
「ゆ、譲くんこそ……」
「……そうですね」
どちらからともなく微笑む。
「せっかくのドレスですから、ハンガーに掛けておきましょうか」
「譲くん、そんなことばっかり気にして」
「だって先輩、あとで怒るでしょう?」
「うっ……」
痛いところをつかれて望美が黙る。
「ボレロと、……それ、手伝いましょうか?」
ドレスの背中のファスナーを指して譲が言った。
「う、うん……」
再び真っ赤になって、望美がうなずく。
髪を脇にまとめて、差し出されたうなじの白さに、譲は硬直した。
「……譲くん……?」
「………あ……」
そろそろと、ファスナーを下ろす。
以前、目にしたはずの真っ白な背中が目の前に現れる。
たまらなくなって、思わず口づけた。
「ゆ……!」
「す、すみません。でも、少しだけ……」
露になった背中に、唇で触れていく。
触れられる度、望美の肌が少しずつ薔薇色に染まる。
最後にもう一度ギュッと抱き締めると、
「すみませんでした」
と、腕を離した。
「あの……やっぱり……」
背中を向けたまま、望美がおずおずと切り出す。
「……はい…?……」
やめておこうと言われると思って、譲の胸がキリッと痛んだ。
その一方で、どこか安堵している。
「は、恥ずかしいから、向こう向いててくれる?」
「……え?」
「じ、自分で脱ぐから」
一瞬、言われている意味がわからず、譲は沈黙した。
「……もう、向いた?」
モゾモゾと望美が動き出す。
「え、あ、ああっ、はい!」
やっと言葉を理解して、譲は背中を向けた。
(ああ、びっくりした! そ、そうか、続けていいのか)
ドキドキと高鳴る自分の胸に手を置く。
(駄目だ、落ち着かなきゃ)
後ろで衣擦れの音がする。
どうやら自分でハンガーまで掛けにいっているらしい。
(やっぱりかなりお気に入りの服なんだな)
そんな服をわざわざ着てきてくれたことがうれしくて、譲はクスッと笑みを洩らした。
「……はい……もういいよ」
恥ずかしそうな声に振り向いて、譲は度肝を抜かれた。
一糸まとわぬ……と、思われる望美が、薄い上掛けにくるまっていた。
「せ、先輩、ぜ、全部脱いじゃったんですか?!」
声がひっくりかえる。
「えっ?! だ、駄目なの?!」
望美が焦って答える。
「いや……駄目……ではないですが……」
「そ、そう……?」
事態の進展の速さに、今度は譲のほうがパニックを起こした。
「ええと……」
頭の中はほとんど真っ白。
(多分……俺も脱いだほうがいいんだよな)
と、反射的にTシャツを脱ぐと、キャッという望美の声が聞こえた。
目をやると、上掛けの中に顔を隠している。
(何か俺、恥ずかしさの基準がよく分からなくなってきた……)
心の中でつぶやきながら、望美が見ていないのを幸い、残りの服を脱ぎ捨て、眼鏡をテーブルに置く。
そして、大きく息を吸うと、望美のほうに近づいていった。
(く、来る…!)
ベッドがしなるのを感じながら、望美は上掛けの中で固まっていた。
「……先輩」
すぐ耳元で声がして、ビクンと震える。
「あの……せめて顔だけでも出してもらえませんか?」
困ったような譲の声を聞いて、望美は急にやましい気持ちになる。
目をそらしたままそっと上掛けを下げた。
「……よかった」
安心した声につられて目を向けると、すぐそこに譲の顔。
眼鏡を外した、でもいつもの優しい笑顔に、自分は心の底からこの人が好きなのだと望美は実感した。
「……譲くん、大好きだよ」
想いを素直に言葉に表す。
一瞬驚いた後、譲が微笑んだ。
「ありがとうございます。俺もあなたを……誰よりも愛しています」
「私も……」
望美は譲に向かって大きく腕を伸ばし、引き寄せる。
譲も望美の肩を抱き、唇を重ねる。
今度は深く、熱く。
いつしか、2人の間にあった上掛けは、ベッドから滑り落ちていた。
* * *
これまでも、十分すぎるほど愛していると思っていた。
しかし、今腕の中にいるこの女性のことを、自分は本当に深く想い、心の底から愛していたのだと、あらためて譲は思った。
その愛情の大きさをこれ以上どう表せばいいのか、伝えればいいのかわからないまま、さらに強く彼女を抱き締めた。
「先輩……」
「……え……」
「俺と……結婚してください」
「……え?」
額に汗で張り付いた前髪をそっと払うと、望美の瞳を見つめながら言う。
「法律上の結婚はもう少し先でも、今日、ここで、俺と結婚してください。あなたを、一生守らせてください」
「譲くん……」
うっすらと涙を浮かべると、望美も強く譲を抱き締める。
「ありがとう。でも、守るんじゃなくて、一生……愛してほしい」
「誓います」
「私も……誓います」
今夜、もう何度目になるかわからないキスを、2人は交わした。
お互いの心と身体を強く結びつけ、長く短い時間は過ぎていった。
* * *
夜半。
ベッドの横のカーテンが、風に揺れているのに気づく。
ガラス戸が少し開いて、網戸から海風が流れ込んでいた。
眠気を払うため、ゴシゴシ目をこすると不意に頬に柔らかいキス。
「起きた? 譲くん」
上掛けを巻き付けた望美が、すぐ横で微笑んでいた。
「……せんぱ」
人差し指を唇に当てられる。
「駄目。私は譲くんの奥さんになったんでしょ?」
夜目にもわかる薔薇色に頬を染めながら、望美が言う。
「え……」
「だからもう先輩はなし。望美って呼んで」
「のぞ……み……」
「はい!」
いきなり抱きつかれて、素肌が触れ合う。
誰よりも愛しい存在を胸に抱きとめながら、すべては夢でなかったのだと譲は思った。
19歳になったその日、譲は生涯の伴侶を得た。
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