プロメテウス ( 2 / 3 )
百鬼夜行との最終決戦に勝利し、穢れを浄化した後、幸鷹はずっと悩み続けていた。
長い月日を上級貴族として過ごした彼には、簡単に捨て去れないものが多い。
何より自分が守り、民のために働きたいと考えていたこの京への思いが、幸鷹の心を縛り付けていた。
だが、この地に残ることは、花梨との別れを意味する。
彼女がどれだけ自分を慕ってくれても、家族や友人と離れて異世界に残ることを許すわけにはいかない。
幸鷹はそう決意していた。
「幸鷹さんは、無理に京を離れようとしなくてもいいと思います」
「神子殿」
ぎょっとしたように花梨の目を見る。
彼女は幸鷹の決意をまだ知らない。
「幸鷹さんが京を大切に思うのは当然だし、取り戻した記憶で京をよりよい場所に変えていきたいなら、それはとても意義があることだと思います」
「……プロメテウスになれと…?」
二重の意味を込めて、幸鷹は問いかけた。
花梨は少し考えてから問い返す。
「…プロメテウスはなぜ、火を与えようと思ったんですか?」
「暗闇の中で、無知のまま生きる人間を救うために……と、言われています」
「………火は、夜には灯りを、冬には暖かさをくれるけれど、同時に火事の原因にもなります」
「ええ」
「でも、きっと幸せになった人のほうが多いですよね」
まっすぐな眼差しが胸を射抜く気がした。
長い年月封印され、やっと思い出した家族の記憶を捨て、愛する花梨とも別れ、それでも京のために働く……。
今、自分は確実にその道を選ぼうとしている…と、幸鷹は思った。
「……そう。多分、プロメテウスは後悔はしなかったでしょう……」
断崖に縛り付けられ、大鷲に生きながら肝臓を啄まれる。
不死の神ゆえに肝臓は再生し、果てしない拷問は続く。
それでも……。
そっと頬に触れられて、幸鷹は閉じていた目を開けた。
「……私も、一緒にいさせてください」
花梨が、大きな瞳を潤ませて見つめていた。
「!? 神子ど……!」
「幸鷹さんは一人で残るつもりでしょう? でも、私はそばにいたいんです」
「!!」
頬に触れる花梨の手は、微かに震えていた。
自分の言っている言葉の重さ、過酷さを十分に知った上で、それでも彼女は微笑んでいた。
幸鷹は思わずその手を取り、両手で包み込む。
「神子殿、そのようなことを軽々しくに口に出してはいけません」
「軽々しくなんかありません。私もずっと……考えてきました」
澄み切った目にはかすかな揺らぎさえなかった。
「私は、自分が苦しくても、辛くても、信じた道を、プロメテウスの道を歩こうとする幸鷹さんが……誰よりも好きだから。そばを一緒に歩かせてほしいんです」
「……神子殿……!」
しばらく、無言のまま二人は見つめあった。
元の世界を離れて8年にもなる幸鷹さえ、二度と戻らないという選択肢を選ぶのは辛い。
ましてや、ほんの数カ月前までごく普通の高校生だった花梨にとって、それは身を裂くような苦しみのはずだ。
「……私は……あなたに幸せでいていただきたい、神子殿。私のためにあなたが不幸になるなど、あってはならないことなのです」
幸鷹は、自分の声が少し震えているのに気づいた。
最愛の人から告げられる最上の告白。
それを今、渾身の力で拒もうとしている。
突然、花梨の双眸から涙がこぼれ落ちた。
「……もう、神子でも何でもない私が、こんな我がまま言ったら、駄目……ですか…?」
「!! そのような……!!」
誤解を正すため、幸鷹は花梨を抱きしめた。
あまりに清らかで、あまりにまっすぐな想い。
彼女の髪を静かに撫でながら、自分に言い聞かせるように囁く。
「……茨の道を歩くのは私だけでいいのです、神子殿。……あなたは向こうの世界に帰れば、ご両親も、友人もいる。清潔で安全な場所で、何不自由なく暮らしていけるのです」
胸の中で花梨が激しく首を左右に振った。
「でも幸鷹さんがいません! 一番大切な人がいません!!」
「……!!」
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