プロメテウス ( 1 / 3 )
最初、花梨は幸鷹がまた頭痛にでも襲われたのかと思った。
眉間に皺を寄せ、険しい顔で見つめる先で、年端のいかない子供たちが懸命に土木作業の手伝いをしている。
木製の粗末な道具しかないため、土を運んだり、資材を動かしたりするのに手間取り、大人たちから怒鳴りつけられていた。
「……幸鷹さん」
「……申し訳ありません、神子殿。少しよろしいですか」
そう言いおいて、幸鷹は作業を差配している親方らしき人物に歩み寄った。
しばらく話し込んだ後、いくつかの木材が組み上げられ、細々とした調整の末に、簡易なクレーンが出来上がる。
滑車の原理をうまく生かしたその重機でのおかげで、現場の作業は一変した。
子供たちの力でもかなりの重さの資材を動かせるようになり、大人たちの表情も和らぐ。
しばらくその様子を見守った後、幸鷹は花梨のもとに戻ってきた。
「すごいです、幸鷹さん! みんな喜んでますよ!」
「……すっかりお待たせして申し訳ありませんでした、神子殿。では、参りましょうか」
幸鷹は表情を曇らせたまま歩き出す。
その顔を花梨は不思議そうに覗き込んだ。
「……幸鷹さん?」
彼女の声でようやく幸鷹は、自分が不躾な態度をとっていたことに気づいた。
「……ああ、すみません。多少……自己嫌悪に襲われていまして…」
「自己嫌悪……?」
だがそのまま、また口をつぐむ。
沈黙の時間が流れ、やがて二人は桂川の河原にたどり着いた。
風はなく、あれほど降り積もった雪も、このところの好天で消えかけている。
京の新年は、花梨たちの世界の2月。
そろそろ春の訪れが感じられる気がした。
「……記憶を取り戻す前は、よかったのです」
川面を見つめたまま、幸鷹が話し出す。
「はい…」
端正な横顔を見上げて、花梨が答えた。
「さまざまな発想や考えは偶然の産物で、この京にあって私は『少し変わった考え方をする人間』に過ぎませんでした」
街灯のことを話して笑われた…という幸鷹の話が思い出される。
「けれど今の私には……確かな記憶がある。医療・化学・物理に関して、京の人々を救える知識がある」
苦しそうにそう言うと、彼は拳を固く握った。
「……神子殿は、ギリシャ神話のプロメテウスをご存じですか」
「プロメテウス…? 名前を聞いたことはありますけど」
いきなりの話題の転換に戸惑いながら、花梨は頭の中の記憶を懸命にたどる。
ギリシャ神話に関しては、残念ながらおぼろげな知識しかなかった。
「プロメテウスは……人間に火を与えた神です。神々の王であるゼウスはそれを怒り、彼を断崖に縛り付けて未来永劫続く拷問にかけました」
「!!」
花梨の顔色が変わるのを見ると、幸鷹は
「人間には過ぎた知識を与えたと……そのため彼は罰せられたのです」
と付け加えた。
「火が……ですか?」
「人類と類人猿を分つのは火の使用だと言われています。人間を人間たらしめるもの……確かに大きな力です」
幸鷹の説明はわかりやすかったが、それを通じて何を言いたいのかが見えない。
花梨は黙って先を待った。
「たとえばこの京において、新生児の死亡率は非常に高い。ですがそれは同時に、人口の増加を抑制しているとも言えます。
衛生状態や医療の改善で、私たちの世界のようにほとんどの子供が無事に生まれるようになったら、京とその周辺で取れる食糧だけでは賄いきれず、あっという間に飢饉が起きるかもしれない」
「……!」
「知識や技術は諸刃の剣なのです」
ふうっと深いため息をつく。
「決して軽率に与えていいものではない」
「……でも、目の前で困っている人を見たら、幸鷹さんは放っておけませんよね」
花梨がポツリとつぶやいた。
素直な言葉に、幸鷹は苦笑する。
「先ほどのように……ですね。そう、多分無理でしょう。使える力や知識があるのに、ないふりはできない。やはり……」
そっと花梨の手を取る。
「やはり私は……この世界に残ってはいけないのでしょう」
「幸鷹さん……」
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