贈り花 ( 1 / 3 )
「……牛乳…かけてみるとか」
遠慮がちな声に、鷹通は弾かれたように振り向いた。
その勢いに驚いて、後ろに立っていたあかねが後ずさる。
「み、神子殿!」
「ごめんなさい、急に声をかけちゃって」
頬をほんのりと赤くして、あかねが謝った。
「いえ、私こそ申し訳ありません。おいでになられたことに気づきませんで」
軽く裾を払うと、鷹通は立ち上がった。
庭の手入れに夢中になって、近づいてくる足音を聞き逃したらしい。
(八葉ともあろう者が…)
鷹通は心の中で、自分の不甲斐無さに歯噛みする。
「ううん。お邸の人の案内を、私が断ったんです」
明るい笑顔でそう答えると、あかねは鷹通がかがみ込んでいた場所を覗いた。
「…やっぱり。アブラムシですね」
「油…?」
身を起こすと、鷹通のほうをまっすぐ見つめる。
「植物を枯らしたり、病気にしたりする虫です。私たちの世界でも、植物を育てている人はよく悩まされるんですよ」
「神子殿の世界でも……」
鷹通が感心したように答える。
「詩紋君に頼めばいいのかなあ」
あかねは顎に人差し指を添えて考え込んだ。
「何を…ですか?」
「牛乳を水で薄めたのを撒くと、退治できるんです。詩紋君、牛乳でお菓子を作っていたから」
「牛乳……とは、雌牛の乳でよろしいのですか?」
「え? はい。このお屋敷にありますか?」
「先週、子牛が生まれましたので…」
ぱあっとあかねの顔が輝く。
「それでいいんです! 分けてもらいにいきましょう」
半ば強引にあかねに袖を引かれる形で、鷹通は牛飼の小屋へと向かい、彼女が歓声を上げて子牛を眺めるのにしばらくつきあった。
「こんなにかわいい子牛のお乳を横取りするのは申し訳ないけど…」
牛飼が絞ってくれた牛乳の桶を覗き込みながら、あかねが言う。
「たいした量ではありません。子牛も許してくれると思いますよ」
穏やかに微笑みながら答える。
あかねから桶を受け取って片手に持つと、二人で肩を並べて庭への道をたどった。
一面に広がる花畑。
まだほとんどがつぼみだが、よく見るとところどころ力なくうなだれている。
「それで……この牛乳をどうやって撒くのですか?」
あかねの指示どおり、牛乳に水を足して薄めると鷹通が尋ねた。
一刻も早く花を救いたい…という思いが声に滲んでいる。
よし! と、あかねは心の中で気合いを入れた。
「霧吹きがあると一番いいんですけど、何か代わりになるものがあるかな。水を押し出して、霧状にする道具なんですけど」
「霧…吹き、ですか?」
あかねは、地面に枝で絵を描いて構造を説明する。
鷹通は頷きながら熱心に耳を傾けた。
「竹筒に小さな穴を空け、水を棒などで押し入れると多少の勢いはつくと思います」
「水鉄砲みたいなものですね。水は飛ぶと思いますけど、霧っぽくなってくれるのかな…」
「なるほど」
二人で腕を組んで考え込んでいると、バタバタとにぎやかな足音が近づいて来た。
「なんだ? 二人して。何か悪いもんでも食ったのか?」
「天真先輩ったら、そんな聞き方ないよ」
「天真くん、詩紋くん! どうしたの?」
いきなり現れた二人にあかねは目を丸くする。
「どうしたの? じゃねえよ。おまえが一人で鷹通の家に行ったせいで、俺たち、頼久と藤姫に怒られまくったんだぜ」
「藤姫は怒ったんじゃなくて、取り乱したんでしょ」
詩紋が苦笑いしながらフォローする。
「え〜? だって、すぐご近所なのに」
「だよなあ」
「それでも何かあったら大変だからって。二人とも、あかねちゃんのこと心配してるんだよ」
どうやらあかねは供の一人も付けずに鷹通の家を訪れたらしい。
三人のやりとりにしばらく耳を傾けていた鷹通は、
「神子殿、どのように近所であっても、どうかお一人で出掛けるようなことはお慎みください。大事な御身なのですから」
と、穏やかに諭した。
「…は、はい…」
あかねが微かに頬を染めながらうなずく。
「なんだ? 鷹通にはやけに素直だな、あかね」
「な、何言ってるのよ、天真くん!」
「天真先輩、その方向には話をもっていかないほうがいいんじゃないかな…」
詩紋が天真の袖を引っ張りながら囁いた。
「何でだ?」
「だ・か・ら」
「気が乱れている」
「うわっ」と、全員が軽く飛び上がって驚いた。
いつもながら唐突に、平然とした顔で泰明が立っている。
後ろから永泉が走り寄ってきた。
「も、申し訳ございません、鷹通殿。ご家人に案内を請おうと思ったのですが」
「不要だ。居場所はわかっている」
相変わらずのきっぱりした物言い。
訪ねられるほうにも都合がある…という思考が、泰明の頭にはないようだ。
鷹通は思わず微笑みながら
「永泉様、どうかお気になさらずに。八葉の任務は何にも優先されますから、いつでもお通りいただいてかまいませんよ」
と言った。
「ほら〜、天真先輩。やっぱり勝手に入っちゃいけなかったんだよ」
天真を突つきながら小声で詩紋が言う。
「何言ってるんだ。今、鷹通がいいって言っただろうが」
「もう〜」
「それで、今日はどのような御用で?」
鷹通が尋ねると、泰明はあかねをまっすぐに見た。
「神子が困っている」
「え? わ、私ですか?」
いきなり話を振られて、あかねは焦る。
「永泉とこの邸の前を通りがかったら、神子が困っているのがわかった。だから来た」
「今日は……札を探しに北山に向かう予定だったのです」
永泉が小声で補足した。
「なるほど。泰明殿はそのようなことまでおわかりになるのですね」
鷹通が感心する。
その横顔を見上げた後、あかねは口を開いた。
「え〜と、私がとりあえず今困ってるのは、『霧吹き』です」
「「「「霧吹き?」」」」
4人がきれいに声を揃えて復唱した。
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