石田寺(東京都日野市)
土方家の菩提寺である高幡不動尊の末寺が、この石田寺(せきでんじ)です。
土方家の墓所は、この寺内に設けられています。
寺は多摩川とその支流である浅川に挟まれた場所にありますが、土方さんの生家はもともとはこの北にあったそうです(増水で流されたため、現在の土方歳三資料館の場所に移転)。
土方家家伝の有名な石田散薬は、浅川のほとりに生える牛革草(ミゾソバ)を干して作ったもので、打ち身、捻挫、切り傷などに薬効があったとされています。
奉公先になじめず、実家に戻ってきた土方さんは、一時期この薬の行商を行っていました。
あ、この一帯が石田村だったため、寺にも薬にも石田の名前が付いています。
寺内にある土方家墓所中の土方さんのお墓(上左)。
函館で亡くなった土方さんは、彼の地に埋葬されたと伝えられていますが、正確な場所はわからないそうです。
そこで、親族の方が函館を訪れ、土を持ち帰ってこの墓に納めたとのこと。
戒名は「歳進院殿誠山義豊大居士」で、毎年5月の第2日曜日に「歳三忌」の法要が営まれます(命日は5月11日)。
上右は、境内にある土方歳三義豊之碑。
こちらも親族の方が、昭和43年(1968年)に建立したそうです。
土方歳三義豊が土方さんの正式な名前で、俳句を詠む際の俳号は豊玉でした。
上は、日野市の指定天然記念物となっている、樹齢400年のカヤ。
このカヤは、当然土方さんたちも目にしたでしょう。
鳥羽伏見の戦いで敗れ、甲陽鎮撫隊として甲府に向かった際、土方さんが名乗った名前は内藤隼人。
隼人は土方さんが生まれる前に亡くなったお父さんの名前ですから、それにちなんだのかもしれません。懐かしい故郷を思い出しながら。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
土方さんが豊玉の俳号で嗜んでいた俳句は、「豊玉発句集」として41首残されています。
劇中では、沖田くんに「土方さんが乙女チックに俳句を作ってる」とからかわれ、斎藤くんに暗号代わりに使われ……と、さんざんでしたが(とぼけたり、隠したり、照れたり、開き直ったりする土方さんが可愛かった)、病気療養中の沖田くんに、彼が形見として遺したのも、この俳句集でした。