紅葉の庭 ( 3 / 3 )
「別当殿も、案外手が早い」
まったく気配を悟らせず、二人の後ろにいつの間にか侵入者が佇んでいた。
「ひ、翡翠殿!」
「翡翠さん!」
流れる黒髪と鮮やかな柄の着物。
伊予の海賊はいつもの如く優雅な微笑みを浮かべている。
「やあ、白菊。別当殿におかしな真似はされておるまいね?」
「な、何を言っているのです!!」
幸鷹が急に手を引いたため、花梨は後ろに倒れそうになった。
「キャ……!」
翡翠はそれを柔らかく受け止め、攫うように抱き上げる。
「おっと、危ない。別当殿、女性はもっと丁寧に扱わねば」
「な!? そもそもあなたのせいでしょう! 神子殿を下ろしなさい!」
「おやおや、神子殿を抱く権利は君にだけあるとでも言うのかい?」
「妙な言い方をしないでください!」
花梨は呆気にとられて二人のやりとりを見つめていた。
そのうち、翡翠がふっと花梨に目をやる。
「今日はだいぶ疲れているようだね、白菊。仕方ない。本当は君を船に乗せて京から連れ出したかったのだが」
「翡翠さん……?」
「君をこんなになるまで働かせておいて、ほかの連中は『次の四神はいつ解放できるのか』ばかり気にしているからね。こんな場所にはいるべきじゃない」
「翡翠殿!」
口を挟んだ幸鷹のほうを、翡翠は氷のような眼差しで見据えた。
「私は何か間違っているかな? 別当殿。それとも君たちの中に、京よりも彼女を大切に思う人間がいるとでも?」
「それは……!」
「ひ、翡翠さん、いいんです」
花梨は必死になって翡翠に訴える。
「白菊?」
「みんなが、自分の生まれ育った京を大切に思うのは当たり前です。翡翠さんだって、伊予が大切でしょう? 私も、自分の故郷に何かあったらきっと守りたいと思います。だから、みんなを責めないでください」
「……神子殿……!」
「…………まったく……君は本当に……」
翡翠は、苦笑を浮かべると花梨の頬にふわりと唇を落とした。
「!!」
「ひ、翡翠殿!!」
「仕方ない。彼女を連れて京を去るつもりだったが、もうしばらくは君たちの怨霊退治につきあうとしよう。だが、この清らかな白菊を踏みにじるような真似は絶対に許さない。覚えておきたまえ、別当殿」
「私とて……神子殿を大切に思う気持ちは同じです」
「京の安寧の次に……だろう?」
「翡翠さん」
不安げな花梨に「わかっているよ」と微笑みかけると、翡翠は御簾をくぐり、茵の上に花梨の体を静かに横たえた。
「しばらくはおとなしく休むことだ、神子殿。具合がよくなったら、私の船に乗せてあげるからね」
「四神を解放した後に……ですよね」
花梨がいたずらっぽく微笑むと、翡翠はやれやれと頭を振った。
「君が望むなら、ね」
「お邪魔いたしました、神子殿。どうかゆっくりお休みください。確かに中納言として、検非違使別当として、京の安寧は何よりも優先すべきことですが……決してあなたをないがしろにしているわけでは」
「帰るよ、別当殿。君の御託は病人には眠いだけだ」
言葉を遮られ、腕を強引に引っ張られて幸鷹は翡翠とともに局を辞した。
二人が言いあう声が徐々に遠くなり、かすかな侍従の香りだけが名残を惜しむように辺りに漂う。
「……そういえば、翡翠さんも侍従の香が好きなんだよね」
横になったまま、花梨はつぶやいた。
何もかも対照的で、会えば口論ばかりの二人だが、白虎として共通する点もあるのかもしれない。
同じ金の属性を持ち、陽光と星の技を操る西の神獣の申し子たち。
「でも、もう少し仲良くなってくれないと困るなあ~……」
くすくすと笑いながら、花梨は独り言を言う。
目の前には見慣れた天井の模様。
しかし、幸鷹と見た秋の庭や、白虎の二人の生き生きとしたやりとり、頬に触れた翡翠の唇、幸鷹の真摯な眼差し、さまざまなことが思い出されて、もう先ほどのような退屈は感じなかった。
「早くよくなろう。そして、またみんなと京を回ろう」
両腕を一度思い切り伸ばすと、褥の中に潜り込み、花梨は瞳を閉じた。
御簾の向こうの庭を、涼やかな秋の風が吹き抜けていった。
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