風声 ~魔法のベルが鳴るとき 忍人・譲編に寄せて~ ( 4 / 5 )
「忍人さん!!」
今にも泣き出しそうな緊迫した千尋の声が響いた。
おそらく形振り構わず駆けてきたのだろう、折角の華美な衣装の襟元や裾が彼女の身分にふさわしくないほど乱れていた。
いつもの忍人であったなら、きっと、頭ごなしに千尋を叱っていたに違いない。
今、自分の置かれている立場を考えるべきだ、即位式はどうしたのか、瑣末な事に構っている場合ではないだろう――
けれど、千尋の無事な姿を見たら、どれも言葉にならなかった。
忍人はただ、手を伸ばして千尋を抱きしめる事しかできなかったのだ。
そして千尋も、しゃくりあげながら、その華奢な身体で忍人の命ごと抱きとめようとするかのように必死でしがみついてきた。
「忍人さん…生きて…生きていますね?忍人さん…忍人さん!」
「千尋……一国の女王がそんなに泣いてどうする…」
「こっ、これはっ、げほっ、コショウの所為です!」
がくり、と忍人の頭が千尋の肩に落ちた。
確かにここには、涙くしゃみ鼻水の元凶が満載ではあるが、しかししかし。
くす、と一瞬だけ笑う気配がして、けれど、それが本当の笑いなどではない証拠に忍人の背に回された手はずっと小刻みに震えていた。
「…それから忍人さんの所為です! 私の涙を止めたかったら、本当に本当に…お願いだから…! 何回言ったらわかってくれるんですか!? 命を…大事にして下さい! 私は…あなたを失ってまで、ほしいものなんか一つもないんです…! 忍人さん…!」
涙にくれる千尋を腕に抱いて――ようやく忍人は自分が何をしようとしていたのか理解したのだ。
「千尋…俺は、君を誰よりも傷つけるところだったんだな…」
千尋は忍人の腕の中で、何度も何度も頷いた。
忍人はもう何も言う事ができなかった。
途方にくれた子供のように顔を上げれば、まだ覆面を外さないでいるおせっかい焼きな二人が目に入った。
「おや忍人…何をぼやぼやしているのですか? 我が君は、君の本当の言葉をお望みですよ」
「そうやでほら、忍人さん、呆けとる場合やない! 千尋ちゃん千尋ちゃん!」
忍人は、いつかそうしたように、立ち上がれないでいる千尋の腕を取った。けれどかつてと違うのは、彼女を置き去りにすることなく、しっかりと抱いていた事と、怒ったようにしか見えなかっただろうが精一杯の微笑を浮かべ、それでも確かに小さな声で彼等に言った言葉。
「……ありがとう」
大げさな覆面で見えはしなかったが、彼等が人の悪い笑顔を満面に浮かべているのだろう事は分かった。彼等の事はよく分かっている。
だから――きっと気持ちは伝わったと、信じている。
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