蔵の中 ( 4 / 4 )
「先輩、今日はありがとうございました」
「ううん、私こそいろいろとご馳走になっちゃって。とってもおいしかった」
昼食を挟んで延々と続いた片付けは、それでも夕方には終了した。
譲の手作りのおやつと、紅茶を挟んで三人で雑談に興じた後、望美はようやく腰を上げたのだった。
「あ、先輩、そういえば昨日発見したんですけど」
玄関を出た譲が、急に言った。
「何を?」
「この時間はとってもきれいなんですよ」
望美の手を取って、蔵のほうに回り込む。
そっと蔵戸を開けながら、譲が少し悪戯っぽく笑った。
「わ…あ……!」
金色に染まる蔵の中の光景に、望美が感嘆の声を上げる。
さっきまでいた場所とは思えないほど、空気の色が変わっていた。
「この時間にこんな風になるなんて、俺も知りませんでした」
譲がうれしそうに言う。
もっとも、見とれていたのは差し込む光に照らされた望美の姿。
長い髪の一筋一筋が、金色に輝いて見えた。
「ねえ、譲くん」
「何ですか?」
「ここを二人の秘密の場所にしない?」
「え?」
望美が宙を見ながら続ける。
「あのね……きっと、長く付き合ってるとケンカすることもあると思うから」
「しませんよ」
くるっと望美が振り返る。
「そんなのおかしいよ。たまにはケンカしてこその付き合いじゃない?」
「そう……ですか…?」
「うん。でね、どんなに険悪になってもここに来たら、お互いに素直に、正直になることにするの」
望美はにこにこと笑っているが、譲にはいまひとつピンと来ない。
「たとえば…どんな感じで、ですか?」
「う〜ん、そうだなあ。たとえば、譲くんが弓道部の後輩とベタベタしてるのを見て」
「しませんよ!」
「たとえば、だよ。私が勝手に焼きもち焼いて口をきかなくなるでしょ」
「…はあ……」
すごいたとえだな…と思いながら、譲は相づちを打つ。
「でも、ここに来たら、何で私が不機嫌なのかをちゃんと言うの。譲くんがかわいい女の子とうれしそうにしゃべってたのに腹が立った!とか、もうあの子としゃべらないで!とか、あ、これじゃただのわがままか」
自分の頭を小突く。
「ね? 譲くんもいろいろ抱えちゃうとこがあるから、ここでは思ってることを全部口に出すようにしようよ。そうすればきっと、どんな誤解も解けるよ」
すっと、譲の顔に影が落ちた。
「……全部口に出したら、先輩、絶対ひきますよ」
「へ?」
「俺は……先輩が思ってるよりずっと心が狭いから」
そのまま身をかわそうとする譲の頬を両手で包んで、望美がぺしっと軽く叩いた。
「ほら! もうルール違反してる! 隠し事はなしで、何でも言わなきゃ」
「先輩……」
「で? 今、何を考えてたの? 心が狭いって?」
伸び上がって顔を譲に近づけてくる。
その瞳から目をそらしながら、途切れ途切れに告白する。
「……。たとえば……今日は、本当は兄さんが先輩を映画に連れ出して……その間に俺が片付けをすることになってたんですけど……俺はどうしても、先輩を兄さんと二人だけで映画になんか行かせたくなかった」
「え…」
「先輩を信じてないわけじゃないんです。縛りたくもない。でも、俺は自分に自信がないから、そういうとき、必要以上に警戒してしまう…」
だんだんと消え入りそうになる声に、望美の声がかぶる。
「当たり前だよ! 私は譲くんが誰か女の子と二人だけで映画に行ったら、めちゃくちゃ焼きもち焼くよ!」
え?と、譲が顔を上げた。
「っていうか、将臣君と映画に行くのを、譲くんが喜んで送り出してくれたりしたら、私、傷つくかも。私のことなんかどうでもいいのかなあって」
「そんなわけ…!」
身を乗り出した譲の頬を、望美が再び包む。
「ね? だから、私は焼きもち焼いてくれたほうがうれしいの。言ってくれてありがとう。だって……」
ぽっと頬を染めて、いきなり望美が背を向けた。
「先輩?」
後ろを向いたまま、もじもじと望美が続ける。
「昨日、あんな話になっちゃって、気まずいから将臣君を呼んだのかなあって、ちょっと落ち込んでたから」
「そ…!」
そんなわけない…と、言おうとして、譲はようやく望美の言っていたことを理解した。
「……言葉にしないとわからないことっていうのは、確かにあるんですね」
そっと、後ろから望美の肩を包んで、譲が言う。
「うん。だから、この蔵の中では隠し事はなし。もちろん、本当は外でもそうしたいけど……」
ますます頬が赤くなる。
「やっぱり言いにくいことはあるよね。なんか、くだらないし」
「でも、棘みたいに心に引っかかる」
うん、と望美がうなずいた。
「……先輩…、じゃあ、正直に言いますけど」
望美が不思議そうに顔を上げると、その目をまっすぐ見て譲が言う。
「キスしていいですか?」
ボンッと音がしそうな勢いで望美が赤くなった。
「ゆゆゆゆ…」
「言葉にしないとわからないでしょう?」
腰に手を回して、もうすっかりその態勢に入っている。
「で、でも、昨日したばっかり……」
「俺は、先輩が笑うたび、何か話すたび、キスしたくなるんです」
「そんなんじゃのべつしてなきゃいけないじゃない!」
「そうです。本当はのべつしたいんです」
「ゆ……!」
その後の言葉は唇でふさがれてしまった。
降り注ぐキスの雨を受けながら、望美は自分がとんでもない扉を開いてしまったような気がした。
(正直な譲くん……結構コワいかも……)
遅ればせながらの後悔。
蔵の中に入る機会は慎重に選ぼうと、望美は心に誓った。
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