騎士 ( 2 / 2 )
開けた場所に出ると、一頭の馬が繋がれているのが見えた。
「巡察中に一人で歩いているお姿を見かけたので、ここに繋いで後を追ったのです。
少し風が冷たいかもしれませんが、すぐにお邸までお連れできますよ」
花梨をいったん地面に下ろしながら、幸鷹が言う。
「すみません、幸鷹さん。お仕事が忙しいのに」
幸鷹の多忙ぶりを知っている花梨は、ぺこりと頭を下げた。
「ほら、それがいけないのですよ、神子殿」
「え?」
顔を上げた花梨の目の前に、幸鷹は長い人差し指をかざす。
「先ほども、勝真殿に気を遣って一人で帰ったとおっしゃっていたでしょう?
あなたは自分のことよりも、他人を優先される素晴らしい方ですが、少なくとも龍神の神子の役割を果たしていらっしゃる間は、御身に障りがないことが何よりも大切だとお心得ください。
よろしいですね?」
「あ、は、はい……」
花梨は自分の短慮を責められた気がして、しゅんと俯いた。
「……神子殿……」
幸鷹の声が曇る。
そして突然、花梨の手を取った。
「……失礼いたします」
「え?!」
そのまま華奢な手を包み込み、しばらく握ると小さくため息をつく。
「……やはりまだ、震えていますね……。無理もない。
連続してあのような目に遭ったのです。怖くない訳がないでしょう……」
「え? あ、あの、幸鷹さん……?」
びっくりして目をパチパチと瞬かせる花梨に柔らかく笑いかけた。
「龍神の加護を受けているとはいえ、あなた自身はごく普通の少女……。
毎日のように怨霊や穢れや、悪意をもった者たちと対峙しなければならないのはさぞかしおつらいでしょう。
私はそれを……あなたの重荷をともに負い、あなたの苦しみを少しでも和らげたいと思っているのです。
ですからどうか一人で抱え込まず、何でもお話しくださいね」
「……!……」
至近距離で優しく穏やかに微笑まれて、花梨は両頬が熱くなるのを感じた。
「ああ、やはり熱が上がってきたようだ。邸まですぐにお送りしましょう」
「い、いえ、これは」
先に騎乗し、花梨を抱え上げて乗せると、幸鷹はその背中を支えた。
「少し窮屈ですが、しばらくのご辛抱ですので」
「は、はい、ありがとうございます」
手綱を引き、横腹を軽く蹴って歩き出す。
幸鷹の袖の中にすっぽりと収まった花梨は、次第に頭がぼんやりしてきた。
「眠られても大丈夫ですよ、神子殿」
「……でも……」
答える声が途切れ、時折こくりと頭が落ちる。
馬の背に揺られながら、朦朧とした意識の中で花梨はつぶやいた。
「幸鷹さん……何か……騎士みたい」
「騎士……ですか? 姫君をお守りする?」
幸鷹の声が少し遠くで聞こえる。
「私……は、お姫様じゃないけど」
「とんでもない……」
馬が少し速度を上げた。
「神子殿は誰よりも大切な姫君ですよ。
騎士の誇りをもって、あなたを守らせていただきます」
それが夢の中で聞いた声だったのか、現実のものだったのか、花梨にはもう区別がつかなくなっていたが。
* * *
その後。
四条の邸に着いてからが大騒ぎだった。
神子に呪いがかけられたということで、早速泰継が呼ばれ、一連の儀式が行われる。
それでも下がらない熱を覚ますため、苦い薬湯を飲んだ後、花梨は問答無用で茵に寝かされた。
幸鷹はすべてを見届けると、簡易な挨拶をして邸を後にした。
見送りを終え、部屋に戻ってきた紫姫に花梨は熱に浮かされた頭で尋ねる。
「紫姫、こっちの世界では、『騎士』ってどういう意味になるの?」
「『きし』…でございますか? さあ、わたくしは存じませんが」
「私、うっかり幸鷹さんに言っちゃって。
何か通じたみたいなんだけど……」
「では、幸鷹殿はご存じの言葉なのでしょうね。
今度伺ってみてはいかが……」
自分の言葉が終わる前に、すうすうと寝息をたて始めた花梨を見て、紫姫はほっと胸を撫で下ろした。
「薬湯が効いたようですね。どうかゆっくりお休みください、神子様」
その夜の夢の中では、白馬に乗った騎士が花梨を龍から救い出していた。
(あれ、私、龍神の神子のはずなんだけど……)
騎士の馬に乗せられながら、花梨は思う。
(あなたは私だけの神子殿ですよ)
白馬の騎士は、そう言って微笑んだ。
レンズ越しに澄んだ暖かい色の瞳が見える。
(あ、そうか。そうだった。そうだよね!)
花梨は納得すると、騎士に微笑みを返し、その胸に寄り添う。
森を抜け、丘を越え、彼方のお城へと。
翌朝目覚めたとき、夢の記憶は熱とともにすっかり消え去っていたが、見舞いにきた幸鷹を見て勝手に顔が赤くなった。
「神子殿、まだ熱が?」
心配されるのがうれしい自分を、花梨は激しく持て余したのだった。
* * *
ちなみに、花梨の部屋へ行く前の紫姫と幸鷹の会話。
「あ、そういえば幸鷹殿、『きし』とは何ですか?」
「……旗や幟のことですか?」
「ああ、やはりそういう言葉があるのですね。納得いたしました」
「どちらの味方につくか、『旗幟を鮮明にする』などと使いますね。
お役に立ちましたか?」
「はい! ありがとうございました」
結局、「騎士」が話題になることは、二度となかったという……。
|