はじまりの物語 ( 5 / 5 )
「ねえ、ランディ、ゆうべ、すごいことがあったんだよ」
ここは聖殿の中庭。
執務の息抜きにやってきた緑の守護聖は、風の守護聖に小声でささやいた。
「どうしたんだ? マルセル」
「あのね、日が暮れて嵐になりかけたころ、ぼくの館に突然クラヴィス様がいらしたの」
「ええっ?!」
遠慮のない大声を出したランディの口を、マルセルはあわてて両手でふさぐ。
「もう~! 声が大きいよ!!」
「ごめん、ごめん。でも、何で?」
「それがね……」
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闇と風を背負って立つクラヴィスは、まるで大魔王のようだ……とマルセルは思った。
おあつらえ向きに遠くでは、稲妻が光っている。
「ク、クラヴィス様! どうなさったんですか?」
勇気を出して話しかける。
闇の守護聖は、いかにも気が進まないという様子で口を開いた。
「……花を…もらいたい」
「お、お花ですか? 今すぐに?」
「………」
「わかりました。こちらの温室にどうぞ」
マルセルはクラヴィスの先に立つと、館の横に回り込んだ。
そこには、日ごろから丹精している温室がある。
ガラス張りの扉を開いた途端、さまざまな花の芳香が匂いたつ。
「どんなお花がいいですか? 花束にするなら、茎が長めのバラや百合、カラーやガーベラなんかが……」
説明を聞きながら、クラヴィスは無言で花々の間を歩いた。
やがて、ある花の前で足が止まる。
「あ…それは……かすみ草ですね」
「………」
「香りはあまりしませんけど、花束にするとふんわり優しくて、心がなごみますよ。きっと……きっと、病気の時にベッドの傍にあったらうれしいはずです。待っててください、すぐに切りますから」
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「え? アンジェのところに行ったって言うのかい?」
ランディが驚いて尋ねた。
「わからないけど……。香りの強い花や華やかすぎる花を避けて、やさしい花を探していらしたようだったから」
「でも、どうして?」
マルセルは首を傾げる。
「どうしてかな? アンジェがクラヴィス様とお話ししてるのなんて見たことないよね」
「あ…」と、ランディが声をあげた。
「そういえば俺、不思議に思ったことがあるんだ。王立研究院でエリューシオンのデータを見たとき、いろんなサクリアの中で一番多いのが闇だったから」
二人は顔を見合わせた。
「すごいね、アンジェ。ぼくたちだってちょっと怖くてあまりおつきあいできない方なのに」
「そうだな。でも、クラヴィス様もいいとこあるよな。あの方がだれかのお見舞いに行くだなんて、想像したことなかったよ」
* * *
数日後。
闇の守護聖の執務室の扉が、ノックされた。
「失礼します」
部屋に入ってきたのは、アンジェリーク。
「……もう……いいのか」
暗い部屋の中で、クラヴィスが尋ねた。
「はい。本当に……ありがとうございました」
「………」
「あ、あの」
しばらくモジモジした後、彼女は思い切ったように花束を差し出した。
「これ! リュミエール様が、これからは自分でお届けしなさいとおっしゃられて」
「………」
それを一瞥すると、クラヴィスは無言で立ち上がった。
「あ!! ご、ごめんなさい!! もう失礼します! すみませんでした!」
いつかの記憶がよみがえり、アンジェリークはあわてて執務室を出ようとする。
「……こちらへ…」
「……え…?」
振り向くと、クラヴィスが窓辺に立っていた。
手を差し出し、招いているように見える。
「……は、…はい……?」
恐る恐る近づいていく。
彼女が窓辺に来ると、クラヴィスは勢いよくカーテンを開けた。
漆黒の闇に明るい光が降り注ぐ。
「キャッ! まぶし…!」
アンジェリークは思わず目をつぶった。
「……なるほど…バラ色だな」
クラヴィスがつぶやく。
「え?」
手もとの花束は鮮やかな黄色。
意味が分からず、少女は不思議そうな顔で、闇の守護聖の顔を見上げた。
「もっとそばへ……花の姿を愛でるのは初めてなので……な」
「は、はい……!?…」
きらめく陽光を受けて、アンジェリークの金色の髪が輝く。
少しまぶしそうに、しかし穏やかに微笑んで、クラヴィスはその小さな花束を受け取った。
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