不思議な感覚 ( 3 / 3 )
「望美、少しやせたんじゃない?」
朔の言葉を、望美は即座に否定する。
「まさか! 相変わらずよく食べてるもん」
「そう? でもほら、今も少し残しているじゃない。望美らしくないわ」
今日は譲と交替して、望美が厨で朔と夕餉を食べていた。
九郎と弁慶が加わっているため、奥の間から聞こえる声はいつもよりにぎやかだ。
ヒノエと何事かを言い争っているらしい譲の声も時折聞こえる。
ぼんやり聞いていると、朔が箸を置いて望美を見つめた。
「望美……私のことはいいから、みんなのところで食べてきたら?」
「え? どうして? 私、邪魔だった?」
本当にびっくりして見つめる望美に、朔は苦笑を浮かべる。
「どうやら望美の食欲は、作った人がそばにいないと湧かないみたいだから」
「作った人……?」
「私も今回のことがあるまで気づかなかったけど、
そういう仕組みになっているみたいね」
「それって……」
「朔~!! 朔はどこかな? 朔、出ておいで~!!」
突然邸中に響く美声に、朔が頭を抱えた。
「景時さん…?」
「どうしてわざわざこういう時にやってくるのかしら……」
バタバタと足音がして、景時が勢いよく厨の木戸を開ける。
「朔~! 不自由な思いをさせて悪かったね。
もうこれからは大丈夫!
譲くん、敦盛くん、悪いけどここに運んでくれるかな?」
びっくりして目を見開いている神子たちの前に、二人がかりで大きな箱型の物体が運ばれる。
ゴトンと下ろされた側面には、大きな車が付いていた。
「……兄上、これは?」
「景時さん、もしかして…」
「すごいですよ、景時さん!
俺が描いた図からここまでのものを作るなんて」
運び終わった譲が、興奮した口調で言う。
それを聞いた望美は、
「やっぱり車椅子ですか?」
と、口に出した。
「そうだよ、さすが望美ちゃん!
譲くんに、君たちの世界にはこういう乗り物があるって教えてもらってさ。
さあ、朔♪」
抵抗する暇を与えずに妹を抱き上げ、座面に座らせると、景時は後ろの取っ手を握って車を押して見せる。
全員が見守る中、椅子の車輪は驚くほど滑らかに転がった。
「へえ、珍しく成功したみたいだな」
「そうですね。景時の発明品の中では役に立つほうかな」
「ひどいなあ、ヒノエくんも弁慶も。夜も寝ないで作ったっていうのに」
「え?」
朔は勢いよく振り返り、車を押す兄の顔をまじまじと見つめた。
驚きに瞳が見開く。
「まあ、兄上! 目が真っ赤じゃないですか!」
「あ~、さすがに徹夜が続いたからね。
御所の仕事の合間にやったんで、ちょっと無理しちゃったかな~」
「ちょっとどころじゃありません! すぐに休んでください!」
「朔をこれで部屋まで運んだらね~。
段差のあるところには板を渡してもらったから、スイスイ行けるよ~」
説教を続ける妹の乗った車椅子を、景時は鼻歌を歌いながら押していった。
「……景時は、御所での兄上の用をきちんと果たせたのだろうか」
後姿を見送った後、九郎が眉を曇らせて言う。
「その辺は怠りないでしょう。なにせ鎌倉殿の信任厚い軍奉行ですから」
弁慶のフォローに「そうだな」と表情を和らげると、八葉たちはそれぞれ夕餉の席に戻った。
* * *
「……すごいなあ」
朔に代わって夕餉の洗い物を手伝っていた望美が、ぽつりとつぶやく。
「先輩…?」
水を汲む手を止めた譲に見つめられ、ほんのりと頬を紅潮させた。
「景時さんにとって、朔は一番大切な存在なんだなあって思って。
やっぱり兄妹って、絆が強いんだね」
「どの兄弟もそうとは限りませんけど」
「そうかな? 私は一人っ子だから何だかうらやましいな」
「………」
黙って釣瓶を引き上げる譲の横顔を見てから、望美は思い切って口を開いた。
「あの、ほら、このところ譲くん、朔の世話にかかりっきりだったでしょ?
私、それをちょっと寂しく感じちゃってたみたい」
「え…?」
「えへへ、図々しいよね。
何かこっちに来てから、譲くんに一番親切にしてもらうの、当然だと思ってたみたいで。
だから一番じゃなくなったのがちょっと寂しかったのかも。
譲くんは朔のために頑張ってたのに、本当に勝手だよね。
ごめん! 気にしないで!」
恥ずかしさからうつむいたままそれだけ一気に話すと、望美はようやく顔を上げた。
「あ、あれ…? 譲くん…?」
「す、すみません。俺……」
目の前の譲の顔は、見事に真っ赤に染まっていた。
「え? 私、そんなに変なこと言っちゃった?」
「い、いえ、そんなことないです!
っていうか俺、先輩にはうるさがられてると思っていたから驚いて……」
「そんなことないよ! いつもすごくすごくうれしかったよ!」
そう言いながら望美が譲の両手を握ったので、彼の顔の温度はますます上昇する。
「私こそ当たり前みたいに思っててごめんなさい。
その、もちろんいつも一番じゃなくてもいいから、これからもあの……
適度に見放さないでくれるといいなあって」
「見放すなんてまさか! 先輩はいつでも一番ですから」
「え、そうなの?」
「はい!」
「そっか、今は将臣くんもいないし、同じ世界から来たの、
私たちだけだもんね」
「いえ、その……」
「ありがとう、譲くん。じゃあもうしばらくは、一番の位置にいさせてね」
「……先輩」
もの言いたげな彼の様子に気づかずに、望美は手元の洗い物に注意を戻した。
ここ数日間自分をとらえていた何とも言えない心のモヤモヤ。
譲にとって一番の存在でいたいという確かな想い。
それが「始まり」の感情であることに、望美はまだ気づいてはいなかった。
「…兄さんが先輩の上になったことなんて一度もないんだけどな……」
譲の不満げなつぶやきは、水音にまぎれて彼女の耳には届かなかった。
* * *
一方、朔の部屋。
「もう、とにかく二度とあんなこと譲殿に頼まないでください!
いいですね、兄上!」
「ど、どうしたんだい、朔?
だってほら、譲くんは誰が見ても望美ちゃん一筋だし、
一番問題ないと思ったんだけどな~」
「『誰が見ても』に入らない人間が1人いるんです!」
「え? ……それって九郎?」
「……訂正します。2人いるんです!」
「ええ~っ?! 誰、それ~?!」
景時の素っ頓狂な声は、夜の闇に吸い込まれていったのだった。
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