<前のページ  
 

伝えたい言葉 ( 2 / 2 )

 

 七里ケ浜から見る海に、今、夕陽が落ちようとしている。

短い冬の日が、終わりかけていた。

「寒くないですか?」

「大丈夫。そういえば、夏休みに江ノ島に3人で行ったよね」

右手に見える灯台を指差して、望美が言う。

「ああ……」

あのころは、自分たちがどんな運命に巻き込まれるか、予想すらしていなかった。

譲の頭にあったのは、望美をめぐっての兄との対立だけ。

(なんだ。今もあんまり変わっていないな。というより、ライバルが増えただけか…?)

救いのない想像に、譲は溜め息をついた。

(まったく、俺の過ごした異世界での日々っていったい……)




気づくと、望美がじーっと譲の顔を見つめていた。

「……先輩…?」

「あの……」

バッシャーン!

突然大波が打ち寄せて、波打ち際から十分距離を取っていたはずの2人の足下を濡らした。

「キャッ!」

「先輩、大丈夫ですか?!」

譲がとっさに声をかける。

「う、うん。あんまり濡れなかったよ」

おそるおそるというように、靴を点検しながら望美が言った。

「よかった」

その倍は水を浴びたはずの譲は、それでもほっとしていた。




「思っていたより、潮が満ちていたようですね」

道路に続く階段を昇りながら、海を振り返る。

「そうだね。あっちの世界より砂浜が狭いから」

「というより、あちらには浜を遮る舗装道路がありませんからね」

あ、そうかという顔をして、望美が納得した。

「雨が降ればぬかるむし、日照りが続けばもうもうと埃がたつし、あらためてアスファルトのありがたさを感じました」

「水道も、カレーも、エアコンも、みんなそうだよ!」

そこまで言って、望美が何かを思いついたように黙った。

「先輩?」

「………でも…」

「?」

「…ずっと……一緒にいられたよね」




言われたことの意味が、最初はつかめなくて譲はポカンとしていた。

望美は、照れ隠しのため、小走りに江ノ電の線路のほうに向かう。

その後ろ姿の耳が赤くなっているのを見て、ようやく譲の頭は動き出した。

「…あの! 先輩」

「電車、来ちゃうよ。踏切の音がするもの」

駅に向かおうとする望美の手を取ると、ギュッと握って足を止めさせる。

「…譲くん?」

望美が不思議そうに振り返った。

「今日は、歩いて帰りませんか?」

「え…」

ほんの少し沈黙した後、コクリとうなずく。

握った手をほどかないまま、2人は線路沿いに歩き出した。




「その……向こうでは同じ家で、ずーっと一緒にいたでしょ」

「はい」

「なのに、こっちに帰ってきたら急に、顔を見られない日とかあって」

「ええ」

「なんか寂しくて…」

「…だから、わざわざ会いに来てくれたんですか?」

「……うん」

「ありがとうございます」

「…こんなの『用』じゃないから、迷惑だよね…」

「そんなことありません。今日は……とってもうれしかったです」

「私も。譲くんの家に行けばいいんだけど、それだとみんな一緒だから」

えへへと望美が笑った。

「たまには譲くんを独占してみたくなったの」

うれしくて、つないだ手を引き寄せたくて。

そんな想いをようやく抑え付けると、譲は言った。

「…いつでもどうぞ。先輩の予約は最優先で受け付けますよ」

「ありがと!」




あの世界では、怨霊からかばって肩を抱き寄せたり、横抱きで運んだりしたこともあったのに、毎朝寝顔を見ながら起こしていたのに、なぜだか今、手をつないでいることのほうが、2人の距離をより縮めているような気がした。

極楽寺の駅の前を通りながら、家に着くまでのわずかな残り時間を惜しむ。

「藤沢まで歩きたい気分」

望美が言った。

「俺は…大船まででもつきあいますよ」

「わあ、それは遠いよ」




自宅で待つ八葉たちが、元の世界に帰還する方法を探す。

現在の最大の課題はそれなのだが、冬休みが始まったら2人でまた出掛けたい。

そんな願いを胸に、譲は近づいて来た家の灯りを仰ぎ見た。





 

 
<前のページ
psbtn