遙かゆかりのスポット巡り

将臣くんお誕生日おめでとう! 特集

西八条第(京都府京都市下京区)



1168年に出家した平清盛は、六波羅から福原の雪見御所に居を移します。
それ以降、上洛した際に滞在したのが西八条第と呼ばれる邸でした。

この若一神社(にゃくいちじんじゃ:上、下左)は、西八条第の鎮守社として清盛が勧請したと言われています。
祭神は平家に縁の深い熊野十二所権現の若一王子(にゃくいちおうじ)。
境内には清盛の像(あれ? なぜか写真がない!)と開運のご利益があるという御神水(下右)があります。

  

神社の前に聳えるのは、清盛が太政大臣になったときに手植えしたという御神木、大楠(下左)。
清盛は1166年ごろに八条壬生に邸宅を構え、その敷地は現在の下京区歓喜寺町、八条坊門町、南区八条坊門町、八条町におよぶ広大さだったそうです。

庭に蓬(よもぎ)を植えたことから蓬壺(ほうこ)とも呼ばれ、有名な白拍子祇王仏御前のエピソードもここが舞台となっています。
念のため簡単に記すと

白拍子の祇王清盛の寵愛を受け、西八条第で妹祇女とともに何不自由のない暮らしをしていた。
あるとき仏御前という名の白拍子が邸を訪れ、清盛に舞を見せたいと願ったが、清盛はすげなく追い返そうとする。
心優しい祇王がとりなして舞を舞わせたところ、その美しさに清盛は心を奪われ、祇王祇女は邸を追い出されてしまう。
しばらく後、清盛から「仏御前が退屈しているから邸に来て舞を見せよ」という屈辱的な命が下る。
母の哀願に負け、仕方なく邸を訪れた祇王は人の世の虚しさを舞い、都にいる限りは今後も同じような目に遭うからと、剃髪して母・妹とともに嵯峨の山里に引きこもる。
ある日、三人が暮らす庵を一人の若い尼が訪ねてきた。それは、祇王の舞を見て世の無常を感じた仏御前だった。
四人はその後、ともに経を読み静かに暮したという。


彼女たちが過ごした庵が、現在、嵯峨野にある祇王寺です。
このエピソードに関しては、清盛にいいところがまったくありませんね〜……。

  
将臣くんが異世界に迷い込んだころには、すでに平家の中心は六波羅からこちらに移っていました。
西八条第には清盛の正妻、時子が住んでいたこともあり(なのに祇王のエピソードがあるっていうのが何とも)、周りには平家一門の邸が建ち並んでいたそうです。
その遺構は、梅小路公園(下左)で一部見ることができます。

 

梅小路公園は平安京の朱雀大路の東に接し、東西の鴻臚館(外国の使者を接待するための施設)と羅城門の間にあたる位置に作られています(上右)。
西八条第の敷地が一部含まれており、公園整備前に行われた調査では、柱跡や溝跡、平安時代後期の土器とともに、焼土や炭化遺物が出土。火災があったことが裏付けられたそうです。

そう、1183年に平家が都落ちする際に火を放たれ、すべて焼けてしまったんですよね。

CDドラマでは、この後、九州の太宰府に落ち延びた平家一門の様子が描かれていました。
チューリップを解説する将臣くんとか、豆を収穫して喜ぶ経正さんとか、大根を抜くのが異様にうまい知盛とか……。