遙かゆかりのスポット巡り

特別編「屋島の合戦」

祈り岩(香川県高松市

 

海に逃れた平家と、陸を占領した源氏の間では激しい矢戦が行われ、双方に多数の死傷者が出ます。
やがて夕刻になり、いったん闘いが収まると、一艘の小舟が平家の船団から陸に向かって近づいてきました。
船の上には、美しい女官(玉虫前という名が伝わっています)と日輪の扇を先端に付けた竿。
扇の的
を射れるものなら射てみろという挑発でした。

義経が射手に選んだのは、年若い弓の名手、那須与一
彼が、矢を射る前に必死に祈ったのが、この「祈り岩」でした。
 
この祈り岩と、実際に矢を放った位置にある駒立岩は少し離れています。
手前で祈って、馬を駆り、海中に進んでいったということでしょう。  

譲くんの場合は、祈りの言葉が本家の那須与一(右上)とは少し異なっています。

「南無八幡大菩薩 彼の国の神明 日光権現、宇都宮、那須の湯泉大明神、願わくは……」

この言葉は上書き後にしか言わないので、この先の未来は明るいはず!!  

現在、祈り岩は一般道路から少し下がったところに置かれていて、普通に近寄ることができます。
ちょっとマナー違反とは思いましたが、譲くんを置いて撮影させていただきました。

  

同じ弓つながりということで、もうひとつ、『遙か3』の九郎ルートで触れられている「弓流し」(上右)についてもご紹介します。

小柄で強力(ごうりき)とは言えなかった義経は、屋島(平家側)と牟礼(源氏側)の間の相引川に乗りいれて戦っている最中に、弓を落としてしまいました。
自分の弓が弱いことを平家に知られては恥と、命の危険を顧みず平家側へと斬り込み、無事奪還する……という、当時の武士の矜持を示したエピソードですが……。
将臣くんなら「めんどくせえなあ。やめとけやめとけ」と言いそう……。

ちなみにこの出来事は、与一が扇を射落とした直後の戦いの中で起きています。
弓流しの舞台は、現在はすっかり埋め立てられて、畑となっていました(上左)。