遠くて近い距離 ( 1 / 2 )

 



「譲くん、食器入れ終わったよ」

「あ、すみません。後は俺がやりますから」

「じゃあ私、本棚にかかるね」

真新しいアパートの中で、2人の声が響く。

無事大学に合格した譲の引っ越しを手伝いに、望美がアパートを訪れていた。

もともと荷物が少なく、仕分けもきちんとされていたため、昼過ぎに始めた荷解きは、夕方にはほとんど終わってしまった。




「今日は本当にありがとうございました。
引っ越しそばを作るから食べていってください」

「……ありがとう……」

まただ……と、譲は思った。

合格祝いに駆けつけた望美に、家を出て独り暮らしをすると告げてから、頻繁に表情が曇る。

望美にすれば、譲の大学は自分の大学から近いし、少なくともこれから3年間は一緒に通えると信じていたのだろう。

埃よけのバンダナを外しながら、どこか放心した横顔を見せている望美の姿に、譲の胸は痛んだ。




「おいしかった! やっぱり譲くんのお料理は最高だね!」

サクサクの天ぷらをのせた、絶品の引っ越しそばを平らげて、望美は満面の笑みを浮かべた。

「先輩に喜んでもらえてうれしいです」

譲が微笑むと、突然、望美の笑顔に影が差した。

「先輩……?」

「…………」

無言のまま俯く。

やがて、頬を涙が伝い始めた。

「先輩!」

向かい合った席を立ち、望美のすぐ横に座るとそのまま肩を抱いた。

譲の胸に身を預けながら、それでも涙は止まらない。

そっと指で拭うと、ようやく望美が口を開く。

「ごめん……気にしないで」

「俺の……せいですよね」

首を左右に振って望美が否定する。

「私には……譲くんを止める権利なんてないもの……」

「先輩……」




正面から望美を抱き締めると、譲は言った。

「ありますよ、権利」

「……?……」

「俺は、先輩の嫌がることなんて絶対にしません」

譲の言葉の意味がわからなくて、望美は頬を濡らしたまま、きょとんと見上げた。

「その……」

と、言いかけて譲が赤面する。

盛んに咳払いをして、話し出すタイミングがなかなか掴めない様子に、望美は思わず声をかけた。

「譲くん? どうしたの? 何か言いにくいこと?」

ますます顔を赤くしながら、ついに覚悟を決めたように譲がひとつ咳払いをする。

そして目をそらしたまま

「その……先輩ともっとずっと一緒にいたくて……俺は家を出たんです」

と、言った。




「え? でも……」

一緒に通学もできないのに……と、口に出そうとして、望美はようやく譲の言いたいことに気づいた。

「え? え?! ええっ?!」

ざーっと身を引く望美に譲は焦る。

「いえ、その、別にどうこうしようとか思ってません! 先輩が嫌がることなんてしません! 大丈夫ですから!」

「で、でも」

考えてみれば、この部屋の中には自分と譲しかいない。

お互いの家族は遙か遠くで、呼んでも声は届かない。

怖い……という気持ちがかすかに芽生えた。

それを敏感に感じ取って、譲はあえてテーブルの向こう側に戻る。

「……あなたを怖がらせたくなくて……気軽に遊びに来てほしくて……ずっと黙ってたんです。でも、それもあなたを傷つけてしまうようだから」

「譲くん……」




自分が家を出ることに、望美がここまでショックを受けるとは予想していなかったのだろう。

予定していたより早く独り暮らしの理由を白状させられて、譲は困惑しているようだった。

確かに、2年もつきあっていて、キス以上に進んだことがない。

お互いの家を訪ねる--というのがデートの基本スタイルだったためだが、それをこれからまた3年も続けるというのは……。

「…………」

すっかり黙り込んだ望美を不安そうに見つめて、

「あの……先輩に抵抗があるなら、外で会うようにしましょうか。なるべく実家にも帰るようにしますし」

と、譲が切り出した。

突然、ぷうっと望美の頬がふくれる。

「?」

「そんなんじゃ全然足りない」

「え?」

意外な反応に譲は戸惑った。

「毎朝一緒に学校に行って、帰りもなるべく一緒に帰って、顔が見たければすぐに会える所から、こんなに遠くに来ちゃったんだよ。外で会ったりするだけじゃ我慢できないよ」

怒ったように望美が言う。

「先……輩?」




決意したようにきっぱりと言いきった。

「合鍵ちょうだい! 迷惑がられても押し掛けるから」

「迷惑なわけ、ないじゃないですか」

「わかんないよ。大学でかわいい子と知り合うかもしれないし」

「先輩」

もう一度、譲が隣に座る。

「また言わせたいんですか? 俺は先輩以外はいりません」

初めて、2人きりで、至近距離……。

望美は、胸が早鐘のように打つのを感じた。

顔が勝手に赤くなる。

「……本当?」

「本当です」

ゆっくり、譲の瞳が近づいてくる。

震えながら目を閉じると、温かくて柔らかいものが唇を覆った。

優しい、懐かしい、大好きな瞬間。

ただ、この先のことは予想がつかない。

じっと身を堅くしていると、唇があっさりと離れた。