良薬は心に甘し ( 1 / 2 )

 



寒い。

体がだるくて、頭がぼんやりする。

節々が痛くて、喉もいがらっぽい。

こんな時は無性に不安になってきて、別に悲しくもないのに涙が零れる。

鼻水が出ちゃうのは、涙のせいなのか、それとも風邪のせいか。

花梨はずずっと鼻をすすった。

と、同時に、遠くで渡殿を歩く足音が聞こえた。

こちらに誰かが来る。

きっと紫姫だろう。




朝から起き上がれずにいた彼女は、蒲団を頭からかぶった。

やっとのことで百鬼夜行を倒して、京を滅びから守ったのに……。

終わった途端に寝込んでしまうようでは、全然まだまだダメじゃないか。

こんな情けない様子を紫姫に見られたら、彼女までまた不安にさせてしまう。

ただでさえ花梨が体調を崩したことを、自分たちのせいだと責めているような子なのに。




それに……と、花梨は小さくため息をついた。

もうすぐ大切な日なのに……。

寝込んでいる場合じゃない。

なのに、思うようにならないわが身が辛い。




花梨は戸口の方に背を向けて、ごそごそと更に深く潜った。

寝ている振りをしておこうと、思って。

今は余裕を持って彼女に接することができないような気がしたから。




「神子様……」

部屋に幾人かが入ってきた気配がし、そして思った通り声を掛けてきたのは紫姫だった。

花梨は、じっと身を固くする。

「神子様……お休みですか?」

紫姫はもう一度花梨に声を掛け、しばらく様子を伺っているようだった。

花梨は彼女が諦めて立ち去ってくれることを祈って、身を固くしたまま息を潜めた。

ほう……と、吐息が漏れるのが聞こえた。

情けない様子を悟られたようで、または狸寝入りをして彼女を謀っているのに気付かれたようで、花梨の胸が痛んだ。

やはり、起きていると言った方がいいような気がして振り返ろうかと思ったその時、紫姫が意外な人物の名前を呼んだ。

「幸鷹殿……神子様は眠られているご様子ですので、今日のところはお帰り願えますか?」

その名に、花梨の胸がドキンと跳ねた。



―――幸鷹さん……



今すぐふりかえって手を差し伸べたい衝動と、姑息なことをしていた自分を知られたくない脆弱さが、葛藤する。

帰って欲しくない。

けれど、こんな弱っている自分を見られたくない……。

二つの気持ちに揺れる。




と、今度は幸鷹の声が聞こえた。

「花梨さんのご様子をみさせて頂きたいのですが……」

「そうおっしゃいましても、あいにく神子様は眠られておられるようですし……」

紫姫が幸鷹に遠慮してほしいと思うのは当然だろう。

幸鷹がその言葉通り帰ってしまっても仕方ないことだ。

しかし、彼らが立ち去る気配はなかった。

再び幸鷹の声が聞こえる。

「そっと様子を拝見させていただくだけでよいのです」

その声は、一歩も引かない強い意志を持っていた。

すんなりと引きさがらない幸鷹に、一呼吸間を空けてから再び紫が言いにくそうに切り出した。

「幸鷹殿……あなたと神子殿が背の君になられたことは……私も存じております。
ゆえに、こうして寝所までもお通ししたのですが……それでも、これ以上は失礼と言うものではありませんか?」

紫姫のいうことはもっともだ。

しかし、それでも幸鷹は立ち去らなかった。

更に、思いもよらぬことを言いだした。

「実は私は少々、医学の心得があるのです」

「いがく? ですか?」

「具合の悪い人を治す方法を学んだことがあるのです」

まあ! と驚いたように星の姫が声を上げる。

「それでは幸鷹殿は、典薬殿のようなことも学ばれたというのですか?」

「まあ…………読みかじった知識ですが、現代の……」

「は?」

「……いえ、何でもありません」

彼は苦笑しているようだった。

「いえ、まあ、そう思っていただいた方がわかりやすいのでしょうね」




その言葉で、紫姫の警戒心がわずかにとけるのを感じたのかもしれない。幸鷹がそっと花梨へと近づいてくる気配がした。

蒲団を頭までかぶって、花梨は身を固くする。

と、彼の手が、朝日のような暖かな色をしたやわらかな髪を撫でた。そして、そのまま額へとその手を置いたのだ。

直接彼に触れられ、花梨は思わずびくりと震えた。

しまった! と思ったが、幸鷹は慌てて手を引っ込めてしまった。

どうして良いかわからずじっとしていると、彼が静かに問いかけるのが聞こえた。

「起こしてしまいましたか?」

花梨はごそごそと蒲団から頭を出し、幸鷹の方をゆっくりと見た。

そこには彼の包み込むような優しい笑顔があった。

花梨は情けなさや切なさそして安堵感に、思わず涙ぐむ。

いけない、これでは心配させてしまうと思いつつ、にじんだ涙をふくこともできずにいた。

と、幸鷹がそれをそっと拭ってくれる。

「大丈夫ですか? 花梨さん……熱がありますね。眼がうるんでいますよ」

「ゆ……き、たか……さ……」

「ああ、無理して話をする必要はありません」

違う、自分が幸鷹と話がしたいのだと思うも、それをうまく伝えることができない。




と、花梨の顔を幸鷹が覗きこんできた。

「花梨さん、失礼します。少々口を開いてはもらえませんか?」

花梨は彼に言われるがまま、そっと口を開く。

「ああ、喉が赤いですね……」

そう言って大きく頷くと、今度は花梨の腕を取った。

「少し脈をみせていただきますね……」

幸鷹の大きな掌に手首を包まれ、花梨は胸の鼓動が速くなる気がした。

頬もかっと火照る。

やだ、これじゃ病気か何かわからないじゃない。

そう思うほどに、ドキドキと胸は高鳴ってしまう。

けれど、幸鷹はそのままにこりと笑うと、そっと花梨の手を離した。

花梨は、ほっとするような残念なような想いに捕らわれ、また戸惑う。

「風邪ですね……お疲れが出たのでしょう。ここには抗生物質も解熱剤もありませんからね。
できる治療にも限りがありますが、とりあえず善処させていただきますからご安心ください」

「え?」

見上げる花梨に、幸鷹はにっこり微笑んだ。

それから紫姫の方を振り返った。

「紫姫、この部屋は寒すぎます。できるだけ暖かくしたいので火桶をたくさん用意していただけますでしょうか」

「火桶ですね、わかりました。屋敷にある物をすぐにこちらへ運ばせますわ」

「それと、桶に湯を入れて持ってきていただけますか。湯が無理なら、水でもよいです」

「桶に、ですか?」

「はい、そうすることでこの局が潤うのですよ」




幸鷹の背中越しに見える紫姫は、最初はきょとんとしていたが、ゆっくりと頷くのが見えた。

「わかりましたわ。何でもお申し付けください。神子様のためですもの、できることはいたします」

「ありがとうございます。では早速ですが、もう少し神子殿に暖かくしていただきたいので、衾をあと何枚か持って来てください。それから、何か飲み物を……できれば、少し甘味のあるものがいいですね。甘蔓で葛湯などができるとよいのですが……」

彼の言葉を受け、紫姫はすぐに女房達にてきぱきと指示を出し始めた。

その間に、幸鷹は自分の供の者にも何やらいろいろ指図している。

やがて、部屋にはいくつもの火桶が運ばれ、隙間風で冷えていた室内がゆっくりと暖まっていく。

そうするうちに花梨の固まったようになっていた節々も、少し楽になってきたように思う。

女房に支えられて体を起こし、運ばれてきた白湯を少しすすると喉や唇が潤って、ほっと息がつけた。

けれど……花梨自身はまだ、安息できないでいた。

病で気弱になると言うが、本当に訳の分からない不安が胸の内を渦巻いている。

だって、京が平穏を取り戻した今、自分にできることはもう何一つないとしか思えない。

できることがないどころか、こうやって皆のお世話になるしかないのだ。




自分のために一生懸命動いてくれる二人を見ていると、感謝しつつも少し辛い気持になってしまう。

いっそ深苑のように『迷惑かけてばかりではこまる!』と一喝してもらった方がすっきりする、などと自虐的になってしまうくらいだ。