譲を失って、その存在の大切さに気付いた望美。

必ず、彼を救う!

そう決意して、逆鱗の力を借り、再びあの戦乱の幕開けへと戻ったのだった。





掴んだその腕のぬくもりが大切で

                   (第三章 三草山、夜陰の戦場)






「じゃあ、山ノ口に向かおうか」

景時さんのその言葉を合図に、私たち源氏軍は戦場へと繰り出すことになった。




現代と違って、本当に暗い夜道。足元もはっきりしない。

かといって、この大人数で松明を煌々と焚いて行くわけにもいかない。

けれど、皆まるで日中のようにすたすたと歩いて行く。

何だか自分ひとりだけがもたついているようで、隣を歩く譲くんに声をかけた。

「ね、譲くん……こんなに暗いのに、大丈夫?」

「ええ、まぁ……」

「そっかぁ。私なんて、さっきから転んじゃうんじゃないかと思って……」

「じゃあ、俺の腕につかまりますか?」

「いいの? それじゃ、遠慮なく」

私はその言葉に甘えて、きゅっと袖を掴む。

ちょっと安心かな。

ふふふと笑って譲くんを見上げると、端正な横顔と眼鏡の影が月の明かりに浮かび上がっている。

「譲くんの方が目が悪いのに、暗がりでも大丈夫なんて、すごいね」

「いえ、まあ、逆に眼鏡がないと普段から周りが見えないので、勘で動けるというか……」

「へ〜、そういうものなんだぁ。なるほどね」

安心して、私は譲くんの腕に回した手に力を込めて寄り添った。

「せ、先輩……」

「なに?」

「いえ、その……いいんですけど、そんなにくっついて歩きにくくないですか?」

「え? あ、そうだね……ごめん!」

私は慌てて、譲くんに凭れていた頭を離した。

「いえ、先輩さえ大丈夫なら、俺は構わないんですが」

譲くんは優しくそう言ってくれたけど、自分がどれ程くっついていたかわかったとたん、鼓動が速くなる。

そう言えば、京にいた時、夫婦に間違われたっけ。

そんなことが、ぱぁっと頭の中に蘇って、急に顔が火照る。

この鼓動が彼に伝わったらどうしよう、そう思いだすと、先ほどまで平気だった腕組さえも恥ずかしくなる。

ここが暗闇でよかった。気づかれてないよね?

そうっと譲くんを見ると、まっすぐ前を向いているようで、ちょっと安心する。

何だかドキドキするけれど、今更急に腕を離すのも変で……。

平気な顔をして前を見ている譲くんが、ちょっと憎らしい。

そんなことを思いながら彼を睨みつけていると、急にこちらに視線を向けられる。

「先輩……?」

「わわっ、な、何!?」

と同時に、遠くでガサガサッという物音……。

「怨霊かっ!?」

譲くんは私の手をそっと振りほどき、さっと弓を構えた。

 
ヒュンッ……

空を切る、矢の音。
 
ズシュン、ドサリという音がどこかで聞こえて、その後静かになった。

「えっ……あたった…の?」

「はい、手ごたえがありました。先輩、怪我はありませんでしたか?」

こんな時でも、譲くんは一番に私を気遣ってくれる。優しいね。

「う、うん 大丈夫」

不謹慎にも、嬉しくてドキドキしてしまって、私は慌てて話題を変えた。

「……でも、譲くんすごいね。こんな暗い中で矢を当てられるんだ。敵がいるなんて、私、わからなかった」

「いえ、俺にも、相手の姿は見えていません。こう暗くてはね」

「えっ、じゃあどうやって?」

「『心眼さえできていれば望むところに矢を命中させられる』 ―――俺の師の言葉です」

「師? こっちの世界でも弓を習ってるの?」

「ええ、実は、俺、あの那須与一に弓を習ってるんですよ」

譲くんの声のトーンが少し上がって、やや高揚した感じが伝わってくる。

「まさか、彼から教えてもらえるなんて―――すごいことですよね」

「那須与一って……すごい弓の名手だよね」

「ええ、そうなんです。当人が、師匠扱いしなくていいって言うから、半分友達みたいなものだけど。でも、すごい人ですよ」

誇らしげに彼のことを話す譲くんの声が明るくて、私まで嬉しくなる。

「そうなんだ……」

だけど、同時にちょっとそんな風に信頼してもらってる那須与一さんが羨ましくもあって、自分と譲くんの時間を取られるような気がして……。

嬉しいけど、少しだけ寂しくて苦しい。



―――譲くん、置いて行かないで。



もし、譲くんが那須与一さんの弟子でなかったら……

弓が上手じゃなかったら……

あの屋島で、平家の挑発を受けて弓を射る役目はあなたじゃなかったかもしれないのに……



強くならなくていい、そのままの譲くんでいいから……



お願い……ずっとそばにいて欲しいの……



思わずあの時の気持ちがよみがえって、切ない気持が溢れて、涙ぐみそうになる。

私は大きく息をひとつ吐いた。

いけない、こんな気弱になってたら、譲くんに変におもわれるかもしれない。

慌てて譲くんの様子を見ると、彼はどこか遠くに視線を馳せていた。

私の様子には、全く気付いていない。

「譲くん?」

「……俺たちの世界で那須与一と言えば、屋島の戦いで………………」

「どうしたの?」

「……いえ、別に大したことじゃないんです」

私に彼の視線が戻って来て……そして私の心臓はドキリと跳ねる。

「大したことないなんて、うそ! そんな青い顔をして」

暗がりなのに分かるほどの顔色。

なのに大したことないなんて……きっと私を心配させないためなんだ。

そうだ、譲くんはそういう人だ。

私の胸がきゅっと締め付けられる。

どうしてこんなことに、最初から気付かなかっただろう。

「お願い、無理しないで……」

 じっと譲くんを見る。

と、同時に私に注がれる彼の視線も痛いほど感じた。

「――口にすると、本当に馬鹿馬鹿しいことなんですよ」

ゆっくりとためらいがちに彼の口が開かれる。

「だったら、余計に口に出して言ったほうがいいよ。そのほうがすっきりするでしょ?」

「…………… 以前、よくない夢ばかり見るって話をしたのを覚えてますか?」

「うん、確か、京でその話をしたよね」

譲くんの夢、自分が死ぬっていう夢……。

「こんな夢を見るのも鍛錬がたりないからなんでしょうね」

苦しそうな譲くんの声。

本当に、そうなのかな?

それだけのことなのかな?

だけど、かける言葉がみつからない。

苦しんでるあなたに何もしてあげられない自分が、悔しい。

「元の世界にいた頃は弓道にそれなりに自信があったんですが、実戦に出るとまだまだだと痛感します」

「譲くんは……自分が鍛錬がたりないって思ってるんだ」

掠れる声を、絞り出す。

「だから? だから……那須与一さんに習うことにしたの?」

「ええ。」

きっぱりとした声。

譲くんが師について鍛錬すれば、本当に悪夢は治まるの?

だったら、馬鹿なやきもちを妬いてる場合じゃない。私にできないのなら、誰でもいいから……譲くんを助けてあげて欲しい!

でも……最初の運命では、ずっと苦しんでたんだよね?

あの時だって、同じように鍛錬に励んでいたのに。

本当にどうしてあげたらいいんだろう。

何の力にもなれない自分が悔しい。

俯いて黙りこくる私を不審に思ったのか、先輩? と譲くんの優しい声が降ってきて、慌てて顔を上げる。

すると、譲くんが照れくさそうに微笑んでて……。

「それに……先輩に師がいるのを見て……」

「? リズヴァーン先生のこと?」

急に振られた話題に、私はきょとんと彼を見る。

「ハイ、先輩はリズ先生に習って剣の技も上達したでしょう。先生がいるのはいいな……って」

「え? もしかして、うらやましかったの?」

「えっ……あっ……いや…その… すみません、わすれてください。な、何を言ってるんだ、俺」

私の顔が、思わずほころぶ。譲くんも私を……私とリズ先生がうらやましかったんだとわかって。

なんだ、同じように思ってたんだ。

そんなことが、嬉しい。

「でも…それを見て先生につくことにしたんだよね。そっかあ……私も頑張らなきゃな」

「先輩は十分頑張ってるじゃないですか」

「そうかな。でも、私ももっと強くなりたいんだ」

だって、私は譲くんを守らなきゃならないんだから。

だけど、それは秘密。

譲くん、ちょっと不思議そうな顔をしてる?

「だって、怨霊を封印したりしなきゃいけないし」

「そうですね。怨霊を封じるためには、戦わなければならない。危険な戦いです。本当だったら反対したいけど……」

いつも通り、譲くんは私を心配してくれる。

でも、でもこれだけは譲れないの!

「うん、でも私は―――」

どうしても、何があっても、あなたを救いたいから!!

反対される? 怒られる? また、心配させちゃう?

だけど……。

「わかっています。先輩は決めたんでしょう?」

「譲くん……」

そのどれでもなくて、優しく微笑む彼を見て、私は言葉を無くす。

「それなら、俺は先輩を守るための力がほしい」

私の我儘なのに……守ってあげたいあなたがやっぱり私を守ってくれると言うんだね。

「俺は……」

俺は……? 

私を見る譲くんのまっすぐな視線に、胸がドキドキと高鳴る。

俺は?……何?

だけど、

「八葉ですから……。あっ……すみません、ずいぶん話し込んでしまいましたね。そろそろ行きましょう」

平然とそう言って、再び前を見て歩きだす譲くん。

その言葉に、その態度に、期待がしぼんで、胸が締め付けられる。

八葉だから?

あの運命で感じた私への気持ちは、夢だったの?

あなたが大切だと知った私の気持ちは受け止めてもらえるのだろうか?



前を進む彼の背中を見て、私はじっと立ちすくむ。

あの時のように、置いて行かれそうで……。



と、突然、譲くんがこちらを振り返って……

「先輩? 大丈夫ですか?」

そして、腕を差し出してくれた。

「一緒に行きましょう」

たったそれだけの言葉だけど、一番欲しかった言葉。



ああ、譲くん、大好き!



私が譲くんに向かって駈け出すと、譲くんは慌てた顔をする。

「こけないでくださいよ。急がなくても、待ってますから。俺が先輩を置いて行くわけないじゃないですか」

そして、優しく笑う。



だけど……だけど、前の運命では、私を置いて言っちゃったんだよ。



私は譲くんに追いついて、彼の腕を思いっきり掴む。

「今度は一緒に前に進もうね」

「え!? あ、すいません、それほど先に来たつもりはなかったんですが……」

「ふふふ、もういいよ。これから、置いて行かないでくれたら……」



はい、とほほ笑む譲くん。

掴んだその腕が、本当に愛しい。







もし、もしもまた、運命が繰り返されるとしても、あなたが私を置いて行こうとしても、私は絶対離さない。

必ずあなたを捕まえてみせる。

何度でも、何度でも、あなたをと共に進める世界にたどり着くまで……。 





 
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