最高のプレゼント
俺は、内心の動揺を見せないように、必死だった。
「先輩、お茶のおかわり、もう一杯いかがですか?」
「……うん」
ゆっくり立ち上がりながら、自然さを装って、先輩に声をかけてみる。
しかし先輩は、俯いたまま、微かに頷いただけだった。
異世界から戻ってきて、初めての先輩の誕生日。
そして──今でも奇跡としか思えないのだが──、先輩が俺の……彼女、になってから、こちらで迎える初めての誕生日なのだ。
向こうではほとんど何もしてあげられなかったせいもあり、俺は例年以上に張り切って、先輩が欲しがっているものをそれとなく聞き出してプレゼントの準備をし、彼女の一番好きなケーキを焼き、好みのお茶を吟味し、当然部活も事前に休みの届けを出し、うちに招いて祝うつもりだったから兄さんにも外出の予定を入れさせて……そう、これ以上ないほどの根回しをした。
あいにく授業はいつもの平日どおりで、帰りは夕方になってしまったけれど、それは隣同士の強み、ほとんど時間のロスもなく、2人きりのバースディパーティーは、限りなく理想に近い形でスタートすることができたのだ。
先輩は、とても嬉しそうだった。
プレゼントも、手作りのケーキも、それはそれは喜んでくれた。
そして、彼女の幸せそうな笑顔を見て、また俺も、至福の時を過ごしていたのだ。
なのに。
「はい、お待たせしました」
「……うん、ありがとう……」
ふと気がつくと、いつの間にか、先輩の笑顔が消えていた。
いや、正確には「幸せそうな笑顔」が、消えていたのだ。
何がきっかけだったのかは、わからない。
いや、きっかけがあったのかどうかも、わからない。
ただ、気がつくと、先ほどまでの眩しい笑顔は消え、沈んだ瞳に時折作り笑いを浮かべているだけだった。
それに気づいた時、さすがに動揺した。
何か、先輩の気に障ることをしてしまったのだろうか。
もしかしたら、本当はプレゼントが気に入らなかったんだろうか。
それともケーキが、口に合わなかったんだろうか。
いや、それとも……。
思考はぐるぐると同じところを巡るばかりで、何も答えを出してはくれない。
悶々とした気持ちを抱え、空になったケーキの皿を下げようと、再びキッチンへ向かおうとした時。
先輩の、深いため息が聞こえた。
思わず立ち止まってしまって、初めて自分の動揺を表に出してしまったことに気づく。
だが、もうそんなことは言っていられない。
間違いない。
彼女の機嫌は、最悪だ。
でも、なぜ……?
心当たりがまったくないのだから、対処のしようもない。
またしてもぐるぐると思考の迷宮に陥りながらも、俺の口は、突然立ち止まってしまった言い訳らしきものを、勝手に紡ぎだす。
「……せ、先輩、他になにか、足りないものはありますか?」
もちろん答えなど期待していなかった。
この様子では、何も欲しがるどころではないことくらい、俺にもわかっていたから。
「……あるよ」
だから、一瞬何を言われているのか理解できなかった。
「……え?」
「ひとつだけ、ある」
低く小さく、だがはっきりとした声に、俺は思わず振り返る。
先輩は先ほどと同じく、背を向けたまま僅かに俯き、リビングのテーブルについていた。
──ひとつだけ、足りないもの……?
どうしようかさんざん迷った後、俺は先輩のところに戻り、だが正面に座る気にはならず、隣におそるおそる腰掛けた。
「……」
続きをしばらく待ってみたのだが、先輩は俯き気味に押し黙ったままだ。
沈黙に耐えかね、その「足りないもの」が何なのか聞いてみようと思ったが、どうやって切り出したらいいのか、まるでわからない。
結果、俺は手をこまねいたまま、俯いた先輩をただ見つめ、言葉の続きを黙って待つことしか出来なかった。
長い長い沈黙の後。
「……あのね」
意を決したように小さく息を吐いてから、先輩はようやく口を開いた。
「プレゼントも、ケーキも、お茶も、譲くんの気持ちも。すごく嬉しいの。だから、それだけは誤解しないで聞いてくれる?」
「……はい」
意図は掴めないながらも、先輩がとりあえず喜んでくれていたという事実に少し安心し、俺は先を促すためにも、素直に頷く。
それを聞いてほっとしたのだろう、先輩は俯いていた顔をあげ、俺の瞳をじっと覗き込んだ。
「ね、譲くん」
「は、はい」
「今日、私のこと、どれくらい見てくれた?」
「……え……っ?」
先輩の、ことを?
わざわざそんなことを聞くなんて、どこか、いつもと違うところでもあるんだろうか。
髪型も見たところ、変わらないように見えるし、髪留めもお気に入りのヘアピンを使っている。
服装は学校帰りだから、制服のまま。
こんなことを口に出すのは気恥ずかしくて到底無理だけれど、いつもと同じく……とても、可愛い。
俺の視線に気づいたのか、先輩はちょっと頬を赤らめ、慌てたように言葉を継いだ。
「違うの。私はいつもと同じだよ。あのね、そうじゃなくて……」
そこまで言うと、ふいに先輩は言葉を飲み込む。
頬はますます赤く染まり、大きく見開いた瞳は、何故だか少し潤んでいるようだ。
視線をほんの少し泳がせ、先輩はなおも言い淀んでいたが、ついに耐えきれないかのように、小さく叫んだ。
「もうっ、鈍感!」
突然キレられ、俺は大いに面食らった。
──鈍感。
確かに、先輩の気持ちを汲み取れず──今がまさにそうだが──、それが喧嘩の元になることも少なくはない。そして逆も然り。
だけど今日は、間違ってもそんなことがないように、細心の注意を払っていた、つもりだった。
そんな努力も、無駄だったのだろうか。
また彼女を怒らせてしまったんだろうか。
落ち込みそうになる気持ちを懸命に奮い立たせ、もう一度彼女を見つめる。
幸い俺の心配は杞憂だったようで、先輩は頬を真っ赤に染めたまま、少し唇を尖らせ、それでいて縋るような瞳で、俺をじっと見上げていた。
「……ねぇ、ほんっとうに、わからないの?」
しばしの沈黙の後、先輩は今度は泣きそうな顔で、もう一度尋ねてきた。
先輩とは憶えていないくらい小さな頃から一緒にいるけれど、いつだって彼女の言動は、俺の想像を軽く飛び越える。
けれど今日ほど不可解なこともめずらしい。
だから、先輩のこの問いは、情けないけれど、肯定するしかなかった。
「……は、はい、すみません……」
俺がしょんぼりと答えたのを見て、先輩はあからさまに肩を落とし、はぁ〜っ、とため息を吐いた。
そんな反応に、ますます小さく縮こまった瞬間。
「……あのね、譲くんが足りないの!」
突然放たれたその言葉に、俺は文字通り固まってしまった。
……え、俺……?
「だって譲くん、今日は私の誕生日だからって、ずっとキッチンとここと部屋の往復でしょ?だから譲くんの顔、今日はほとんど見てないような気がするの。
譲くんが一所懸命祝ってくれるのはすごくすごーく嬉しいよ。でもね、一番嬉しいのは、譲くんと話して、笑って──ううん、一緒にいられるだけでいいの。わかる?」
思考停止した脳に、矢継ぎ早に発せられる先輩の言葉が、じんわりと、甘く甘く染み渡っていく。
──そうだ。
そんな簡単なことも、忘れてしまっていたなんて。
「……もう、こんな恥ずかしいこと、言わせないでよ……」
焦点を失ってしまっていた視界に、先輩の姿が蘇ってくる。
俯いてしまったので表情は見えないが、項と声の色から察するに、きっと茹で上がったみたいな顔で、頬を膨らませているに違いない。
そんな姿を見ていたら、愛しい思いが急激に膨れあがってくる。
目の前で恥ずかしそうに俯いたままの彼女を、強く抱きしめてしまいたくなる。
──ああ、でも。
「……すみません、先輩、ここを片付けるのを手伝ってくれますか」
「……え?」
そう言いながら立ち上がった俺を、先輩は、まだ真っ赤な顔のまま、きょとんと見上げる。
それにも構わず、俺はケーキの皿を先輩の手に押しつけ、自分は飲み物のカップを持ち、にこっと笑った。
「片付けが終わったら、何か飲み物をもって、俺の部屋に行きましょう。そのほうが落ち着きますからね」
その言葉を聞くなり、先輩の顔が、ぱあっと花が開くようにほころんだ。
「──うん!」
その満面の笑みに答えるように、俺ももう一度笑うと、先輩を促してキッチンへと向かう。
片付ける時間ですら、あなたと離れていたくない。
部屋に行ったら、何の話をしようか。
見たいと言っていた映画の話? それとも別の話?
いや、とりとめのない話で時間を費やすのも悪くない。
あなたと2人きりで、お互いを見つめ合い、笑っていられる。
そんな至福の時を過ごせるならば。
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