『BARAGA-鬼ki』ゆかりのスポット巡り


鳥羽・伏見京都府京都市

 

1867年、王政復古の大号令を出して、徳川の領地と官位をすべて剥奪しようとした新政府(大久保利通を中心とする)と、大政奉還の後も天皇の下で実質的な権力を温存しようとした旧幕府軍が鳥羽・伏見の戦いで衝突、ここから長く悲惨な戊辰戦争が始まります。

旧幕府軍の主力はかつての鳥羽離宮の近くに、会津藩・桑名藩と新選組は伏見に進みました。

京阪本線伏見桃山駅のすぐそばにある料亭、魚三楼の格子には、この戦いの際の弾痕が残っていて、今も見ることができます(上、下左)。

  

新選組をはじめとする幕府軍が拠点としたのは、伏見奉行所でした。
現在は市営住宅、桃陵団地が立ち並び、石碑(下右)しか残っていませんが、石碑近くの壁にこの土地の歴史を示すプレートが飾られています。

    

一方、新政府軍の拠点は御香宮(下)。
伏見城の大手門を表門とするこの神社は、現在も安産の社として、そして名水「御香水」が湧く宮として信仰を集めています。



 

境内にはいまだに伏見城に使われていた石材(上左)が積まれています。
拝殿(上右)の左手には「御香水」を汲める一角が設けられていて、近隣の人たちがペットボトルやポリタンクを持って訪れている姿が見られます。

実際に行ってみるとわかりますが、伏見奉行所御香宮は非常に近く、本当に目と鼻の先という位置関係です。
この距離で大砲や銃を撃ち合ったのですから、犠牲者の多さも納得できます。

兵の数では劣る新政府軍が、火器の力で幕府軍を圧倒し、戦いはに、やがて橋本にと移っていきます。



*『BARAGA-鬼ki』ポイント
劇中では、近藤さんが鳥羽・伏見の戦いの最中に撃たれていますが、実際にはこの約1カ月前に、御陵衛士の残党に撃たれ、大阪城で療養していました。

劇の号泣ポイントである井上源三郎さんの最期は、伏見から退却した先、淀でのこと。
周平をかばって撃たれた傷を隠しながら、故郷の話をねだります。
「そうか……きれいな川と…山か…懐かしいな」

私も多摩に住んでいるので、このとき源さんの脳裏に浮かんだのは、きっとあの山と川なのだろうなと想像して、ボロボロに泣いてしまいました。

続く周平土方さんのやりとりも本当に泣かせる。
再演初日には、井上源三郎さんの子孫である井上雅雄さん(井上源三郎資料館の館長さん)もいらしていたそうです。