魔法のベルが鳴るとき ~有川兄弟編~ ( 1 / 2 )

 



 珍しく深く眠った翌朝。

 目を覚ます前に、軽やかな鈴の音を聞いた気がした。

 明るいその音が、とても楽しそうに感じた。




 譲はすっきりとした気持ちで目を覚ました。

 機嫌良く起き上がって着替えようとしたのだけれど、なぜか、自分の着物がなく、眼鏡もなく。それにしてはやけにはっきりと目に映る視界に首を傾げる。

 深く眠れたから、頭がクリアになっているからだろうか。

 不思議に思いつつも、食事の支度をしないといけないので、着替えを探す。

「これ……?」

 角の方に置かれていた着替えは、見覚えがあるものの、自分のものではない。

「何で、兄さんの?」

 兄が悪戯したのか?

 けれど、将臣も着替えが多いわけじゃないから、なかったら困るだろうに。

 迷ったけれど、他に着物がない。自分の着物を取り返すにしても、下着姿でうろつくわけにもいかない(単衣だから現代人からしてみればどうということはないけれど、朔が見たら困るだろう)から、とりあえず将臣の着物を着る。

 身長はそう変わらないのだから、大丈夫だろう。

 体格は…もし、かなり余ったりしたら、少しばかりショックだ。

 内心緊張しながら袖を通すと、あつらえたようにぴったりだった。

 そのことにほっとしつつ、顔を洗って厨に向かう。

 いつもより遠かった気がしたが、朝食の支度に気を取られている譲は、すぐに忘れた。

 昨夜のうちに用意しておいたものと、今朝届けられた食材で、朝食の献立を組むと、瞬く間に作っていく。

 時々、細かい部分で失敗しそうになり、体調が悪いのかと、自分で疑った。

 よく眠れたけれど、寝冷えでもしたかな。

 軽く咳をしてみると、いつもより低く響いた気がする。

 喉の調子も悪いんだろうか。

 痛みはないけれど、と考えながらも、手を動かす。

 そうこうしているうちに、食事はほとんど出来上がった。

 そろそろ望美を起こしにいかないと。

 そう思って、襷を外すと、パタパタと軽い足音が聞こえてきた。

「ごめんなさい、譲殿。今朝は遅くなってしまって」

「大丈夫だよ、朔。もうできたから」

 笑顔で答えると、朔が目を真ん丸にしてこちらを見た。

「え……?」

「先輩を起こしてくるから、味噌汁の火を見ていてくれるか?」

「は!?」

「頼むよ」

 驚いて固まる朔に気付かず、譲は望美のもとへ向かった。




 やっぱり調子が悪いのだろうか。

 自分の声がやけに重く響く。

 風邪じゃないだろうな。もし風邪なら、望美にうつさないようにしないと。

 そんなことを考えながら歩くと、望美の部屋の前についた。

「先輩、起きてますか?」

 うーん、と寝ぼけた声がいつも通り聞こえた。

「朝ですよ、先輩。起きてください」

 それでも起きないのは、いつものこと。

 入りますよと、断りを入れ、部屋に入って几帳の向こうの望美に声を掛ける。

「先輩、朝食ができました。冷めないうちに起きてください」

 だいたい、このあたりで生返事が返り、結局布団を剥がすまで、起きないのが望美なのだが。

「な」

 いつもと違う様子の声が響いたと思うと、望美がはね起きた。

「何をふざけてるのよ、将臣くん!!」

「え?」

 几帳を蹴倒す勢いで顔を出した望美に、譲は目を瞬かせた。

 望美が睨むようにこちらを見たので、譲が苦笑した。

「ああ、この衣装ですか。誰かが悪戯したのか、俺の着物がなくて、代わりに兄さんの着物があったんですよ。朝食の支度があったので、やむを得ず、これを着たんですが」

 服を見て将臣と間違えたのだと思った譲が、そう説明する。

 苦笑気味に、けれど柔らかく微笑んで望美に言うと、目の前の顔が固まり、パカンと口が開いた。

「それより先輩。早く着替えてください。味噌汁が冷めてしまいますよ」

 いつも通り穏やかに微笑んでそう告げると、望美の顔が蒼くなった。

「先輩!? どうしたんです!? 具合が悪いんですか!?」

 それこそ風邪でも引いたのかと、額に手を当てて熱を計り、顔色を見るように覗き込む。

 一段と血の気が引いた望美に、譲が慌てた。

「横になってください。弁慶さんを呼んできますから!」

 望美の肩を押して、立ち上がる。

 望美が何かを呟いていたが、焦っている譲には聞こえなかった。




 弁慶の部屋にいったが居なかったから、そろそろ朝食の時間だし、居間になっている部屋にいるのではと、足音高くそちらへ向かった。

「弁慶さん、いますか?」

「え?」

「おや、どうしました」

 部屋に入った譲に、目を丸くする景時とは対照的に、いつも通りの穏やかな笑顔で、弁慶が答えた。

「先輩の様子がおかしいんです。顔色がすごく悪くて、具合が悪いみたいで」

「……それは心配ですね。君が朝、起こしにいったのですか?」

「はい、いつも通りに…」

「そうですか。望美さんの不調の理由はなんとなくわかりました」

「本当に!?」

「ええ、ところで君は調子が悪くないですか?」

 そう問いかけられて、譲が首を傾げる。

「そういえば……なんだか、喉の調子が」

「喉?」

「はい。声が変なんです」

 そこまで答えて、譲は弁慶の隣の景時が、目を見開いたまま硬直しているのに気付いた。

 望美のように青ざめてはいないけれど、症状が似ている。

 もしかして、景時も同じなのではと、心配そうに顔を見た。

「景時さん、具合が悪いみたいですけど、大丈夫ですか?」

 譲が声を掛けると、そうですねぇ、と弁慶がおかしそうに笑う。

「望美さんと同じだと思いますよ」

 やはり、と譲がいたわるように景時を見ると、景時の顔はさらに歪み、弁慶はこらえきれないように、くすくすと笑った。

 笑ったということは、悪いものではないのだろうかと、少しだけ肩の力を抜く。

「とにかく、一度見て……」

「はよーっす。腹減った。って、なんだ、メシはまだなのか?」

「兄さん、」

 説教が出るはずだった口の動きが止まる。

 いつもと同じように、単衣姿で着崩して現れた男に、普段ならば、きちんと着物を着ろ、と、そこから始まるのだが。

 言葉もなく相手を見詰めると、相手もまた自分に気付いて、睨むように見つめてきた。

「…………怨霊?」

「誰がだ、ボケ!!」

 いつも通り怒鳴りつけても手が出なかったのは。

 目の前の男が、自分とまったく同じ姿をしていたからだ。

 そうしてようやく、譲は皆の反応がおかしい理由を知ったのだった。