兄弟

 

「ったく、かわいげねえなあ、譲。兄貴っていうのは頼られると結構何でもやってやるものなんだぜ」

「そっちこそ、俺をいつまでも半人前扱いするのはやめてくれよ」

勝浦の宿の庭でちょっとした大工仕事をしていた譲は、手を貸そうとする将臣を睨みつけた。

京で一度別れ、熊野で再会してから一週間。

この弟は、あの世界にいたころよりもずっと、兄にキツく当たるようになった気がする。




将臣は腰に手を当てると、ひとつ息を吐いた。

「……まあ、気持ちはわからないでもないが、今のお前は俺より四つも年下だからな」

「歳を取ったのは兄さんの勝手だろ」

「そりゃそうだ」

将臣は腰をかがめると、譲が紐でまとめようとしていた木枠を両手でガシッと押さえつけた。

「兄さん……!」

「ほら、絶対二人でやったほうが早いって。さっさとその紐、巻けよ」

「……わかった」

いつまで言い合いをしていても仕方がないので、譲は渋々作業を進める。




兄の大きな手を見ながら、確かに一緒にいたころよりも骨張った、「男の手」になったなと思う。

長剣を振り回す日々のせいで、腕力も強くなり、筋肉のつき方もずいぶん変わったような気がする。

三年半……。

この世界にたった一人で飛ばされてからの日々を、この人はどうやって過ごしたのだろう。




「どうした? 譲」

とっくに紐を巻き終わったのに、次のアクションを起こそうとしない弟に、将臣は声をかけた。

「ん、あ、ごめん、今、紐を切るから」

結び目を作り、木枠がしっかり固定されたことを確認すると、譲は紐を小刀で切った。

出来上がりを満足そうに眺めて、将臣は身体を起こす。

「ほーらどうだ! 一人でやるより、絶対仕上がりもよくなったって」

「そうだな……。兄さん、ありがとう」

「なんだ? 今度は妙に素直だな」

不思議そうな顔をして譲を見た。




「……礼ぐらい言ってもいいだろ」

「そりゃ…………譲?」

背中を向けてしまった弟の髪をくしゃっと撫でる。

「何だお前、急に」

「…………兄さんこそ、もっと素直に弱音吐けよ」

「……!」

「……平気だったわけ、ないじゃないか。三年以上も、一人で」

「…………」

しばらく沈黙した後、将臣は「座るか」と、譲を庭石が置かれた池のほうに誘った。




大きな石に並んで腰掛けながら、将臣は空を見上げる。

「……まあ、確かに楽とは言えなかったが、俺は結構ラッキーだったと思うぜ。最初に入り込んだ邸の主人に拾ってもらえたんだからな」

「入り込んだ?」

譲が尋ねると

「食う物はねえし、寝る場所もねえし、その辺で一番でかい邸なら、何かしら手に入ると思ったんだよ。まあ、要は盗みに入ったんだな」

と、あっけらかんと答えた。

「……!」

一瞬顔を強ばらせた後、譲は言葉を飲み込む。

自分たちだって、最初に朔に会わなければ同じことをしていたかもしれない。

誰も知る人のいないこの世界で、たった独りぼっちだったら。




「お前、深刻にとらえすぎ。俺はこの手のサバイバルは得意なんだよ」

ぐしゃぐしゃとかき混ぜるように頭を撫でられて、譲は抵抗した。

「な、急に何するんだよ、兄さん!」

「お前だってよく頑張ったんだろ、望美と二人で、いきなりこんな世界に来て」

手を止めて将臣が言う。

「俺は……寝るところに困ったりしなかったから」

乱れた前髪に隠れるようにうつむくと、譲はつぶやいた。

「お前は気い遣いだからなあ。望美と違って、他人の家に居候するのはそれなりにきつかっただろ?」

「……そんなこと言ったら、罰が当たるよ」







「将臣く~ん! 譲く~ん! 庭にいるの~?」

遠くから、望美の声が聞こえた。

「噂をすれば……か。おう、望美、こっちだ!」

張りのあるよく通る声で応えると、将臣は立ち上がった。

「とにかくお前たちが無事でよかった。俺にはそれが一番うれしいぜ」

「兄さん……」

自分も立ち上がりながら、譲は真剣な顔で言った。

「どうしても、ずっと一緒にはいられないのか? いつになったらこっちに合流できるんだ?」

「譲?」

「俺に何かあったら、先輩は一人になってしまうから。兄さんにはそばで先輩を守ってほしいんだ。俺がいなくなった後もちゃんと……」

「譲っ!!」

いきなり、将臣が譲の襟首をつかんだ。




「この世界では、生き延びる意志が強い人間だけが死なずに済むんだ! 間違ってもそんなことは考えるな!!」

すごい剣幕で言われて、譲は無言になった。

「俺たちは武士でも何でもない。美学だのメンツだのを気にする必要はないんだ。危ないと思ったら逃げろ! 卑怯でも何でもかまわない! 死なないってことが、生き延びるってことなんだ! いいな!?」

「………ああ……」




「将臣くん!? 何してるの?! 譲くん、大丈夫!!??」

将臣が譲を締め上げているように見えたのか、望美が青くなって駆け寄ってきた。

「どうしたの?! せっかく再会できたのに、ケンカ?」

譲をかばうように望美が立ちはだかる。

将臣はその姿に苦笑した。

「望美は相変わらず譲の味方なんだな」

「だって、将臣くんのほうが手を出しているように見えたから。原因は何なの?」

「先輩、すみません。俺が悪いんです」

背中から聞こえた声に、望美は驚いて振り向く。

「譲くん?」

「俺が情けないこと言ったから。兄さんは活を入れてくれただけです」

「活って……」




襟元を直しながら、譲は将臣をまっすぐ見つめた。

「でも、俺の気持ちは変わらないから。兄さんには早く、先輩のそばに戻ってきてもらいたい」

「譲」

「え?」というように、望美が二人の顔を交互に見る。

「お前と二人で守るために……っていうんなら、聞いてやってもいいぜ」

「……兄さん」

「????????」

話が見えずに困惑する望美。

「悪い、望美。これは男同士の話ってやつだから」

「……ケンカ……じゃないんだよね」

「違いますよ。安心してください、先輩」




二人からそう言われて、望美はこくんとうなずいた。

「それで、何か用だったんじゃないのか?」

将臣が尋ねる。

「あ、弁慶さんが二人を呼んできてくれって」

「何か新しい情報が入ったのかもしれませんね。宿に戻りましょう」

もう少し事情を知りたい……という顔の望美を促して、三人は歩き出した。

将臣が、のんきに頭をポリポリかきながら言う。

「しっかし、弁慶ねえ。ありゃあずいぶんと得体の知れない男だな」

「兄さんだって、この世界じゃ十分得体が知れないよ」

譲の言葉に望美が大きくうなずいた。

「そうだよ! サンキューだし、オウケイだし、すっごく怪しいよ!」

二人は思わず顔を見合わせ、声を上げて笑った。




「おや、ずいぶんと楽しそうですね。少し妬けるな」

宿の入り口で待っていた弁慶は、優しげな微笑みを浮かべて三人を迎えた。

「弁慶さん、お待たせしました」

「何かあったのか?」

口々に言いながら、全員が薄暗い建物の中へと吸い込まれて行く。

どこまでも青い空と、ギラギラと照りつける太陽。

今日も、熊野の一日は暑くなりそうだった。







 

 
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