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神護寺騒動 ( 2 / 4 )

 



言われて初めて、幸鷹も部屋の様子に気づいた。

薄暗い灯りに照らされた仏像や仏具が、闇の中に点在するだだっ広い空間。

四条の邸の局とは確かに大きく異なっている。

自分がわがままを言っていることを十分自覚している花梨は、申し訳なさそうにうつむきながら、それでも袍の裾をしっかりと握り締めていた。

(……よほど怖いのですね)

幸鷹は腰を落とすと、励ますように花梨の肩に手を添えた。

「神子殿」

「う…うちには、仏壇とかなくて、こういうのに慣れてなくて…
なんかほとんどお化け屋敷みたいに思えちゃって……」

「……おっしゃりたいことは何となくわかります。
しかし、隣りの部屋にはもっと迫力のある仏像が並んでいますし、
まさか全員で一部屋に寝るわけにも参りませんから…」

「わ、私は大丈夫ですよ!」

「神子殿、それはいけません」

厳格な幸鷹に諌められて、花梨は見るからにしゅんとした。




幸鷹が口元を少し緩める。

「……ですが、神子殿が恐怖で眠れないのを捨て置くわけにも参りません。
あまり好ましいことではありませんが、いかがでしょう、
私が几帳のこちら側で宿直(とのい)するというのは」

「…え…?」

意味を取りかねて首を傾げる花梨に、幸鷹は袂から数冊の書を取り出してみせた。

「もともと今宵は夜を徹するつもりでおりました。
ですから寺の御坊からこうして書物をお借りしていたのです。
宿直の場所が隣室からこちらに移るだけですので、紫姫には多少大目に見ていただきましょう」

「だ、駄目ですよ! それじゃあ幸鷹さんが休めません! あんなに昼間、戦ったのに」

自分の怖さなどすっかり忘れて、真剣に幸鷹の体の心配をする花梨に思わず微笑みが浮かぶ。




「神子殿。あなたはいつもそうして、自分のことよりも八葉や京の人々のことを優先されますね。
けれど今日は、それを『お休み』しましょう」

「……?…」

「せっかく怖いという気持ちを素直に口に出せたのです。
今日は無理をせず、我慢もせず、どうか素のままのあなたでお過ごしください。
私がすぐそばで必ずお守りいたしますから」

「……幸鷹さん…」

いつも、どちらかというと指導的な言葉を掛けることが多い幸鷹の意外なほどの優しさに、花梨は戸惑いながらも胸を熱くした。
同時に、安堵の気持ちが湧き上がる。

(そっか、今日は怖がってもいいんだ…)

本当はいつだって怖い。

怨霊も鬼も一部の京の人々も。

けれど神子としての立場が、八葉たちの懸命さが、花梨の楯となり力の源となっているのだ。




花梨の肩から力が抜けるのを見て、幸鷹もそっと息を吐いた。

この少女がいつも、無理をしているのはわかっている。

だが自分の立場上、翡翠のように「そんな役目は放り出せ」とは言えない。

ならば今日くらいは、自分が全力で守り、安らいでもらおう。

そう決意していた。

「ああ、袍はそのままお持ちください。
几帳のこちら側で片袖を通していますので、何かあったら引っ張っていただければすぐにわかります」

「え? なんか非常ベルみたい」

「非常……? そうですね、非常事態をお知らせください」

「ええと……こんな感じでいいですか?」

青い袍を、几帳の下をくぐらせて茵のそばに少しだけ引っ張り出す。

「こんなに引っ張っちゃっても着られますか?」

「大丈夫ですよ、丈がそれなりにありますから。神子殿のほうはちゃんと手が届きますか?」

「はい! しっかり握ってます」

几帳のこちらと向こうで言葉を交わす。

「では、安心してお寝みください。何も怖いものは近づけませんので」

「はい! ありがとうございます」




しばらく衣擦れの音がした後、着替えを終えて衾の下に潜り込んだらしい花梨が

「おやすみなさい、幸鷹さん」

と小さく声を掛けた。

「おやすみなさい、神子殿。どうかよい夢路を」

幸鷹が紙燭の灯りで書の文字をたどるうち、微かな寝息が聞こえだす。

その眠りを守ることができて本当によかったと、幸鷹は思った。