陣中見舞い

 



「お頭!」

手下の1人が桟橋から呼び掛ける。

伊予の港の沖合にある、海賊たちの本拠地。

そこに係留された正船の船尾楼から、よく通る声が応えた。

「何だ」

「あの国守の小僧、田畑(でんぱた)に日参しているらしいですぜ」

手下が大声で告げる。

「……藤原幸鷹……か?」

抜けるような青空と陽光を背に、船縁から美しい長髪の男が顔を覗かせた。

「海賊に帰農を呼び掛けたんだ。多少の責任は感じてもらわねばな」

「はあ~、それが……」



 * * *



「西の田の開墾が進んでいないのは、人手不足か? 何かほかに問題が?」

各地区の状況をびっしりと書き込んだ絵図を見ながら、伊予の国守、藤原幸鷹は尋ねた。 

弱冠17歳の彼の前にいるのは、荒れ果てた農地を開墾すべく集められた急ごしらえの「開拓団」。

居心地悪そうに身をすくめ、ただただうつむくばかりで何も答えない。

「問題があるのなら、言ってもらわねばわからない。吉次、お前が一番古株でしたね」

名指しされた領民は、飛び上がらんばかりに驚いた。

「こ、こ、国守様に申し上げることなど……」

「しかし現実に作業が滞っている。これでは……」




そのとき、幸鷹たちがいる邸の外で大きな歓声が上がった。

何事かと飛び出してみれば、大量の甕(かめ)が庭に置かれ、その中心に見覚えのある長身の男が佇んでいる。

「翡翠……?」

「やあ、国守殿。相変わらず政務に励まれているようで何よりだ」

そう言う彼の周りで、海賊の手下とおぼしき連中が次々に甕を開け、中身を振る舞い始めた。

「な! 何をやっている?! それは酒でしょう?!」

「国守殿をねぎらうため、少々お持ちしたのだよ。楽しんでくれたまえ」

「!!??」

「そろそろ陽も傾く。今宵は宴としゃれ込もう」



 * * *



「お前のやることはまったく理解できない」

いきなり始まってしまった酒宴を止めることもできず、幸鷹は憤然としていた。

「フフ……子供には多少、難しかったかな」

土器(かわらけ)を口に運びながら、翡翠が笑う。

「誰が子供です!」

「土地の百姓と海賊上がりの人間を、突然一緒に働かせるところが……だよ。まずは親睦を深めねば」

土器ににごり酒をたっぷりと注がれて、幸鷹は仕方なく口をつけた。

お付きの人間が止めようとするのを、手で制する。

「必要な援助は行い、道具も時間も与えているつもりだ。それでも解決できない問題が、酒などで……」

「ああ、もう一つ。聖人君子の耳の穢れになるようなことは、そうそうご注進できないのだよ」

「?」




翡翠に目で問いかけても、それ以上の説明はなかった。

仕方なく、再び杯を傾ける。

酒宴が進むにつれ、領民たちと元海賊の帰農民たちの間に少しずつ会話が生まれ始めた。

時折、楽しそうな笑い声も上がる。

(そういえば、彼らがちゃんと話しているのをこれまで見たことがなかった)

と、幸鷹は気づいた。

過酷な税に追われ、海賊になった人々と、それでも持ちこたえ、踏みとどまった領民。

すぐに心を開くには、お互いわだかまりが多かったのだろう。

「……なるほど。これが海賊流ですか」

「海賊ではなく、大人流、だよ」

クックッと翡翠が笑った。




カチンと来た幸鷹が、食ってかかる。

「翡翠、お前は手下たちの帰農は許しながら、自分では絶対に海賊をやめようとしない。いったいどういう了見なのですか!」

「あいにく、私は海賊のほうが向いているのでね。説得は諦めたまえ、幸鷹殿」

そう言うと、幸鷹の杯にまた酒を注いだ。

すでに何杯目になるかわからないそれを勢いよく飲み干し、幸鷹は立ち上がる。

「非合法な活動に『向いている』などという言葉を許すわけにはいきません! お前はもっと別の生き方もできるはずです。私は最前からずっと……!」

いきなり眼前の景色が傾いだ。

「え……?」

身体の均衡を崩したところを、翡翠に片手で支えられる。

「おやおや。国守殿はかなり聞こし召されたようだ。お前たち、奥で介抱してさしあげろ」

宴席で酌をしていた女たちから、キャーッと声が上がった。




「ひ、翡翠、いったい何を……」

「聖人君子に本当のことを言う人間などいないよ。今宵は国守殿に、『ただの人間』になっていただかなければ」

「なっ……!?」

頬を染めた農家のおかみさんたちにたちまち囲まれた幸鷹は、悲鳴のようなものを上げながら邸の中に連れて行かれた。

「わ、若様~っ!!」

お付きの者があわてて後を追う。




「……まあ、あれなら貞操は守れそうだね」

笑みを含んでそう言うと、宴席を振り返って翡翠は宣言した。




「お前たち、私は一度陸に戻った者を、再び海に迎える気はない。腹をくくってこの土地を拓き、豊かな実りを自らの手で得ることだ。

海にいる間、水や風との闘い方、土木の知識は身に付けたのだから、それを存分に生かし、土地の民と手を携えよ。それが、私からの最後の命だ」

かつての手下たちは、翡翠の声に魅入られたように聞き入り、深くうなずいた。

荒れ狂う海でも、不利な戦闘の最中でも、決して揺らぐことのなかった「頭」の声。

その内容は絶対だった。




「さて、そろそろ帰るとしようか」

かなりの酒を飲んだにもかかわらず、機敏な動作で馬に跨がると、翡翠は邸を一瞥した。

「国守殿と酒盛りをするのは……彼がもう少し『大きくなってから』のほうが良さそうだ」

ドッと周囲から笑い声が起きる。

数人の手下を従えると、一陣の風が吹き抜けるが如く、海へと走り去っていった。



 * * *



「開墾のほうは、うまく進んでいるようですぜ」

今日も船尾楼の上にいるお頭に、手下が声を張り上げる。

「国守の小僧は、毎日おかみさんたちに追いかけ回されて大変らしいですが」

プッと噴き出す声が風に乗って聞こえた。

「それでお頭、これからどうしやすか?」

船出の準備を終えた船団は、翡翠の命令を待つばかり。

楼上に立ち上がった長身の影が、遥かな海原をゆっくりと見渡す。

「あとは国守殿におまかせして、しばらく伊予を離れる。行き先は……」

 ひと際強い風が、長い髪をなびかせた。

「京……!」




白い波を蹴立てて沖を行く船を、幸鷹は高台から見送っていた。





 

 
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