Who are you? その後 ( 1 / 4 )
譲は朝の支度を終えると、大きく深呼吸をした。これから春日家へと望美を迎えに行き一緒に高校へ向かうのだが、実は昨日、自分としてはありえないようなことをしてしまったのだ。
昨日の朝、譲は酷い頭痛に悩まされていた。で、その頭痛が治まった後、なぜか気が大きくなっていて、望美に対してかなり強気な態度に出てしまったのだ。それはもう、気の迷いなどと言う言葉では表せられない。待ち合わせに遅れて来た彼女にキツイ口調で注意をする、会話はため口……いや上から目線とでも言った方がいいくらいで、彼女が転ばないようにという理由はあれど自分から手をつなぐ……そして極めつけは、通学電車の中で彼女に……彼女の額に……あろうことか、口づけを落としたのだ!
「うわぁぁぁ、俺は何てことを、先輩に~~~!」
譲は頭を抱えて、その場にしゃがみこんだ。その顔はゆでダコのように真っ赤だ。今思い出しても、顔から火が出る。
午後になってようやくいつもの自分を取り戻した時、望美に自分のおかしかった事情を説明すると、優しい彼女は笑って許してくれた。
けれど、譲の方が自分を許せない。あんな人込みで、見えないように気遣ったとはいえ、彼女の許しも得ず……。彼女だって許してくれたとは言え、やはりびっくりしたと言っていたではないか。
今朝、どんな顔をして会えばいいのだ?
だが、譲はもう一度大きく深呼吸をすると腕時計を見、すっくと立ち上がった。
いろいろ反省点はあるが、これ以上こうしていては望美を迎えに行くのに遅れる。
今日は、それはできない。失礼な人間な上に、時間にルーズではどうしようもない。
譲はできるだけ雑念を頭から追い払い、平静を装って春日家へと向かった。
* * *
譲はいつものように春日家の玄関で望美を待つ。
心の中で「平常心、平常心」と念仏のように唱えながら。
すると、軽やかな足音が響いて、昨日より五分も早く望美が飛び出してきた。
いつも遅刻ギリギリの望美が珍しいことだ。やはり昨日、きつく注意してしまったせいなのだろうか、と譲は気になってしまう。
しかし望美を見ると、いつも以上に明るい笑顔だ。
「おはよう、譲くん。 今日は私、合格かなぁ?」
「はい。余裕で間に合いますよ、先輩」
少しも彼女に気にした様子はない。譲はそっと、安堵の息を吐いた。が、次の瞬間、その和らいだ表情が固まる。
望美の表情が曇り、そして彼女らしからぬことを言いだしたから。
「そうじゃなくってぇ……望美、今日も可愛い? ちゃんと見て! 譲くんにとって合格かなぁ」
鞄を両手で持って、望美はくるんとその場で回って見せた。スカートの裾が、ふわりと広がる。
それを唖然と見ていた譲に、望美が声をかける。
「ねぇってばぁ……どう?」
催促されて、慌てて譲は答える。
「だ、大丈夫、可愛いですよ、先輩……」
先輩なら、いつでも合格です! 最高に可愛いです、などと本当は言いたいが、流石に昨日のような余裕はない。とりあえず、最小限のことを伝える。
だが、望美はまだ不満顔だ。
「先輩?」
「どうして?」
「は?」
「昨日、譲くんいってたじゃない。私のこと、可愛いとか綺麗とか、もっとそばにいたいとか思ってるって」
「え!? ええ……っ、と……」
確かにそう言った。が、どうして、ここでその話が出てくるのかわからない。
「口に出して言ってくれていいんだよぅ。望美、喜んじゃうよっ❤」
「は?」
「は?じゃないでしょ? それに、どうして『先輩』なの!?」
「……え?」
きゅっと握った左手を可愛く曲げて口元に当て、困ったような縋るような目で自分を見ている望美の可愛らしさに、思わず譲は倒れそうになる。
だが、譲のことなどお構いなしに、望美は言葉を続ける。
「私は、譲くんの何? ただの先輩?」
「……え……? いえ……ち、違います……」
おたおたと譲が答える。
「じゃあお願い、ちゃんと名前を呼んで。じゃないともう返事しないよ、望美」
「せ……! 先輩!?」
その言葉に、望美が今にも泣きそうな目で譲を見る。もちろん、返事はない。
「 っ! …… じゃない、の、望美さん……」
やっとその言葉を譲が何とか口から紡ぎ出すと、望美がちょっと口をとがらせながらも笑顔を浮かべた。
「ホントは望美って呼んで欲しいんだけどな」
「そんな……呼び捨てなんて……」
「だってぇ、将臣君はいつも呼び捨てだったよ」
「っ……それは……兄さんは兄さんで……」
「将臣君が私のこと呼び捨てにしてるのに、譲くんは平気なの?」
「平気とかそういう問題じゃ……」
「もしかして、私が年上なの、気にしてる? 私が、譲くんに偉そうな態度をとってるから?」
「偉そうだなんて……先輩は先輩です!」
途端に望美が頬を膨らませた。
「また先輩って言う!」
「え、あ……すいません」
「いいよ……いいから、罰として、ちゃんと望美って呼んで」
「は?」
「は? じゃないよ、『の・ぞ・み』って呼んで❤」
譲はここまできて、流石に望美の異変に気づく。いや、おかしいとは思っていたが、あまりにドキドキさせられて、認識できなかったのだ。
「せ……じゃない、の、望美さん」
「ゆ、ず、る、くん!」
め!っと指を口元に刺されて、譲は天を仰ぐ。可愛らしい……いや、いつも望美は可愛いが、今日の変に女の子っぽい望美はいつもと別人のようだと思ったが、やはり押しの強さと頑固さは望美でしかありえない。
譲は、ため息をついて観念する。
「のっ……の、の、の……のぞみっ!」
声が裏返ってしまったのは、ご愛敬と言うものだ。
今度は望美は満面の笑みを浮かべた。
「なぁに?」
「……今朝、頭痛がしませんでしたか?」
「頭痛? うん、したした。すっごい痛かったんだよぅ。風邪かなぁ」
よくわかったねぇ? さすが譲くんっ❤ と小首を傾げて自分を見上げる望美の可愛らしさに、譲は思わず春日家の庭の塀に寄り掛かる。
だが、鼻血を吹きそうになっている場合ではない。
譲は気を取り直し、平常心平常心と自分に暗示をかける。
「……そう……ですか……」
「どうしたの? 譲くん?」
「いえ……何でもありません。そろそろ学校へ行きましょうか。せっかく早く出てきてくれたのに、このままじゃいつもと同じになってしまいます」
「ん、そうだね」
そして望美は当然のように手を差し出した。
譲はその手と望美の顔の間で、何度も視線を往復させる。
そんな譲の気持ちを知ってか知らずか、望美は拗ねたように言う。
「どうして今日は、手を握ってくれないの?」
「え?」
「昨日は手を繋いでくれたじゃない。ね、譲くんが手を引いてくれないと、望美、また転んじゃうかもしれないよぅ?」
「あ、あのっ……」
「譲くんは、それでもいいの?」
譲は思いっきり首を左右に振る。
「じゃあ、決まりっ!」
そして望美は、譲の手をしっかりと握って歩きだす。つられて譲も歩くしかない。
困り顔の譲の横で、望美のとどめの一言。
「それに譲くんだって、手を繋ぐのは悪くないねって言ってたじゃない?」
昨日の一言を持ちだされ、一気に譲の血圧が上がる。
そんな譲の様子などお構いなしに、望美は繋いだ手の指をしっかりと絡ませてきた。
譲は、浮かんだ笑みが強張るのを望美には気づかれないようにするので精一杯だ。
これから何が起こるのだろう……と、楽しみなような不安なような気持ちを抱えながら、駅へと歩を進めるのだった。
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