Whisper ( 2 / 4 )
「神子殿?」
突然立ち上がって、御簾の中に飛び込んだ花梨を幸鷹が訝しそうに見つめる。
花梨は、すぐに文机を持って出てきた。
「幸鷹さん、描いてみてください」
「書く?」
「夢の中の風景です。私、見てみたい!」
「え…」と、幸鷹がためらう。「私は、絵は決して得意なほうでは……」
「見ていてください!」
先に筆を取った花梨が、サラサラと描いたのは懐かしのわが家。
「これが玄関で、この奥にリビングとダイニングとキッチンがあって、二階が寝室。私の部屋はここで、こっちが両親の部屋なんです」
「………」
幸鷹が何かに打たれたように紙面をじっと見つめる。
「これは友達の家。マンションっていって、一つの建物にたくさんの家族が住んでいるんです。間取りはこんな感じかな」
ここがベランダで…と、花梨が説明を続けた。
学校やファーストフード店、郵便ポスト、街灯、テレビなどが次々と描き出される。
「車とか書くのは苦手だから、かえって幸鷹さんを混乱させちゃうかな。さ、次は幸鷹さんの番です」
勢いよく差し出された筆に、なぜか幸鷹は手を伸ばさない。
「………」
「……幸鷹さん?」
「…あ……」
ようやく花梨と目を合わせたものの、顔色がひどく悪かった。
額には脂汗すら浮かんでいる。
「幸鷹さん!? 具合が悪いんですか?!」
「…そ、そうですね。ちょっと、頭痛が……」
「大変! 紫姫!!」
慌てて立ち上がった花梨の手を幸鷹が掴む。
「神子殿、お待ちください」
「え…?」
「どうか……お座りになって……」
苦しげに囁く幸鷹に気圧されて、花梨は仕方なくまた腰を下ろした。
最初は肩で息をしていたが、しばらく深呼吸を繰り返した後、ようやく平常の息づかいに戻る。
長い溜め息をついた後、やっと幸鷹が口を開いた。
「……ご心配をおかけしました」
声は相変わらず低かったが、顔に血の気が戻っている。
「いいえ…。もう、苦しくありませんか?」
「はい、おかげさまで」
「…よかった……」
花梨が微笑んだ。
「……あの……神子殿」
すっと前に身体を傾けて、幸鷹が耳元で囁いた。
息さえかかる気がして、花梨は真っ赤になる。
「は、はいっ!?」
「お手を……」
気づくと、花梨は幸鷹の手をぎゅっと握りしめていた。
「あ…! す、すみませんでした」
さらに顔を赤くして、そっとほどく。
「……そばにいてくださって、ありがとうございます」
低い声で、幸鷹が礼を言った。
「ゆ、幸鷹さん」
「はい?」
「その……」
(その囁きはやめてください! 心臓に悪すぎます!!)
とはさすがに言えず、花梨はすっくと立ち上がった。
「お水もらってきますね。ちょっと待っててください」
「え…」
幸鷹が制止する暇もなく、花梨はすごい勢いで廚に走り去っていった。
花梨が消えていった方角を見ながら、幸鷹は先ほど自分を襲った得体の知れない感覚を思い出す。
(神子殿と話している間は、特に問題なかった。だが、あの絵を見ているうちに……)
心臓を鷲掴みにされるような激しい不安と動悸、脳内からにじみ出てくる禍々しい暗黒の雫、そして鋭い痛み…。
(これは……どういうことだ…?)
花梨の世界の話を聞いても、それを夢に見ても、これまで身体に不調が起きることなどはなかった。
(絵だから? いや、違う。あの絵を見たとき、私の中の何かが刺激された。閉ざされた扉が開くような、道が拓けるような…)
そして次の瞬間、あの感覚がやってきたのだ。
(原因は……私の内面にあるのか…?)
不意に誰かの視線を感じて、幸鷹は振り返った。
バサバサッと羽音を立てて、白い鳥が飛び去る。
その姿はあっと言う間に空に溶け込んでいった。
「鳥……? いや……」
鳥の視線を感じるわけがない。
「…式神……」
彼方に広がる、澄み切った青空を声もなく見つめた。
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