別れ ( 2 / 2 )
黄金色の夕暮れ。まばゆく暖かい輝きが、見慣れた世界を美しく染め変えていく。ひとつの高い影が、それを回廊から眺めていた。
「陽のあるうちにそなたが執務室を出るとは、珍しいこともあるものだな」
太陽が投げる最後の光を全身にまとった、もう一つの影が傍らに立った。
「……この時間は好きなのだ。漆黒の闇が光を打ち破り、すべてを呑み込む刹那……」
「クラヴィス!」
「……光が最大の輝きを放つ……」
微笑しながら、闇の守護聖は静かに振り返った。だが、そこに期待した表情はない。ひどく真剣な顔で、二つの青い瞳が見つめていた。
「……どうした? 気分でも悪いのか?」
「そなたは、聖地を去った後どうするつもりなのだ」
「……別に……特に考えてはおらぬ……」
腕を組み、目を伏せる闇の守護聖。光の守護聖は一歩踏みだして、語気を強めた。
「よいか。聖地を出たら、今までのようにのんべんだらりと毎日過ごしている訳にはいかぬのだぞ。リュミエールもおらぬ、闇の館の使用人達もおらぬ」
「怒鳴りつけるお前もおらぬな」
「そうだ!」
皮肉を知ってか知らずか、光の守護聖は言葉を続ける。
「私は……そなたより先にこの地を去ると思っていた。先に去れば、そなたが暮らしていける場所も用意できるであろうと。もちろん、私の生きている間にそなたが来るとは限らぬ。だが、後に続く者に託してでも……」
「……親切なことだ。引退後の守護聖全員の面倒を見るつもりか」
「黙れ! 独りで生きていけぬのはそなたくらいだ!」
二人の視線がぶつかった。驚いたような闇の守護聖の瞳と、相変わらずきまじめな光の守護聖の瞳。黄金色の光が双方を照らし出す。
「……驚いた……そんなことを考えていたのか」
「当たり前だ。私はずっとそなたの面倒を見てきた。首座として、最も長くこの地にいる守護聖として……。それは、任を解かれた後でも変わらぬ」
「……ご苦労なことだ」
苦笑しながら、闇の守護聖は視線を足元に落とした。
やがて、ゆっくりと顔を上げると、少しまぶしそうな表情で光の守護聖を眺める。
「……ならば、役割を交代するか」
「何?!」
「人を見れば命令せずにはおられぬ、わがままな元守護聖が生きていける場所を、私が用意する……。……あまり自信はないがな」
ジュリアスの頬にカッと血が上った。ようやくいつもの表情になった……と、クラヴィスは心のどこかで安堵する。
「私は、そなたの世話になどならぬ! その必要もない!」
黄金の髪をひるがえし、憤然と立ち去る光の守護聖。だが、数歩進んだところで不意に背中が止まった。
たっぷり10秒、間を置いた後、押し殺したような声が聞こえてくる。
「……それが……そなたの目標になるのなら」
「……ん?」
「聖地を去って後、そなたが生きていく目標になるというのであれば……私はそれでも構わぬ」
「……ずいぶんとつまらぬ目標だな」
今度は挑発に乗らず、ジュリアスは背を向けたまま続けた。
「何もないよりはずっとよい。皆、そなたがこの地を離れた後、しっかり生きていけるとは思えぬから心配しているのだ」
「……私の役割はもう終わる」
「終わるのは守護聖としての役割だ。そなたという人間の役割は終わらぬ」
「……そのようなものは」
「ある! まだわからぬのか」
紺碧の瞳が、再び闇の守護聖に向けられた。
「そなたはこの聖地でも、守護聖としてだけでなく、自身としての役割を果たしてきたのだ。リュミエールが慕い、ルヴァが頼るのはそなたという人間だ。サクリアの有無は関係ない」
まるで天上の絵画を見るような、陶然とした表情が深い紫色の瞳に浮かんだ。
「……そうか……」
「そうだ。そなたは自覚がなさすぎる」
「……すまぬな」
「今ごろ気づいても遅い」
「私は……」
フッ……と目が伏せられる。
「何だ」
「……昔……幼いころ……この聖地でずいぶんと涙を流した。淋しさ、辛さ、恐怖……。だが、お前はどんな時でも、血が出そうなほど唇をかんで、一粒も涙をこぼさないよう頑張っていた。どうしてそんなに無理をするのか不思議だった。泣いてしまえば楽なのにと……」
長い指が光の守護聖の頬を軽くなぞる。
「……お前は……自分のためには泣かぬのだな……」
彫刻のように整った双眸から、静かに涙が流れていた。記憶にある限り、初めて見る光の守護聖の涙。
「……生きよう」
黄金色の夕焼けは、衰えもせず、二人を照らし出していた。
「……お前のためではない。自分のために……生きよう……」
夢の中のような情景。
「当たり前だ」
「……そうだな……」
二つの影は、辺りがすっかり闇に沈むまで、回廊に佇んでいた。
闇の守護聖が聖地を去ったのは、それから半年後のことだった。
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