生田神社(兵庫県神戸市中央区)
『遙か3』の一ノ谷の合戦の際、最終的な戦の地となったのがここ、生田です。
二周目以降、知盛と初めて出会う場所でもあります。
ここでは譲くんは知盛を完全に変態扱いしてましたな。
ま、当たらずとも……(笑)。
生田神社は『日本書紀』によると、神功皇后(じんぐうこうごう)によって西暦201年に創建されました。
祭神は天照大神(あまてらすおおみかみ)の和魂(にぎみたま)、もしくは妹神と言われる稚日女尊(わかひるめのみこと)。
同じ時に、天照大神の荒魂(あらみたま)が西宮市の広田神社に、事代主神(ことしろぬしのかみ)が神戸市の長田神社に祀られたと伝えられているそうです。
生田神社は阪神淡路大震災の折、甚大な被害を受けました。
上の楼門はもちろん、下の拝殿もぐしゃりと潰れ、地震の激しさを物語るとともに、その後の復興のシンボルともなりました。
戦火や災害に何度も遭いながら、その度に力強く立ちあがる、「蘇る神」。
主たる建物が再建されたのは、震災から約1年半後のことでした。
境内には、源平合戦にちなんだ史跡がいくつも残されています。
下左は梶原の井。
別名「かがみの井」とも言い、生田の森の合戦の際、梶原景時がここの水を汲んで、生田の神に武運を祈ったと伝えられています。
下右は有名な箙(えびら)の梅。
梶原景時の嫡男、景季が境内に咲いていた梅を箙(えびら)に挿して戦い、平家の公達にその雅さを称えられたとして、謡曲にもなっています。
その景季が敵に囲まれた時、父・景時が捨て身で救出に行った「梶原の二度の魁」も有名なエピソードですが、いずれも史実とは言い切れないようです。
一方、史実として確実なのは、平知盛の嫡男、知章が父を逃がすためにこの近辺で命を落としたこと。
我が子を亡くした知盛は、その後すっかり虚無的になったとも言われています。
弟・重衡を捕らえられ、敦盛・経正・忠度ほか主だった公達を失った一ノ谷の合戦は、知盛にとっても、平家にとって大きな痛手でした。
この地での主な戦闘は、神社を取り巻く広大な「生田の森」で行われましたが、その一部を現在でも神社の裏手で見ることができます。
『十六夜記』では、この森の中で望美ちゃんが重衡さんと再会しますね。
境内にはほかに、武蔵坊弁慶が義経の代理として参拝したときに奉納した弁慶の竹、敦盛の遺児がここで父の亡霊と出会ったという敦盛萩などがあります。
お参りに行かれたら、ぜひゆっくりと境内を回ることをお勧めします。