遙かゆかりのスポット巡り

敦盛さんお誕生日おめでとう!特集

須磨寺(兵庫県神戸市須磨区)

 

 
「敦盛さんの寺」と呼んでも過言でないのが、この須磨寺です。
本堂の手前に作られた「源平の庭」(上)は、有名な熊谷直実との一騎打ちを再現した物。
あまりに有名なエピソードではありますが、以下に簡単にご紹介します。

一の谷の合戦は、義経の鵯越の奇策により、平家の惨敗に終わった。
平清盛の甥である平敦盛は、沖に向かう平家の船を追って馬を海中に進めたが、源氏の武者、熊谷直実に「後ろを見せるとは卑怯」と誹られて、馬首を返す。
一対一の戦いの後、敦盛を組み伏せ、首を取ろうとした直実は、敦盛が自分の息子と同じくらいの歳の若者であることを知り、ためらう。
しかし、味方の兵たちが駆けつけてくるのを見て、涙をのんで首を取った。


この須磨寺には敦盛の首塚(下左)があり、宝物館には愛用の「青葉の笛」が収められています(彼の胴は一の谷敦盛塚に祀られています)。
若く美しい公達の悲劇は、能や歌舞伎はもちろん、映画やテレビ番組でもよく取り上げられ、「熊谷直実は、形見の笛を屋島にいる敦盛の父、経盛に届けさせた」「直実はこの出来事の後、出家して敦盛の菩提を弔った」等、虚実取り混ぜたエピソードが語り継がれています。


 

須磨寺の参道(下左)と本堂(下右)。
境内には敦盛公首洗いの池敦盛の首を洗ったとされる池)、義経腰掛の松義経がここに座って、敦盛の首と笛を実検したとされる)、弁慶の鐘(合戦の際、弁慶が長刀の先に掛けて担ぎ、陣鐘の代用にしたと言われる安養寺の鐘)などもあり、源平合戦に深くかかわりのある場所であることがわかります。
    
 

ゲーム中、神子に助けられて目覚めた陣で、「あなたにとってはよい敵だと思う。早く討ち取るがいい」と敦盛さんが言うのは、実際には討つのをためらった熊谷直実に向けた言葉。
16歳にして、武人のプライドをもった人物だったのでしょう。

実際、蝶よ花よと貴族っぽい生活を謳歌していた平家の人々は、この辺りから武人らしい活躍を始めます。
それにしても一の谷の合戦は、敦盛さん経正さん忠度さんが落命し、重衡さんが捕らえられるという、平家にとって大ダメージとなる戦でした。

ちなみに、ドラマなどでよく見る、織田信長が本能寺で炎に包まれながら舞うのは、謡曲「敦盛」の一節だそうです。
敦盛を討った後、出家した熊谷直実が世をはかなむ
「人間五十年、下天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」
という謡を信長は実際に好み、戦の前に舞ったと言われています。

    

上は須磨寺で売っている敦盛団子の幟と実物。
門前町が大いににぎわい、訪れる人が引きも切らない、地域で愛されているお寺という感じでした。