九郎さんお誕生日おめでとう!特集
腰越(神奈川県鎌倉市)
一ノ谷の合戦の後、頼朝に無断で後白河法皇から官位を授けられた義経は 兄の激しい怒りを買います。
その兄への申し開き状、世に言う腰越状をしたためたのが、 鎌倉郊外の腰越にある、この満福寺だと言われています。
ゲーム画面にも、まさしくこの寺の正面が出てきますね。
ゲームでは、BADエンディングを経てこの腰越状をゲットしないと、 九郎ルートのEDには行けないことになっています。
史実では一ノ谷の後、官位を受けたことで総大将の任を解かれたものの、平家を攻めあぐねた頼朝から再度総大将に任命され、 屋島、壇ノ浦の戦いに勝利。
捕虜にした平家の総大将平宗盛、清宗父子を鎌倉に護送してきたところ、 頼朝から鎌倉入りを拒まれ、腰越状を書いています。
ゲームではぐっと端折って、一ノ谷のすぐ後に書いていますね。
満福寺の境内には、義経が腰越状をしたためている間、弁慶が腰かけて待ったと言われる「弁慶の腰掛石」(下左)と、怪力の弁慶がお手玉にしたと言われる「弁慶の手玉石」(下右)があります。
大河ドラマ『義経』放映時は、寺に続く階段にこんな幟が立っていました(下左)。
この階段のすぐ手前が江ノ電の線路で、踏切が開くのを待って階段を上ります。
下右は寺の中にあった甲冑です。
ほかに、腰越状の下書きと言われる書状の版木や、鎌倉彫りで「腰越状を書く義経」、「弁慶の立ち往生」などを再現した襖絵などがあります。
腰越状を巡る一連の出来事は、義経視点だと、兄・頼朝の冷たさや非情さが際立ちますが、 う〜〜ん、私は結構頼朝に同情的です。
利害が対立するさまざまな武士団に担ぎ上げられた頼朝は、 身内びいきで自分の足下を危うくすることはできませんでした。
さらに、義経が優れた大将であればあるほど、 彼を担ぎ上げて謀反を起こそうとする人間は多くなります。
軍略の天才にして、政治センスゼロ、肉親の情に飢えた弟を持った兄の、 苦渋の決断だったのかもしれません。
ちなみに、平泉で討たれた義経の首検分が行われたのも、この腰越の浜。
梶原景時が立ち会っています。