遙かゆかりのスポット巡り

(江川邸)(静岡県伊豆の国市)

  

『遙か3』に直接は出てきません(政子様の回想シーンでそれっぽいのはありましたが)が、伊豆・韮山頼朝が20年にも及ぶ流刑生活を送った蛭ヶ小島のある場所です。

この町に今も残る『江川邸』の台所がこの写真。
実際には1600年くらいに建てられた邸と思われますが、ここに立った時、
「こ、こ、これってあのスチールの場所っ!!」
と雷に打たれたような衝撃が。
そう、譲くんファンなら涙なしでは語れない
「生きているあなたとの再会」
スチールのにそっくりなんですよっ!!!

ゆ、譲くん!!
いったいこんなところでどうやってあの料理の数々を作ったのっ?!(そこか)
結構長時間佇んで悩んでみたのですが、想像もつかず。
ピラフがリゾットになった望美ちゃんすら尊敬しちゃいます。

以下は追加スチールです。

  

江川家は頼朝の伊豆旗揚げに参加した宇野家の末裔で、この邸は重要文化財に指定されています。
いろいろと貴重な物も展示されていますので、伊豆にお越しの際はぜひ。
そして、ここでどうやってオムレツドリア天ぷらはちみつプリンを作れたのか悩んでみてください。

  

蛭ヶ小島に建つ頼朝政子の像(左)と、政子産湯の井戸
二人が出会っていなければ、源氏の隆盛も鎌倉幕府もなかったと言われるほど、政子は頼朝にとって大きな存在でした。
頼朝の旗揚げ自体、北条の天下取りの方策だったという説さえあります。
実際、頼朝と政子の間の子はことごとく亡くなり、北条が執権として幕府の実権を握ることになります。


 
真珠院(左)と願成就院
真珠院には、頼朝の恋人で真珠ヶ淵に身を投げた八重姫の供養塔があります。
平家方の豪族、伊東祐親の娘だったため、頼朝との間に生まれた子を父に殺され、頼朝を追って北条の邸を訪ねたところ、すでに頼朝は政子と結ばれていて絶望した--という話が伝えられています。

一方、願成就院は、政子の父、北条時政が頼朝の奥州平泉討伐の戦勝を祈願して建立した寺院。
現在の本堂は昭和になって建てられたものですが、中には運慶による阿弥陀如来像、不動明王像、毘沙門天像などが安置されています。

淵に身を投げた女性と、平泉討伐……やっぱりこの辺りの歴史は血なまぐさいですね…。