遙かゆかりのスポット巡り

プレ『遙か3』特集~早すぎた源氏 木曾義仲の生涯~

木曾義仲首塚(京都府京都市東山区)



連戦連勝で平家を西国へと追い払った木曾義仲は、 1183年7月に京に入ります。
しかし、京での「政治」は義仲が得意とする「戦」とは大きく異なりました。

貴族たちの不興を買い、後白河法皇との関係も悪化した義仲は、 立場の回復を目指して西国の平家と戦います。
ところが彼の留守中、頼朝の弟である範頼・義経が兵を率いて上洛、 義仲は父と同様に、源氏同士で戦うはめになります。

宇治川・瀬田での戦いに敗れた義仲は、 1184年1月に近江国粟津(滋賀県大津市)で討ち死にしました。
彼の墓所としては大津市の義仲寺が有名ですが、 実は京都の八坂の塔として知られる法観寺(下)にも「首塚」(上)があります。

 

法観寺は、聖徳太子が夢のお告げに従って建てたとされるほど開基が古く、平安遷都前からあることは確かだそうです。
何度か焼失し、現存する五重塔は15世紀に再建されたものだとか。

その下の八坂稲荷境内(上右)にあるのが、木曾義仲の首塚です。
死後、六条河原で晒された首を、家臣がこの地に手厚く葬ったと伝えられているそうです。

溌剌とした血気盛んな若武者が、朝廷と公家に利用され、翻弄され、 ついには身を滅ぼすことになる……。
1180年の挙兵からわずか4年足らずの間に、 義仲は悲劇的な人生を駆け抜けたのでした。

義経に負けず劣らず魅力的な、源平合戦が生んだ「華」だと思います。