遠くて近い距離 ( 2 / 2 )
「……?」
愛おしそうにこちらを見つめる譲の顔。
「……言ったでしょう? この部屋に来たからって、別にどうこうするつもりはありません。ただ、なるべく長い時間を一緒に過ごしたい……先輩がそばにいてくれるのが、俺の何よりの幸せなんです」
一つひとつの言葉が胸に響いて、望美は怖がった自分を反省した。
こんなに大切に想ってくれる恋人。
大好きな人。
譲の腕に自分の腕をからませ、そっと寄りかかる。
「私も譲くんと一緒にいたい。できるだけ長く、できるだけ近くに。実家じゃ、あんまり長い時間2人で閉じこもってはいられなかったものね」
「兄さんも母さんも、いつドアを開けるかわからないし」
「うちのママも同じだよ。大雑把だから」
顔を見合わせ、クスッと笑う。
「こんなに長い間、くっついてるのも初めてだね」
暮れていく窓の外を眺めながら、望美が言った。
「そうですね……」
会っている時間がもったいなくて、いつも性急に話したり、抱き締めあったりしてきたような気がした。
言葉をほとんど交わさずにただ寄り添う時間は、2人にとって初めての贅沢。
黄昏の光が、部屋の中を不思議な空間に変えていく。
「……あのね、譲くん」
ポツリと望美。
「はい?」
「……いつも……そばにいてくれてありがとう」
突然の言葉の意味が、譲にはわからなかった。
「……先輩?」
「譲くんが独り暮らしをするって聞いて、自分が今までどれだけ譲くんと一緒にいたか、それを当たり前に思っていたかがよくわかったの。子供の頃からお隣さんで、異世界でも迷宮でもずっとそばにいてくれて、その後も今まで……」
また、望美の瞳から涙が零れ落ちる。
「私が卒業してからも、朝や夕方に声をかけてくれて、何かあるたび話を聞いてくれて。私、多分夜寝る時も、譲くんがお隣にいるんだって安心できたんだと思う。本当にありがとう。私、すごく幸せだったんだね」
「先輩……!」
また、正面からしっかりと抱き締められる。
耳元で譲が囁いた。
「そんな、別れる前みたいなこと言わないでください。俺は、先輩から離れたりしません。あなたにもっと近づきたい。できるならあなたをこの腕の中に閉じ込めてしまいたい。……帰したくなんか……ないんだ……」
「譲……くん……」
「……愛しています……」
「私も……」
このまま離れたくないという激しい想いが、2人を満たしていた。
見つめあいながら、自然に唇が重なる。
いつもより強く、深い口づけ。
初めて、唇を割って熱いものが差し入れられる。
その感覚に目眩を感じながら、望美はそっとラグの上に横たえられた。
決して乱暴ではないが、吐息一つ逃すまいとするように、唇が重ねられ、舌が触れ合う。
時折洩れる熱い息が、頬をくすぐる。
カタンと、譲が眼鏡をテーブルに置く音が聞こえた。
それを合図にしたように、唇が、頬から耳、首筋へと移る。
突然、ベッドの上の携帯がけたたましく鳴り出した。
「うわっ! す、すみません!」
何に向かって謝っているのか、譲があわてて身を起こし、携帯を取り上げた。
そのまま切ろうとして画面の表示に気づき、渋々耳に当てる。
「何だよ、母さん…! ああ、だいたい終わった。大家さんにも挨拶したよ。これから先輩を送ってそっちに戻るつもり……。え? な、何言ってるんだ、当たり前だろ! もう切るからな!」
望美がようやく身を起こす。
「おばさま? 何かあったの?」
乱暴に携帯を閉じる様子を見て、そう尋ねた。
譲は一瞬バツの悪そうな顔をすると、
「大切なお嬢さんなんだから、早く送って来なさい……って」
と、俯いて言う。
「……!」
望美の顔が真っ赤になった。
「兄さんが悪いんですよ。昨日、母さんの前で魂胆が丸見えだとか言うから」
「ま、将臣君が?!」
(もしかして、その可能性に気づかなかったのって私だけ?)
ますます赤くなる望美に気づかずに、譲が大きな溜め息をつく。
「とにかく、今日はもう戻ったほうがいいですね」
譲は立ち上がって食器をシンクに運んだ。
望美もあわてて身支度を始める。
手早く洗った食器を乾燥機にたてかけると、上着をはおり、譲はそのポケットから鍵を一つ取り出した。
「受け取ってもらえますか」
少し照れくさそうに差し出す。
「え? もしかして……」
「合鍵。先輩に言われる前に作っちゃってました」
ぱーっと望美の頬が染まる。
「ありがとう!」
とてつもなく貴重な物を受け取るような気持ちで、鍵を手のひらに受けた。
「俺こそ、受け取ってもらえてうれしいです」
譲は微笑むと、軽く望美の手をひっぱって引き寄せ、キスをした。
唇が離れると、望美が赤い顔で俯きながら言う。
「あの……今日は無理だけど、いつかお泊まりできるようにがんばるね」
「なんか……俺が独り暮らしになった分、親の監視が厳しくなるような予感がするんですが」
「え?」
タイミングを計ったように、今度は望美の携帯が鳴り出した。
画面を見て望美がつぶやく。
「……ママだ」
「やっぱり……」
望美が母親と話すのを横で聞きながら、俺の独り暮らしはなかなか前途多難だなと譲は思うのだった。
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