止まらぬ想い ( 2 / 2 )
譲の予想をかなり上回る量を平らげると、望美がお茶を片手にベッドに寄りかかった。
「あー、おいしかった! ごちそうさま!」
「先輩、お茶こぼさないでくださいよ。熱いですから」
「私は望美だから、言うことは聞きません」
「あっ」と、譲が手を口にやる。
ふうっと溜め息をついたのを見て、急に望美の顔が曇った。
「私……無理させちゃってるかな」
「え?」
「ごめんね。呼び方無理矢理変えさせて」
「ああ……」
譲が柔らかく笑った。
「いえ、俺もいつか直さなきゃと思っていたし、せんぱ……望美さんから言ってもらえて、かえってよかったです。なかなか直らなくてすみません」
「ううん」
望美が元気を取り戻して微笑む。
「譲くんが先輩って呼んでると、まわりの人が恋人だって思ってくれないでしょ。
それがちょっと悔しくて……こんなの私のわがままだよね」
「それは困ります!」
いきなり譲の顔が真剣になった。
「譲くん?」
「そうか……そんなデメリットが……」
きょとんとする望美の前でしばらくブツブツとつぶやくと、譲は望美のほうに向き直り、きっぱりと言った。
「わかりました、俺、これまでにも増して努力します」
「は、はい……?」
「あなたは俺の恋人です。先輩でも、幼なじみでも神子でもない。
だから、周りの人にも誤解なんかされたくない」
望美の頬が朱に染まる。
「望美さん」
腕を伸ばしてそっと抱き寄せる。
「譲くん……」
うっとりとした瞳で譲を見上げる。
微笑みながら、互いの顔が近づく。
「望美……のほうがいいかも……」
「え……」
重なる直前の唇が止まった。
「譲くん?」
これ以上ないほど接近したまま、望美が問い掛ける。
少し身体を離すと、譲は頬を朱に染めた。
「呼び捨ては……ちょっと……」
望美が首を傾げる。
「なんで? そんなに違う?」
「違いますよ。というより、あまり好きじゃないんです」
(兄さんと同じ呼び方になるし……)という内心の声を口に出すのはやめて、逆に問い掛けた。
「せん……望美さんも俺のこと、譲って呼んでもいいんですよ」
「え……!」
今度は望美が考え込む。
「……なんか……馴れ馴れしいかも」
「こう、相手を所有しているような傲慢さを感じさせると思いませんか」
「そ、そこまでは思わないけど、私、譲くんっていう呼び方が好きかな。
おばあさんになっても譲くんって呼びたい」
「先輩……じゃなくて望美さん……」
急に望美がくすくす笑い出した。
「どうしたんですか?」
「私、おばあさんになっても譲くんに『せん…望美さん』って呼ばれそうな気がして」
「そ……!」
もう一度、顔を近づけながら望美が言う。
「本当はね、譲くんに先輩って呼ばれるの、嫌じゃないの。
いつもとっても優しくて、甘くて、うっとりする声で呼んでくれるでしょ。
その声がすごく好き。ずっと先輩って呼ばれていたいくらい。
私、先輩って名前だったらよかったのに」
「その案には賛成しかねます。
でも、いろいろな想いを乗せて、『望美さん』と呼ぶ練習、これからしますよ。
俺の大好きな名前。何よりも大切な名前だから」
「譲くん……」
「望美さん……」
それ以上の言葉は、互いの唇の中に封じ込められた。
* * *
「ごめんね、結局譲くんまで実家に帰らせちゃって」
窓の外がとっぷり暮れた江ノ電の中で、望美が言う。
「いえ、これ、食べてる暇なかったですからね」
昼に手を付けたきりで、大量に残ったランチの袋を軽く持ち上げながら譲が答えた。
そこまで言って、代わりに何をしていたか思い出し、二人とも赤くなる。
気づいたら、鎌倉まで帰るのにギリギリの時間になっていて、あわてて下宿を飛び出したのだ。
「来年くらいには、普通にお泊まりとかしたいな」
視線を窓外に向けながら望美が言った。
「会える時間が短すぎるよ」
「無理しないで。ご両親も心配でしょうから」
譲が微笑みながら答える。
「あんまり早くから不興を買いたくないですよ、俺」
そっと望美の耳元に囁く。
「『お嬢さんをください』ってあいさつするときに、快く承諾してもらいたいから」
「ゆ、譲くん」
望美が真っ赤になって譲の顔を見た。
「で、でも、ママはとっくにそのつもりみたいだよ」
照れ隠しに望美が言う。
「…そうですね。おばさんはあっさり許してくれそうだな」
過去、望美の母の開けっぴろげな反応に驚かされた記憶がよみがえった。
「あ、ただ、養子にしたいって言いそう」
「そうか、一人っ子だから……」
「大丈夫! 私、絶対反対する!」
目を見開いて言う望美に微笑みながら、
「俺は別にいいですよ。ただ、うちの総領息子がいまいち頼りにならないんで」
と、譲は言った。
「あ~~……有川の家が途絶えそう」
「それじゃ祖母に悪いですからね」
まだ十代の二人が交わす会話を周りが聞いたら、馬鹿馬鹿しいと苦笑するかもしれない。
だが、彼らは十代の人間が命をやりとりする戦場を知っていた。
若くして家庭をもち、一族を率い、過酷な運命に立ち向かう青年たちとともに生きてきた。
彼らにとって、誓いは永遠で、想いは何ものにも替え難い。
やがて、電車が速度を緩め、極楽寺駅に停車した。
「譲くん、手をつないでもいい?」
「ええ、もちろん」
深夜の道を二人でたどる。
あと何年待てば一緒に暮らせるかわからない。
けれど、何年経っても自分にとって最も大切な愛する人はこの人だけ……。
玄関前で、ほんの一瞬唇を重ねると、譲が囁いた。
「愛しています、望美さん」
「私も。譲くん」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい。また明日」
名残惜しげに視線を交わした後、それぞれの家のドアを開ける。
想いだけは、お互いのそばに残したまま。
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