旧滝沢本陣(福島県会津若松市)
江戸への主要な街道であった旧白河街道筋に築かれたのが、旧滝沢本陣です。
会津藩主が参勤交代する際、領内を巡視する際、藩祖保科正之を祀る土津神社に参詣する際などに、旅支度を整えたり、休息するために設けられました。
戊辰戦争の際は本営となり、松平容保公がここで白虎隊に出陣を命じました。
同日、土方さん率いる新選組は、容保公および白虎隊を護衛し、目覚しい働きをしたと伝えられています。
本陣の外観(上左)と内部(上右)。
幕末の建物がそのまま保存され、家具調度とともに公開されています。
旧滝沢本陣は、実は白虎隊が自刃した飯盛山のすぐ麓にあります。
少年たちはここから出陣し、戸ノ口原まで進軍しますが、新政府軍の兵力と最新兵器に立ち向かうことができず退却しました。
城に通じる本道は新政府軍であふれていたため、飯盛山の山腹を貫く戸ノ口堰洞穴を通ってようやくここまで戻ってきたのです。
激しい市街戦のために本陣も大きな被害を受け、その様子を今も見ることができます(下)。
本陣の内部(下左)と庭(下右)。
御入御門、御座之間、御次之間、座敷、納戸、遠州流の庭園や土間、湯殿や厠まですべてがそのまま保存されているため、東北地方最古の民家として重要文化財に指定されているそうです。
悲しい歴史だけでなく、幕末の人々がどのような暮らしをしていたかを知るためにも、訪ねてみたい場所だと思います。
*『BARAGA-鬼ki』ポイント
劇中で、土方さんは会津の運命をお嬢から聞きます。
土方「お前ら、どうやってここまで来た? 会津には行ったのか?」
お嬢「ああ、会津に行って一ちゃんにも会ったよ」
土方「それで斉藤は今どこだ?」
お嬢「捕まっちまったよ」
弥太「うん、会津の殿様と一緒に…」
土方「…そうか…」
約束を果たせなかったことを、深く悔やんだことでしょう。